ジャンヌ・ダルクは、スピードを重視した
池上俊一『世界史のリテラシー 少女は、なぜフランスを救えたのか: ジャンヌ・ダルクのオルレアン解放』
良書の中の良書
舞台「ジャンヌダルク」を観劇するにあたり、予習のために手に取った本書。当初の想定を大きく上回り、ジャンヌダルクの生涯のみならず時代背景、政治や外交の妙を学ぶことができた。まさしく良書と呼ぶにふさわしい。
なぜ「ジャンヌダルク」でなければならなかったのか?
なぜオルレアンを解放し、ランスでシャルルを戴冠したのは「ジャンヌダルク」でなければならなかったのか?
筆者は15世紀の時代背景にも触れつつ、4つの要素を「解答」として挙げている。
1つ目が「女性宗教者」。教会制度の外、いわゆる「辺境」において真の宗教性が生まれると信じられていた節があり、ジャンヌダルクはこの信仰にピッタリと当てはまった。さらには聖母マリアなど女性の神秘性も関係していただろう。
2つ目が「女性預言者」。小さく弱い「女性」だからこそ、重要な預言者たりうるという信奉があった。さらに、フランスには女性預言者の事例もいくつかあったため、ジャンヌダルク登場の素地が出来上がっていたと予想される。
3つ目が「自然の超自然力」。今風に言えば「マイナスイオン」なのだろうが、昔も今も、自然には「超自然的」な神秘さを感じるものだ。ジャンヌダルクが生まれたのは、神聖ローマ帝国との境にある「ドンレミ」という小さな村。まさしく辺境で、羊飼いのような仕事もしていたという。キリストが民衆を導く「羊飼い」として描かれていることを踏まえると、ジャンヌダルクに神性を感じるのも頷ける。
ちなみにジャンヌダルクは実際には「羊飼い」と呼べるほど羊飼いではなかったとされる。それでもなぜ、ジャンヌダルクは「羊飼い」に仕立てられたのか。
話が逸れてしまうが、以前奈良盆地からそれを囲む山々を眺めたとき、ちょうど西に沈んでゆく太陽が幻想的な光を降り注いでいたことも相まって「しかるべくしてここは宗教都市になったんだな」と感じたことがあった。
最期の4つ目が「騎士道文化」だという。ジャンヌダルクは白い甲冑を身にまとい、常に男装だったという。さらに騎士道文化に憧れを持っていた。周アーサー王伝説の普及も相まって、囲の人間も当然に騎士道文化には愛着があったのだろう。ジャンヌダルクに付き従う兵士たちが出てきても何ら不思議ではない。
これら4つの要素が、百年戦争という「国難」にあるフランスにあって、国王シャルル7世(というより戴冠前の「皇太子」かー)も含めて人々の「想像界」で神聖な「ジャンヌダルク像」が形作られていったのだろう。
ジャンヌダルクは「利用された」
ランスでの戴冠後、シャルル7世はジャンヌダルクをものの見事に見捨てることになる。
その後、処刑裁判ののちにルーアンの地で火刑に処されることになる運命を知れば、シャルル7世がジャンヌダルクを「利用した」のだろうと推測することは容易だ。
いくつか筆者の引用を通じて、当時の雰囲気をつかんでおきたい。
さて、ジャンヌダルクが処刑されるとどうなるか。シャルルの正統性が失われていく。なぜなら、シャルルを体感させたのは他ならぬジャンヌダルクであり、悪魔によって戴冠された王もまた悪魔であるとの論理が成立してしまうためだ。
そこでシャルルが何をしたかというと「復権裁判」を求めたのだ。どこまでもジャンヌダルクを利用するその政治力に、頭が上がらない。
ジャンヌダルクの行動力
いくら神の「声」を聞いたとしても、辺境の小さな村から大冒険をしようという気にはならないと思う。
それも10代の女性が一人で。
処刑裁判の際、ジャンヌダルクは「自分は19歳だと思う」と答えていたらしい。当時は今でいう「年(year)」の概念はないはずで、記憶が曖昧なのは時代性だ。
しかも彼女は国王への謁見を求める道中、乗ったこともない馬に騎乗して長い道中を乗りこなしている。そして、指揮をとる。
シャルルがランスに行くべきか迷っているとき…
ある戦いを前にして王の顧問会議が紛糾しているとき…
長々と議論をするのではなく、とにかく行動する。皮肉なことに、ジャンヌダルクは利用されたにもかかわらず、自らの利用価値の「賞味期限」も意識していたのかもしれないと勘繰ってしまう。
ジャンヌダルクが勇気を与えてくれるのはなぜか。
ジャンヌダルク流の「運(luck)」
突然だが、運とは何だろうか。
私はどちらかというと無神論者に近いと思うが、それでも運を語るとき、「神のようなもの」の存在を意識せざるを得ない。大学受験や就職活動の最終面接では、どうしても神性な力を感じてしまった。
ジャンヌダルクの処刑裁判の答弁の中で、運と神について考えるヒントが隠されていたため、ここに引用する。
今風に言えば、努力をするから報われる、ということになるだろうか。
See you soon…