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第27回 村長散歩日記【日常散歩編】 230903(週末配信)
(島田啓介マインドフルネス・ビレッジ村長による村長日記です♪)
栃木県の那須高原に行ってきましたが、昼間は高原らしからぬ暑さが残っていました。それでも朝晩の風はすっかり秋のものです。季節はつねに移り変わりめぐるもの。私たちも出会い、別れながらやがては還っていきます。
ビレッジは村外向けの参加自由のイベントもあります。興味を持ったらぜひいらしてくださいね。
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【第27回:ていねいな出会いが道をひらく】
*コロナの間に知ったのは「止まる」ことだった。それ以前には、周りに家がほとんどない緑に囲まれた里山に住みながら、ほぼ毎週外に出かけていたのである。
突然、すべての仕事がキャンセルとなり、オンラインに移行した。一日家にいることになる。妻もヨガ教室をオンラインで行っていた。毎日出かけるのは当時小学生だった息子くらいだ。そういう状態が続くと鬱屈してくる。
外出で受ける刺激にいかに依存していたかに気づいた。とりわけ出先での出会いだ。多くの人と会い、それが次の刺激を生み、縁をつなぐ。もちろん良いことなのだが、何分にも忙しすぎた。そのぶん自宅の畑は放置されて荒れた。
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何のために山中に引っ越したのだろう?自問するときがあった。環境と行動がかけ離れていたのだ。
そして、コロナになった。行動が停止すると、皮肉なことにすべてが一つにまとまって落ち着いた。久しぶりの帰郷という感慨である。
期を同じくして、生まれ故郷の群馬に戻り、生家の掃除を始めた。大きな家屋敷と広大な敷地に、毎月友人たちが手伝いに来てくれた。一人ひとりと泊まり込みでじっくりと話す機会が持てた。
ぼくの仕事は講座や講演で多くの人と出会うから、一対多数の関係が多くなる。しかしその頻度がかさむと、余白を味わう「間合い」が少なくなる。ぼくの側はひとりだから、つねに気を働かせていなければならない。
たっぷりと沈黙を含んだ流動的な時間が必要だった。ひとこと話しては相手の言葉に耳を傾け、お互いに沈黙したり考え込んだり、進んだり立ち止まったり戻ったりして、時間は様々な方向へ進み、または拡散し凝集する。生家の古民家再生のゆるい合宿の日々からは、そうした時間が与えられた。
それから「もうひとつの故郷」神奈川の丹沢山中に戻ってくると、体が畑の土になじみやすくなっていた。自分の「フィールド」に帰ると、その基盤が沈黙であることがわかった。
最近不思議なことに、毎週のように誰かしら親しい友人が訪ねてくる。星のめぐりなのだろうか? 用事があるわけでなく、ましてや仕事の打ち合わせではない。ただ会いたいから、訪ねてきてくれる。それだけで十分で、それがうれしい。会うことで何かに発展しなくても、ただ来てくれることがうれしく、一緒にいることで充足する。
そうしてゆっくりと、ていねいに言葉を重ねるように話す。散歩したり、木登りをしたり、温泉に行ければなおうれしい。そうした喜びを味わうのは、掛け値なしの豊かさだ。キリストが「天に宝を積む」と言ったのは、このことではないかとさえ思える。必要なことはすべて与えられている感覚だ。
ていねいに一人ひとりと、一つひとつと出合うこと。「そこにいること」。生まれてきた意味はそれなのかもしれない。より多くではなく、よりじっくりと共にあること。そこから、おのずと道は開かれてくる。動くべきとき動くよう促される。そうして次の旅が始まるまで、焦らず待てばいいのだ。
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