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二つの舞台裏、が舞台の話

夢の中みたいだ。

横浜駅から神奈川芸術劇場へ。
1時間程歩くと到着。

まもなく開場時間。

今回の演劇は、舞台の奥が屋台になっていて実際に十軒ほどの店が食べ物や飲み物等の販売をしている。

買ったものは、舞台の中に開演前だけに作られた角打ち風の場所で飲み食いしていい。さらにほとんどの座席でも可。

そのために普通は開場時間が開演の30分前なのに、45分前に開場される。

私が着いたのが1時間前なのに、びっくりする程、入場を待つ人が並んでいた。

みんな屋台目当てだ。

館内が暑いので(一人だけ)半袖で並んでいると、サングラスを着けてスラッとしたスタイルで、かっこいい服を来た男性に声をかけられた。

「ふじ天さんじゃないですか!」

俳優さんか?ヤバい仕事の人か?
サングラスを外すと、西尾久の揚げ物屋さん。

「ああっ!」と声を出すと、目の前の椅子にもお互いの知り合いの若者。

「あっ、トイレでずっとスマホを見て出てこなかった奴、お前だった(笑)!」思わず叫ぶ。

伸び盛りの若者。久しぶりに会って大人びて分からなかった。

自分は一体何処にいるのだろう。
横浜、それとも西尾久?

時間になり中に入ると、まず神奈川芸術劇場の総監督の長塚さんが、お客さんを迎えてくれる。

屋台にはどんどん人が入ってくる。

私はビールだとトイレが近くなるので、日本酒と決めていた。

「どうせ半合ぐらいだろう」と日本酒を頼むとワンカップだった。

昼から3時間の演劇を観るのにワンカップか!と思いつつ焼き鳥も買い、舞台の中心部にある一升瓶ケースを逆さにしたものに座って飲んでいると、舞台関係者が、「どうぞどうぞ、こちらの舞台設備に腰を下ろして、このケースは机にしてください。」と言う。

「え〜、本当に良いんですか!」

仰天してしまった。

不思議な気分になりながら飲んていると、先ほど並んだ時に出会った知り合いがみんな集まってきて、角打ちよろしく久しぶりに話ができた。

もう、これだけで一つの舞台だ。

屋台をやっている人達も生き生きとしていて、もともとお店を営業している人達が出店しているけれど、販売をしているのは演劇の人達なんじゃないか、というくらい表情が豊かで明るかった。


にぎわい
舞台が終わってしまったら消えてしまう、
夢のような儚さがまた良い。

開演時間が近づいてきた。

トイレに行っておかなくては。

みなさんにつかの間のお別れを言って立ち上がると、あれっ、あれっ、って言うくらい有名な俳優さんや著名人が普通に歩いていた。

自分が舞台の上をほろ酔いで歩いていると、夢の中にいるみたいだ。


舞台袖から席を眺める
こんなところに立ったら、
普通、セリフなんか忘れるよね

トイレから自分の本来の席に向かう。

席から舞台を眺める。
真ん中のオブジェは基本的に船を表しているが回転させると、色々なものに見えてくる仕掛けが凄かった。
舞台の一番大切なセットに腰を下ろして飲食をする観客たち。観客なのに観客席から見られている仕掛け。
これまた夢を見ているよう。
屋台の一部には、能登の震災で倒壊して使われなくなった建具も利用されていた。

舞台が始まった。

炭鉱の町の荒々しい人足と、彼等を扱う組同士の勢力争いが一つのテーマ。

以前、司馬遼太郎の「菜の花の沖」で、船の運搬業者同士の勢力争いを読んでいたので、「こんな感じだったのか〜!」と興味深かった。

各地の方弁が飛び交う。

出演者の方に西日本の方が多いのか、すごくセリフがリアルだった。

まるで北九州の炭鉱の荒くれ者の喧嘩の中に、自分が放り込まれてしまったかのような恐ろしさ。

登場人物が多いのと、乱視で遠くの席から観ていることもあり、誰が誰だか前半は、分からなかった。

そんな中で安藤玉恵さんの演技は唯一無二で、存在感が見事だった。

喧嘩っ早くはあるが仕事ができて、男も恐れぬ態度で当たり前のように朝から晩まで仕事をこなし、必要以上には出しゃばらない。あくまで縁の下の力持ち。

何ヶ月か家からいなくなって彼女が舞台上に出てこなくなるシーンでは、もちろん演出でもあるんだけど、なにか落ち着かなくなり、寂しくなる。

太陽が落ちたように。

北九州の炭鉱の町で一旗揚げた男の話でありながら、彼を支えた、喧嘩っ早いが純粋に生きた女性の話でもあり、それを見事に演じられていた。

人生にも舞台裏がある。

男を立たせる為、舞台裏をしっかり支える女性の姿に、実際に家庭を守ってきた観客の感情移入のすごさを感じた、

すごいなぁ。

 ◇ ◇ ◇

神奈川芸術劇場の総監督が長塚 圭史さんに代わられる時に、コロナが発生し、芸術劇場の人と一部の飲食業の人が非接触で話す機会があり、どんな時代にも演劇と飲食は無くならないという言葉を、演劇側の人が言われていた。

また、街に対して開かれた劇場でもありたいと、長塚さんは語られていた。

今回の、屋台入りの飲食自由のこの舞台は、まさにその初心を貫徹されていて感動した。

演劇をする側が見せたいもの、観劇をする側が見たいもの。

その両方を徹底的にすり合わせて、ストーリーを作り上げ、稽古をして、屋台と共に不可能を可能にさせた劇場関係者みなさんの努力を思う。

観客を信じ、想像を絶する大変な思いをされながら、大きな劇場では前代未聞の屋台ありの舞台を、まさにいま運営されている神奈川芸術劇場のみなさん。

本当に素晴らしい時間をありがとうございました。

舞台裏の舞台裏まで、すべて舞台でした。

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