【1話完結小説】見知らぬ町の見知らぬ小道で
時間が有り余る土曜の午後。私は徒歩で、5歳の息子は小さな自転車で、散歩に出た。
いつもと違うコースを辿ってみると、町外れの河原沿いに廃屋を見つけた。周りはぐるりと春光を照り返しキラキラ光る田んぼ。蝶々。色とりどりの道端の花。のどかな空気の中、平屋の廃屋は伸びきった草木に囲まれ、そこだけ暗い影が色濃く満ちていた。屋根瓦にまで雑草が蔓延っている。朽ちたエアコンの室外機が物哀しい。
廃屋をじっくり観察したかったが、息子は先へ先へと進みたがる。私は彼を小走りで追いかけた。
この道の先には老人ホームと農家が数軒あるだけのようだ。およそ町内の人間しか通らないであろう小道を、我が物顔で突き進む息子。子供は何と無邪気で縛られない存在なのだろうか。
ふと振り返ると、ノロノロと低速でこちらに向かってくるパトカーが目に入った。そういえばこの場所に来る前、公園の出口でもパトカーを見かけたことを思い出す。ウイルス感染防止の為、出歩く人が減ったこの町を警らしているのかも知れない。それにしても、パトカーを見ると無意識に背筋が伸びてしまうのが我ながら可笑しいものだ。
小さな自転車で一生懸命前を行く息子に、
「ほら、パトカーだよ。」
と声をかけたが、彼が振り返る直前、パトカーは丁度方向を変えて農家と木々の陰に消えた。対象物を見つけられなかった息子は
「いない!どこ?もう!見たかったのに!」
と途端に不機嫌になる。こんな事なら黙っておけば良かったと、面倒臭い気持ちになった。
私は段々、自転車の息子を小走りで追う事に疲れてきた。お出かけ中はお母さんからあまり離れないでね、と再三言い聞かせているが一向に改善しない。子供というのはこんなものだろうか。それとも私のしつけ方が良くないのだろうか。思わずマスクの中でため息をつく。
とりあえずこのウイルスが収束したら自転車屋に行って自分用の自転車を買おう。そんな事を考えていると、少し高い位置、河原の堤防上にタイミング良くパトカーが現れた。私はすぐに息子を呼び止め、走り去るそれを二人で見送った。
パトカーをしっかり見る事ができて息子の機嫌も直り、また小道を進む。農家の庭ではお婆さんが草むしりをしている。相手はずっと下を向いているし、この町内の人間でもない気まずさから、私はそのまま通り過ぎることにした。歩調を早める。しかし息子は元気に
「こんにちは!」
と叫んだ。聞こえなかったのか、お婆さんは顔を上げなかった。
視線の先、農道の細い道をまたパトカーが走っている。少し気味が悪くなってきた。こんな静かな町内をぐるぐる警らする理由はなんだろう。高齢者が多いから重点的に見回りをしているのだろうか?
私の周りを黒い羽虫が何匹も飛んでいる。鬱陶しいなと思いながらも、パトカーから目が離せなかった。
パトカーはゆっくりとこちらに向かって来た。息子は
「またパトカー!」
と無邪気に私を振り返る。堤防の方から別のパトカーが走って来るのも見えた。…何だろう、何故だろう、何かがおかしい。状況が飲み込めぬうちに、気づけば私達は数台のパトカーに取り囲まれていた。
それはまるで白昼夢のような光景だった。私達の前方に停車したパトカーから警官が降りてきたかと思うと、いきなり息子を抱き抱えた。乗っていた自転車がガシャンと地面に倒れる。一緒に買った青い自転車、気に入ってたのに酷い…と、ぼやけた頭の片隅で思う。不安気に警官の腕の中で固まる息子。別の警官が後ろから私の肩を掴んで言った。
「シライユメコだな、誘拐の容疑で逮捕する」
…誘拐?誰が誰を?私が息子を?息子は息子?私の息子?本当に?そもそも私の名前はシライユメコだっただろうか?息子の名前は…何だっただろうか?頭が真っ白で上手く考えられない。
ウイルス対策の為、警官は皆マスクを付けており表情が分からない。この人達は何を根拠にこんな事をするのだろう。もしかすると全てが夢で、私はもうすぐ目覚めるのかもしれない。だとしてもいつ覚める?
パトカーに乗せられながら、青い自転車と息子を交互に見る。名も知らぬ息子は、泣いていた。あっという間にドアが閉まり、パトカーが走り出す。廃屋のエアコンの室外機が流れてゆく。私は体を後ろに大きくよじり、遠ざかる見知らぬ町の見知らぬ小道をいつまでも見つめていた。
end
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