対話の喜び、共感へシフトする時代
かつて心が行き場をなくし、極力人と会わずに内側にこもって、自分探しをしていた時代がある。たとえ家族がいても、当時の私は己の未熟さもあり、海外生活でどうしても埋められない孤独感を抱えていた。忘れもしない、その時、紙に書いて壁に貼っていた言葉はこれだった。
「魂と魂で対話のできる人と出会わせてください」
当時、自分が何者かもわからず、自分がやりたいことも見つからず、一体どこに出口があるのかさえ見当もつかず、ようやく絞り出した心の悲鳴、私の唯一の願望はそれだった。
そして今、私はそれが叶った日常を生きている。ありがたいことに縁する方々ほとんどと、心からの対話を楽しめているのを感じる。周りが変わったのではない。自分が変わったのだ。
対話の喜び、共感へシフトする時代
人と人はこれから「いかに共感し合えるか?」が大事になり、仕事においても「お金」から「共感」へシフトしていくと言われる。なんでそのような変化の流れになっているのか?と考えてみると、現代社会が物質的な充足よりも人間性や信頼感、共感を重要視するようになってきたため。
見よこの悲鳴あげてる地球を。資本主義によるブルドーザーのような拡大し続ける個人の欲望はエゴが更なるエゴを呼び、気づけばこの世はあっちでもこっちでも戦いモードで殺伐とした場になっていた。世界の歴史をうんと俯瞰して眺めると、これまでいかに人間が地球資源をお金というものにすり替えて富を増やして来たかがわかる。
でも、地球資源を金脈として世界を牛耳るやり方は限界に達していることは明らかだ。個人レベルの内側にも何かが違うという違和感が渦巻いている。これをずっと続けていては人類も地球も滅びる。
我々人類はコロナウイルスによって、地球は微生物の惑星でもあることを思い知らされた。地球を支配しているのは、人類でなくウイルスやバクテリアかもしれないということに、今ようやく私たち人間は潜在的に気付きはじめたのかも。もう、私たち一人ひとりが何か別の方法を見つけ出さなくてはいけないことがわかっているんだ。
本当の価値ってなんだ?
互いに小さな善意を持ち合う
共感するにはそこに「互いに小さな善意を持ち合う人同士の対話」が必要になってくるのかと思う。「どうしたら目の前の相手が欲しいものを提供できるだろう?」という視点でお互いが創造的に思考をめぐらせる。こんな対話は面白い。
この創造性こそが、これからの人間にとって1番の資源になっていくのかなと感じる。そして、対話が生まれるには、良い質問があることがとっても大事。
種の法則
今年から学んでいるチベット仏教の教え。人生に起こること全ては外側でなく自分が蒔いてきた種によるものであるという深〜い人生哲学です。過去の行為(カルマ)が心に植えつけられた「種」として、未来に結果をもたらすとされるもの。善行や悪行など、あらゆる行動の結果が心に種として残り、それが発芽して未来の経験に影響を与える。
つまり今日の不都合や苦しみ、困難は、自分が過去に無意識または意識的に蒔いた「悪い種(カルマの因果)」が発芽し、現れたものという概念。
一度聞いて「はい、わかりました」というような内容では到底なく、現実生活や人生の豊かさやクオリティに反映させるには、それ相当の学びの期間が必要だと感じている。3度の飯よりこのような人生哲学を学ぶことが好きなので、私はおそらく今後ずっとこの真理を学び続けるのだろうな、という予感がしています。笑
そんな種の法則を共に学んでいる仲間であるエリさんからとても素晴らしい質問を投げかけられました。IT会社経営者でインフルエンサーとしても活躍する才色兼備な方だが、いつも謙虚で優しく、勉強熱心で共感力の高い素敵な人だ。
運命解析学で観させていただいたところ、本質が「統率者(精神的リーダー)」の方なので納得。さすがエリさんっ!良いご質問で!と拍手を送りながら、私もうんと頭をひねりお答えさせていただきました。
エリさんの質問力のおかげで私もググッと深掘り考え、とても充実した晴れやかな気分の1日に。対話って素晴らしい!というわけで、ここを読んでくださっている方にもシェアしてみます。
お茶でも飲みながら、どうぞっ。
①瞑想のベネフィットで「未来センス」や「高い生命体とのアクセス」とありますが、どのようなものかが今の私には想像もできません。実体験や感覚など伺えたら嬉しいです。
エリさん、素晴らしいご質問で!エリさんの質問の視点が統率者への道のりを物語っているなと思いました。私なりに感じることを僭越ながらも書かせていただきますね。
まず、瞑想するということは自分の外側の他人の声や社会通念、親から教えられた観念などとは別の領域の「ハイヤーセルフ」という本当の自分とつながる領域にフォーカスすることなのかなと思います。それを別の言葉で「直観」と言ったり「第六感」と言ったりするかもしれません。
つまり、「未来センス」というのは、瞑想によって研ぎ澄まされる一種の予感や洞察力、先を読む感覚を指すのかと。私自身の体験では、瞑想を日常に取り入れることで、自分の直観が鋭くなり、例えばAかBかを選択する際に、その時の自分のとって必要な道を選べるセンスが養われてきたように思います。
「高次の生命体とのアクセス」は、私の体感では、ハイヤーセルフです。つまり自分という魂のオーラやエーテル体など全てを含めたエネルギー体の中で「一番賢い自分」という感覚で捉えています。人それぞれそういう領域を持っていると思います。
「みんなちがってみんないい」という有名な言葉の意味はこの、「みんな本来はそれぞれのハイヤーセルフがいる」ということなのかなと思っています。(運命解析学のライトマスターチャートは自分のハイヤーセルフに到達する手段が描かれているように感じます)外側でなく、自分の内側を見つめていきハイヤーセルフと繋がれた時に、人は本当の安心感や無条件の愛を感じることができるのかなと思う今ここです。
②悪い種をまき続けていると、来世は動物どころかそれ以外のものになってしまう可能性があるとのことでしたが、もし昆虫などになってしまった場合、昆虫としていい種をまくとはどういうことなのか…そもそも昆虫には感情や意識があるのか。昆虫になってしまったら一生昆虫なのか。気になってしまいました。どうぞよろしくお願い致します。
とても深い質問ですね!この地球上には人間を主体に、動物、鳥、魚、植物、昆虫など多くの生命体がいます。その中でメンタル、感情や思考を持っているのは唯一人間のみです。人間の特権とはまさにそれらを使って反省や気づきや学ぶことができることです。
人間が生まれた理由は自分のカルマ(悪い種)を解消していくことなのかと思います。それにより輪廻の道筋が決まってくるのかと。もちろん、悪い種を蒔き続けると、また来世で同じ課題のやり直しの人生が待っているでしょうね。
ここで、ポイントとなるのかそもそも人間として今世生まれることができているのは実はめちゃくちゃチャンスを与えられているということです。やり直しがいくらでも効くのですからね。自分に向き合い反省して良い種を蒔いていけばいいということなのでしょう。
昆虫として生まれたとしたら生命体としての境涯がグッと下がるイメージです。昆虫にも感情や意識はあるという研究結果もあるようですが、例えば昆虫のその表現は非常に限られています。例えば、犬や猫は喜びや悲しみを明確に示すことができますが、昆虫の感情表現は微妙で観察が難しいです。
昆虫の脳は非常に小さく、ニューロンの数も限られています。例えば、ハチの脳には約100万個のニューロンがありますが、人間の脳には約860億個のニューロンがあります。この違いが、意識の複雑さや範囲に影響を与えています。
もし昆虫として「いい種をまく」ことを考えるなら、昆虫の生態系における役割を果たすことが重要なのでは?と思います。例えば、花の受粉を助けるハチや、土壌を豊かにするミミズなどが挙げられます。これらの行動は、昆虫としての「善行」と言えるでしょう。
昆虫になった場合、一生昆虫であるかどうかについては、これは宗教や哲学の領域に入る質問で、多くの宗教や哲学では、輪廻転生の概念があり、次の生が何になるかはその生き方や行いによるとされています。昆虫としての生を終えた後に再び別の形で生まれ変わる可能性もあると一部では考えられています。その可能性はもしかするととても低いものかもしれません。
つまり、今世で人間として生まれてきたことは、本当に貴重なチャンスであり、私たちにとって非常に意味深いことだと思います。今回のご質問はとても良い内容で私もじっくり考える機会となりました。少し整理してみますね。
人間として生まれることの意味と特権
人間として生まれることの大きな意味は、感情や思考、反省、学び、気づきを持つという「特権」を与えられていること。多くの生命体が地球上に存在しますが、人間はその中で唯一、自分の行いや選択を振り返り、改善し、成長する力を持っています。仏教の教えでは、人間として生まれることは非常に稀であり、大きな機会だと言われます。
このチャンスをどう生かすかが、次の輪廻にどのように影響を与えるかに繋がる。私たちの行い、つまり「カルマ」を通じて、来世が決まるとすれば、今この瞬間の選択や行動が非常に重要になってきます。
人生とはカルマを解消する場
私たちは、自分の過去のカルマ(悪い種や良い種)の結果として、今世を生きているとされます。そして、人間として生まれた理由の一つは、そのカルマを解消し、魂を成長させるためです。
良い行い(良い種)を蒔くことで、より良い人生や来世を築くことができ、逆に悪い行いを続ければ、また同じ課題を繰り返すことになるのでしょう。
もし私たちが反省せず、気づきもせず、成長しないままでいると、同じカルマを再び繰り返すことになります。つまり、人間として生まれたことは、そのカルマを解消し、より良い未来へ進むための「大きなチャンス」だと言えそうです。
昆虫として生まれることと生命の境涯
もし、私たちが悪いカルマを積み続けると、昆虫などの「境涯の低い」存在として生まれ変わる可能性があります。宇宙から見ると高い低いではもしかするとないのかもだけど、昆虫としての生命は、感情や意識の表現が限られていて、人間とは全く異なる形態の生き方です。
科学的には、昆虫もある程度の感覚を持っていることが示されていますが、その表現や認識は非常に単純で、私たちが持つような複雑な思考や感情はないとされています。
けれども、昆虫もまた生態系の中で重要な役割を果たしています。例えば、花の受粉を助けるミツバチや、土壌を豊かにするミミズなどは、自然界において「善行」を行っている存在です。もし昆虫として生まれ変わった場合、昆虫としての本来の役割を果たすことが、ある意味で「良い種を蒔く」ことに繋がると考えることができるかもしれません。
昆虫の輪廻と再生の可能性
昆虫として生まれたとしても、それが永遠に昆虫としての輪廻に閉じ込められるわけではないのかもしれません。昆虫としての行いやカルマの結果によって、再び別の形で生まれ変わる可能性もあるかもしれない。ただし、昆虫から人間に戻るチャンスは非常に低いかもしれませんが、仏教の教えでは、すべての生命は輪廻転生のサイクルの中で生き続けているとされます。なので、昆虫としても、その存在の中での行いが未来の生に影響を与える可能性はあるのではないでしょうか。
感謝と気づきの重要性
人間として生まれることができた今世は本当に貴重なチャンス。このチャンスをどう使うかが、私たちの人生において最も重要な課題。悪い種を蒔き続けると、また同じ苦しみや課題に直面することになるけれど、今ここで自分に向き合い、反省し、良い行いを積んでいくことで、自分で自分をもっと良い未来に連れて行くことができるのでしょう。つまり、未来って自分で創り出していると!
だからこそ、私たちは日々の生活の中で、自分に与えられた「気づき」や「学び」を大切にし、反省して前進することが鍵となっているのだろう。この人生でできるだけ多くの良い種を蒔くことで、輪廻転生のサイクルを超え、魂の成長を果たすことが、私たちの本当の目的なのかもしれない。
とても面白かった質問からの結論
人間として生まれることは本当に大きなチャンスであり、私たちはみんなそれぞれ、そのチャンスを最大限に活かすべきなんだよなぁ!昆虫や他の生命体に生まれ変わる可能性もあるけれど、今この瞬間に反省し、良い種を蒔くことで、その輪廻を超えていく道を自分で選べる。
感謝の気持ちを持って、自己の成長に取り組むことが何よりも大切で、そこに人として体験できる人生の美しさや感動があるのかと思います。エリさん、改めて良いご質問をありがとうございました。
私たちって人間に生まれて本当にすごいよね!
めっちゃついてるよね!
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