短編小説「眠れない夜は、気楽亭へ」その6
車たちのライトと、デパートの明かりがきらきら輝く夕暮れ。
大きな交差点の真ん中に、私は立っていた。
人も車も、私を通り抜けていく。
ここは私の夢の中だから、普通ならありえないことも、こうして当たり前になる。
京都河原町駅の、地上に上がった目の前にある、この交差点。ディズニーストアやエディオンや、高島屋の煌びやかな光と、外国人観光客の多さで、何だか異国に来たように思えてくる、そんな、どこか不思議なところ。
ここは私にとって、本当に大切な場所だ。
暫くぼうっと、街の流れを眺めた。
学校帰りの高校生、子供連れの観光客、飲み会へ向かうサラリーマン。
誰ひとり私に気づかず、楽しげに通り過ぎていく。
夜の色は少しずつ世界を包み込んでいく。このまま私も、闇に溶けていってしまうような、そんな気がした、その時だった。
「よっ」
頭上で、懐かしい声がする。数ヶ月会えていなかった、彼の声だった。
顔を上げると、ビルの3階くらいの高さのあたりに雲が浮かんでいた。彼はそこから顔を出して笑っていた。
雲は水蒸気だから、その上には乗れないはずなのに。いくら夢だからってこんな、まるでおとぎ話じゃない。
私は驚いて声が出ず、ぱちぱちと目を瞬かせることしかできなかった。
彼がぱちんと指を鳴らすと、彼のいる所から私の目の前へと、雲の階段がぽんっと現れた。
「早く来いって。ここからの眺め、最高だぜ」
尚も動けない私に、彼が声をかけてくる。それでようやく私は一歩踏み出して、階段に足をかけた。
ふんわりとしているようで、それでもどこかしっかりしている不思議な感覚が、足から伝わってくる。ところどころ透明だから、落ちるんじゃないかと心配だったけど、これなら大丈夫そうだ。私はもう片方の足を踏み出して、階段を上りはじめた。
彼のいるところに着いたら、彼がすぐ下を指差してくる。それに従って目線を下げると、宝石のように輝く河原町の景色が広がっていた。
「わぁ……!!」
空を流れる雲はいつも、こんな世界を見ているんだ。
色とりどりの光が動いて、まるで流れ星のようで。
私の大好きな場所が、もっと綺麗で大切なものに見える。
今夜の気楽亭は、夜の帳がおりた河原町の上空にオープンしたのだった。
ひとしきり街を眺めてから、私はカウンターチェアに座って、感嘆のため息をついた。
「気楽亭って、いつも本当に素敵なところに連れてきてくれるよね」
「中でも今日は、特別だろ?」
グラスを拭きながら、彼が笑う。
私は微笑みながら頷いて、口を開く。
「うん。……私が応募した小説の、ラストシーンの場所だもんね」
初めて完結させたオリジナル小説。初めて出したコンテスト。
最終結果はまだわからない。でも、授賞式の日程を考えると、ダメだったんじゃないのかなぁ、と個人的には思っている。
正直、かなり落ち込んだ。でも、仕方ないかなぁ、という気持ちもある。
時間はかかるかもしれないけど、初めてにしては大健闘だったと思えるようになりたいし、これまで作品を読んでくださって、応援してくださった全ての方々への感謝の気持ちも忘れたくない。
小説を書き始めた当時は、小説を読めない状態が治っていなくて、寝込む日も多くて。
それでも書きたくて、締め切りギリギリまで頑張った。
文字通り、全身全霊で取り組んだ。
物語の紡ぎ手に私を選んでくれたキャラクターたちには、結果を出せなくて申し訳なかったけれど。
書いて良かった。出会えて良かった、と思う。
小説の構想段階から、ラストシーンはこの河原町の交差点にする、と決めていた。
どうしてだったのか、当時はまだわからなかったけれど、書いているうちになんとなくわかったのを覚えている。
そういう”偶然の一致”というか、”現実とフィクションの一致”が、今回書いた作品には沢山あって楽しかった。
重要人物たちが持つ、二つの勾玉と同じ色のものを、神社のおみくじで手に入れた。
散策中に出会ったお香の銘が、主人公の名字と同じだった。
中間発表の数日前に彩雲を見て、発表当日には嬉しいことが沢山あった。
初めて書いた小説は、「書く苦しみ」よりも、「書くことの楽しさ」を教えてくれた。
いつかこの経験を振り返った時に、温かい気持ちで心が満たされたら嬉しいな、と思っている。
「ほい、今日のおすすめ」
彼が出してくれたのは、可愛らしい桃色のカクテルだった。あぁ、これはきっと。
「ベリーニ?」
「大当たり」
彼がぱちりと片方を瞑る。
「すごい、初めて飲む……」
今まで、飲みたいと思いながらもチャンスが来なかった、私にとっては特別なカクテルが今、目の前にある。
カクテル言葉は何だっけ?私が必死に思い出そうとしていると、彼が笑って教えてくれた。
「『歓喜』って意味だぜ、それ」
「え……」
歓喜。
あぁ、そうなんだ。
やっぱり彼は、すごい。
彼じゃなかったら、こんなことできない。
もし私の知り合いがここにいたら、コンテストに落ちた私にベリーニなんて、と思ったかもしれない。
でも、これでいい。これがいい。
だって私は、ここまで頑張ってきた自分を、どこかで認めてほしかったから。普通の人よりもできないことが沢山ある私が、それでもここまでできたことを喜びたくて、でもそれがまだできない自分がいるから。
誰かに、「完走おめでとう」って言われたかった。「頑張ったね」って、言われたかったのだ。
視界が涙で滲んだ。悲しみではなくて、心からの喜びの涙。
私は何て幸せなんだろう。小説のラストシーンのその先で、祝宴が待っていたなんて、思いもしなかった。
それに、主人公が命をかけて守ろうとした少年の好物は、桃スイーツ全般なのである。彼は未成年だけど、大人になったらきっとベリーニを好むと思う。
目の前で笑っている彼には頭が上らない。ここまで考え尽くされた労い、私には到底真似できない。
「ありがとう……!!」
涙を拭いながら、感謝の言葉を伝えると、彼はしっかり頷いてくれた。
その時、きらり、と虹が出た。
ベリーニが注がれたグラスの脚が、河原町の光を反射して、カウンターテーブルに小さな虹を映したのだ。
そして、ぽんっ、と小さな音を立てて、”花まるの花”が現れた。
紫色の、季節外れの、あやめの花。
主人公の名前と、同じ花だった。
「おめでとう」
自分の分のベリーニを注いだ彼が、こちらにグラスを向けてくる。
あやめの花をぎゅっと抱きしめて、私もグラスを手に取った。
「「乾杯」」
夜空に浮かぶ月に向かって、私たちはグラスを掲げたのだった。
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