祖父・父から引き継いだ「福祉の魂」現代版に。キャンパーが集う“場”の意味【野遊び浜キャンプ場】
大分県の北東部、国東(くにさき)半島の南部に位置する杵築(きつき)市。北西部は山香三山と呼ばれる山々、東南部には別府湾が広がり、市街地には武家屋敷などの江戸時代の町並みも残る地域だ。
そんな城下町に誕生した「野遊び浜キャンプ場」。40万平方メートルの半島全体が観光リゾート施設になる「住吉浜リゾートパーク」の一画にあり、キャンプ場の眼前には別府湾を望む海岸線が広がっている。テントスペース用に貼られた芝生のすぐ目の前には焚き火もできる砂浜が。キャンプ場入り口付近に登場するペンタゴンタープ(共用炊事場)など、自然とスタイリッシュなデザイン性のある空間と豊かな自然は“SNS映え”の宝庫だ。2022年10月に誕生した現代的なキャンプ場は口コミを聞きつけたキャンパーで早くも賑わっている。
そんな地域に新しい風を吹き込む施設を運営するのが、大分県で障がい福祉サービスをメインとする社会福祉法人「博愛会」。県内広域で地域振興と社会福祉を同時に担う同法人に、長きに渡り社会課題と真摯に向き合ってきた歴史と地域福祉についての思いを聞いた。
戦後から目の前の社会課題に立ち向かう社会福祉のパイオニア
「戦後混乱期の別府市で街中にあふれていた浮浪者への住宅支援を祖父がはじめたことが博愛会の生まれたきっかけです。『生活の困窮が招いた犯罪を裁いても貧困という根本の問題を解決しないと意味がない』と考えた祖父は検察庁という安定した職を辞し、私財を投げ売って支援に乗り出したと聞いています」
そう話すのが、「博愛会」で広報を担当し、同法人が運営する「第一博愛寮」で施設長を務める釘宮謙悟さんだ。「私から見たら、ただ優しいおじいちゃんでした」と釘宮さんは言う。祖父の釘宮謙司さんの浮浪者への献身的な支援は、「社会が次第に安定していく中で最後まで復興から取り残されていた障がい者」へと対象が変えながら続いていった。この利他的な活動が、現在では同法人が運営する施設のサービス利用者約500人に及ぶ障がい者の生活基盤の礎を築いている。
障がい者の就労の面に支援を広げたのが現理事長であり謙悟さんの父・釘宮卓司さんだ。1975年に大分県竹田市久住町での「福祉農場コロニー久住」での農業への取り組みを皮切りに、大分県内各地で就労系の施設を開設した。
「『障がいを持つ人たちの働く場所を作りたい』と北海道に農業の修行に出ていた父は、帰郷後、大分県の久住という自然豊かな土地で就農事業をはじめました。職員と利用者の皆で力を合わせながら、土地を開墾する段階からスタートし、その様はまさにドラマ『北の国から』さながら。トマトを作っては町に売りに出て、最盛期の農産物の年間売上はなんと1億円に上ったといいます。その貯めたお金で大分空港からチャーター便を手配し、みんなでハワイ旅行にも行ったんですよ」
1990年に開設した日本初の農業と観光事業を併せ持つ福祉工場「パルクラブ」、2006年には弁当製造やクリーニング業務などを展開する「キッチン花亭」などの就労施設を次々と開設。今では事業ごとに様々な仕事を用意し、利用者それぞれの障がいの度合いに応じた働く居場所を提供している。
「戦後の不安定な時期にはじめた祖父の活動も徐々に社会の理解が追いついてきて、後に国からの支援を受けられるようになったと聞きました。農業と福祉を合わせた父の取り組みは結果的に今注目を浴びている『農福連携』の第一号になり、国の福祉政策の制度設計にも影響を与えています」
「博愛会」の理念は「人の喜ぶ顔を見て喜びなさい」。そのことにただ真摯に向き合ってきた、やさしさと驚くべき行動力が、国の制度まで変えている。
デザインの力で広がる可能性
住吉浜リゾートパークから車で5分ほど離れた場所にある日本最大級のカキ小屋「KITSUKI TERRACE(キツキテラス)」。のどかな城下町に突如現れるモダンなデザインの店舗、そして家族連れやカップルなど多くの人で賑わう、その活気には、車で通り過ぎた時に思わず二度見してしまったほどだ。大分産の大柄の殻付きカキをはじめとする新鮮な海の幸を求めて、週末には数時間待ちの行列ができる地域屈指の観光スポットになっている。
「福祉事業にもデザイン性がもっと必要だと感じていました。そんな矢先に世界的に著名な建築家・坂茂さんの設計する、大分県立美術館のカフェの運営を、これまでの事業の実績を認められて任せてもらえることに。カフェのデザインを手掛けたデザイナーとも、この機会を逃さず繋がりました。これをきっかけにして、『キツキテラス』や『野遊び浜キャンプ場』のデザインを手掛けてもらっています」
前職のマスコミ業界で10年間ほど働き「人がどのようなものを求めるか」を東京で考え続けてきた謙悟さん。その経験を活かして、福祉業界では軽視されがちな“デザイン“と“広報”という要素を加えることによって、より魅力的な事業にブラッシュアップしている。
博愛会の就労施設では「利用者に払うお金を最初に確定させ、そのお金が払えるように職員が工夫し努力する」という考え方を徹底することで、県内最大規模の賃金が確保できているという。
「『キツキテラス』の店舗建設では現場監督を施設長が務めるなど、経費を抑えるために自分たちでできることは何でもするスタンスです。私たちは障がい者雇用の拡大と、可能な限り高い賃金を利用者にお支払いすることを第一としています。利益追求が必要な一般企業に比べて原価を材料費などに回せるというメリットも生かしながら、どうすれば全員に賃金を払い続ける経営をできるかということを常に考えています」
祖父が基盤を築き、父が農業と就労を通じて発展させ、孫の謙悟さんが時代に合わせてアップデートする、福祉事業の可能性を広げる博愛会の活動の数々。社会福祉法人が経営する年間4万人を集客するおしゃれなカキ小屋を生んだ背景には、だれでも安心して働きがいのある環境を築くための覚悟ともいうべき経営方針があった。
職員と利用者の関係は、あくまで“仲間”である
大分駅のすぐ近くに立地する「博愛会地域総合支援センター」。2年間の寄宿生活と職業訓練を通して自立や就職を支援する「博愛大学校どりーむ」、障がい者の「働く」ことに関する相談全般を受け付ける「大分プラザ」などが一つのビルに同居している。地域福祉の拠点として大分市街地の中心部に構え、「障がいのある人たちも街の真ん中にいるべき」という同法人の想いを象徴している施設だ。
「職員と利用者は先生と生徒という関係ではなく“仲間”」と断言する謙悟さん。実際に卓司さんの時代では寝食を共にしながら農業に従事するなど、まさに二人三脚で事業を築いてきた歴史がある。その歴史を引き継ぎ「住吉浜リゾートパーク」では、レストランでの接客やホテル各所の掃除などの様々な業務を利用者それぞれの個性に合わせて担当。清掃が行き渡った炊飯場やトイレの様子を見れば、毎日丹念に掃除に励む懸命な仕事ぶりが伝わってくる。
「多くの利用者が活躍する『キッチン花亭』は県内の大型イベントで千食分の仕出し製造を請け負うなど、県内でも屈指の弁当屋さんになっています。年末など、忙しい時にお弁当の作業を手伝うことがあるのですが、利用者の揚げ物の盛り付けの早さとスピードには全く敵いません」
「博愛会」の就労施設では「障がい者が働いているという店」とは絶対うたわないという。「博愛会」が運営する施設に寄せられる多くの好意的な口コミの数々は、純粋なサービスの質や利用者を含めたお店全体の一生懸命な接客の良さが評価されたものだ。
大分県美術館のカフェや「キツキテラス」と、地域から注目を浴びる場での就労の機会は、従事する利用者自身のプライドの醸成やモチベーション向上にも大きく繋がっているという。「『キツキテラス』での仕事は土日祝日となると一息つく暇もないのですが、仕事が終わった後の達成感は格別です」と実に生き生きとした表情で話す利用者の姿が、今いる場所の“ど真ん中”で輝いていることを何よりも物語っている。
誰かの笑顔のために何度でも立ち上がる
自治体からの依頼を受けて経営破綻寸前だった「住吉浜リゾートパーク」の運営を引き継いだのが2010年。学生旅行や海外客を中心にした宿泊施設としてリニューアルし、事業を軌道に乗せていた。しかし、そんな順調だった事業に襲いかかったコロナ禍。その影響は深刻で、宿泊客がほぼゼロの状態になった時期もあったという。
「そんな落ち込んでいた時期に誕生した『キツキテラス』は、今では年間4万人が来場する地域を代表する人気スポットになっています。地域に人がもっと集まるような賑わいを作り出すために『野遊び浜キャンプ場』を計画しました。施設の職員と利用者が二日間にわたってキャンプ場の芝生を貼ったことは、法人や利用者双方の良い思い出です」
地域の魅力を生かしたキャンプ場の誕生を目前に、2022年9月に九州に上陸した台風14号の直撃というアクシデントがコロナ禍に続いて再び襲いかかる。
「波で道路も壊れ、キャンプ場全体に砂が被ってしまって、まるで火星のようでした。開業を諦めることまで頭をよぎりましたが、みんなで必死に熊手で砂を掻いて掻いて掻いて、予定より一ヶ月遅れで、ようやくオープンにこぎ着けました」
度重なる逆境に負けない頼もしさと行動力は地域の観光業も牽引する。卓司さんが「久住を盛り上げよう」といちご園や温泉施設を建設したように、謙悟さんも杵築市を盛り上げるべく、地元産の牡蠣を提供する飲食店による「杵築カキ街道」のブランディングを提案。自治体の協力も得て、地域一体となった施策が実現している。
「父はアイデアもやりたいこともまだまだ尽きないみたいです」と謙悟さんが話すように、「博愛会」の福祉事業は今後も止まるところを知らない。
「グループホームではパワーリフトなどの導入で職員の働きやすい環境作りや、障がい者の親亡きあとのサポート体制の構築にも取り組んでいます。入所施設や就労事業を今後もっと増やし、支援の輪を全国にも広げていきたいですね」
同法人の目指すのは「やさしさ日本一の社会福祉法人」。「実は都市のお年寄りの方が孤独を感じる人が多いんですよね」と不意に話す謙悟さんの視線は日々変化する市井の隅々にまで向いている。これからも誰かの笑顔に寄り添いながら、人にも地域にもやさしい挑戦を続けていく。