ネットリテラシーが決して高くはない僕が, スマホ一台でNFT購入までに至った道のり を教えます。 まず伝えたいことそもそも,“なぜ”ネットリテラシーが決して高くはない僕が,いくつものハードルを乗り越えてNFTを買おうと思ったのかをお話しします。 最初に結論を言うと, 加速度的に進む時代に ついていきたいと思ったからです。 それは 「未来に向かう列車の最前席から その新たな景色をこの目で見たい」 というある種の欲求のようなもの。 そもそも僕は, 日常の中ではなかなか
今回は 「NFTの作り方から売り方」 スマホ一台で完結する方法をお伝えします NFTを買ったことがある人なら, 一度は自分のNFT作品をつくってみたい! と考えると思います。 自分の作品がお迎え(購入)される という経験は, 唯一無二の価値になるので, ぜひ一度は挑戦してみて欲しいです。 「そもそもNFTを買ったことがないよ」 という人は, こちらの記事を参考にしてください↓ さて,NFTの作り方から売り方までは 主に以下の通りです。 1.コレクションを作る。NFT
いつも何かに憧れていた。 小さな頃は仮面ライダー。 正義感溢れる姿に心が躍った。 青春時代は, スクリーンの向こうの役者や, ステージの上でロックするアーティスト。 華やかな世界に夢を膨らませた。 いつも何かに憧れていた。 何者かになりたかった。 そもそも「何者かになる」とは どういうことだろう。 最も分かりやすいのは, いわゆる認知度や人気度みたいなものを獲得した 「有名人になる」ことかもしれない。 でも果たして, 世間に対して影響力をもつような人や, 偉人と
僕らの周りには 『言葉』が溢れている。 時に,その波に飲み込まれそうな程に。 僕らの周りには 多様な『価値観』で溢れている。 時に,自分の軸がブレてしまいそうな程に。 でも,そんな 数多の言葉(価値観)に晒されていることと, どんな言葉(価値観)を纏うかは 全く別の話だ。 世に出回っている 流行りの服を“認知”していることと, それを着るかどうかは別の話でしょ? 大切なのは,選ぶこと。 自分の意思で,選ぶこと。 ところで, 僕らが普段口にしている言葉の どれ程のもの
僕らは秒単位で『選択』をしている。 例えば今この瞬間も, 君は,好きなあのアーティストの新曲のMVを観ることを選ぶこともできたにも関わらず, 僕のこのエッセイを読むことを『選択』した。 (ありがとうございますめちゃくちゃ感謝しtm) 要するに『選択』とは, “選んだもの以外を捨てる”ことと同義だ。 もちろん君は,このエッセイを読み終えてから 今頭に浮かんでしまったあのアーティストのMVを観ることができる。 でも中には, 文字通り“どちらかしか選べないもの”もある。
始める理由。 続ける才能。 終える意味。 僕らはこの螺旋を繰り返しながら 人生という階段を昇ってゆく。 その先に何があるのかは知らないけれど。 きっと, 少しでも見晴らしのいい景色を 見たいのだろう。 昨日よりも。 そして, 今日よりも。 何か新しいことを始めるよりも, 終わらせることの方が難しかったりする。 それはきっと, これまで“続けてきた日々”が, 後ろ髪を引くからだろう。 でも, そもそも この“続ける”ということが一番難しい。 人間の意志力はたかが知れ
それはどんなことだろうか。 エコバッグを持ち歩くこと? 公園でポイ捨てをしないこと? それとも積極的に寄付すること? 多分どれも正解。 要は, 未来への『種』を撒こうとする意識を もてるかどうかということ。 それは, 「今ときちんと向き合うこと」 とも言えるかもしれない。 僕にはひとり娘がいる。 彼女が生まれてから,世界の見え方が変わった。 公園にポイ捨てしてある吸い殻は 眉間にしわを寄せさせるし, 公共施設の男子トイレのオムツ替え台は 日本という国を誇らしくさえ
それは使い古されたハッシュタグ。 “ファインダー”とは覗き窓のこと。 標準,広角,望遠,マクロ,そしてオールド。 カメラには様々な種類のレンズがある。 そのレンズによって撮れる景色は千差万別。 それは正に十人十色の価値観のよう。 “心のファインダー越しに見る世界”は, 自分次第ってこと。 2022年1月現在, 僕は“6つの選択肢”を持ち歩いている。 あ,6種類のレンズってことね。 正直荷物が増える。 でも手放せないんだ。 “執着から自分を解き放つことが幸せへの道
僕は鬱と診断された。原因は,その症状の別名でもある「環境適応障害」。異動した職場(学校)にうまく適応できなかったんだ。 自覚はあった。前の学校ではある程度の成果を挙げ,それなりに自信もついていた。だから,前評判の悪い学校でもやっていけるだろう,と。 でも違った。これまでの自分は通用しない。日に日に焦りと不安が全身を蝕んでいく。「新たな自分に成らなくてはいけない」と,“らしくないこと”をすることを余儀なくされた。いや,今思えば自分で勝手に“そう”していた。自分が「信念」とし