言葉を纏う。
僕らの周りには
『言葉』が溢れている。
時に,その波に飲み込まれそうな程に。
僕らの周りには
多様な『価値観』で溢れている。
時に,自分の軸がブレてしまいそうな程に。
でも,そんな
数多の言葉(価値観)に晒されていることと,
どんな言葉(価値観)を纏うかは
全く別の話だ。
世に出回っている
流行りの服を“認知”していることと,
それを着るかどうかは別の話でしょ?
大切なのは,選ぶこと。
自分の意思で,選ぶこと。
ところで,
僕らが普段口にしている言葉の
どれ程のものが『内なる言葉』だろうか。
もしくは,『ゼロから生まれる言葉』だろうか。
答えは恐らく,一つもない。
僕らは,
意識的・無意識的に取り入れた
言葉(価値観)の数々を織り交ぜて,
あたかも自分の言葉(価値観)かのように
振る舞っている。
でも,言葉(価値観)とはそういうもの。
名曲と呼ばれる数々のメロディだって,
細かく紐解いたら,
きっと過去の名曲の面影があるでしょ?
まぁ,大抵ひとの涙腺を刺激する「波長」って
同じだから。
要は,
僕らの『選択』は,
“ゼロイチ”の作業ではなく,
“一から百”への作業なんだと思う。
粘土が何もないところから
“粘土作品”は作れないけれど,
そこに粘土さえあれば
どんな粘土作品でも生み出せる。
この喩えで伝えたい大切なことは,
「素材が何なのか」ということよりも
「どんな表現をするか」ということ。
だから,
引用を除いて,
君が今,口にしている言葉は
紛れもなく「君の言葉」といえる。
だからこそ,
「自分の言葉」に責任をもとう。
さぁ,
明日は
どんな言葉を纏って,旅に出ようか。