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コップの水を溢れさせる
自分を褒めることが苦手だった。何者でもない自分が、個として果たして何か意義のあることができてるんだろうか?ということをクリアにしていく為にも、最近取り組んでいたことがある。
それは、毎日のやったことリストをつけていくというもの。リストを毎日記録するようになると、朝から寝るまでに実に色々なことをこなしている自分が見えてきた。こうして可視化すると案外私も人のお役に立てているのだと、自己肯定感というものがみるみる上がってきたのだ。
この可視化はやる気スイッチが入り習慣化実践を確かなものにしていき、現実生活はどんどこ忙しく充実した日々に変貌していった。
しかし、最近なんだか毎日がやることが多すぎて夜はバタンキューでまたすぐに朝を迎え、だんだん息苦しくなってきていた。
スケジュールをひとつひとつ片付けてこなしていく毎日は確かに充実はしているのだが、自由さがない感じで、どこかでまったく予定を入れない日を作らないと、やらなきゃというマインドに追い立てられるように逆転すると、やばそうだなと自覚がある。
「タスクをこなすことがルーティンになると自分のコップの水がどんどん少なくなりそのうち疲弊して嫌になってしまうかもしれない…」という次の課題や気づきについて考える時がきたようだ。
自由に芸術に触れたり、自然の中で過ごしたり、冒険したり、そういう生き方が私らしい生き方だと改めて気づいた今ここだ。
もう少しマイペースに行こうと決意した。
昨日は犬の散歩で久々に森に足を踏み入れた。
紅葉した背の高い木々を見上げ、秋の透き通った空気を大きく吸い込み、マスタード色の見事なカーペットの上にしっかり立ち、「あぁ、これだ。この世界にこそ自分が在る」と心底癒された。
私たちは一人ひとりが神さまだ。神社仏閣、教会、パワースポット、そんな場所は大好きだが、何も遠くまで求めていかなくても、本当は御神体は自分の足元にある。自然界に身を置いて心を自分の真ん中に戻すと、それがよく分かる。コップの水がみるみる溢れ今が100点満点だと幸せになった。
宇宙にオーダーするというけれど、必死にオーダーはしない。必死さというのはその裏側に不安感があると思う。本当に自分自身の御神体を信じていたら、本来、不安にはならないはずだ。
「こうなったらいいなぁ。この方向に行くと楽しそうだなぁ」という意味で常にオーダーは出していくけれど、決してそこに必死さという執着は入れない。あんなことやこんな展開があってもいいんだなあと。ゆるめておく。ニコニコと。
それが人生を面白がりコップの水を溢れさせるコツなのかなと思うのだ。秋の深まりは本当は自分はどうしたいのか?について、静かに穏やかに教えてくれる。
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