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言葉は扱うもの、使うもの

マガジン『ホームスクール、まなびのエッセンス』
9ノート目

Essence:語彙力

 「語彙力が豊富な人」にどのような印象を持つでしょうか。

知的である
教養がある
理解力がある

 極端な話ですが、例えば見た目だけでは国籍や出生地まではわからないものですが、「日本語を話す」ことはそれだけ「日本に近しい」と感じる要素になっています。それはどの国も同じようで、自国の言語を話して挨拶をかわす相手には非常に親しみを覚えるものです。その国の言語を少しでも理解しているということは、その国に「敬意を払います」「親しみを感じています」という意思表示でもあるわけですね。
 言葉が流暢なほど「言葉が通じる」のだと瞬時に感じとるものですから、「意思疎通ができる」領域が非常に高く広いと認識しがちです。それは警戒がひとつゆるむことであり、安心感を生む要素といえます。
 それゆえに滑舌が悪かったり、場にそぐわない言葉遣いが見られると、それを感じ取る側は、相手との意思疎通に不安を覚えてしまうのでしょうね。すると残念なことですが警戒心も高まってしまうことにつながるのかもしれません。

説明する力がある

 要約すると「語彙力が豊富である」ということは、説明する力があることを意味するかもしれません。これは言い換えると相手に伝える・相手から伝わる種です。私は「言葉」が好きなので、「言葉を獲得する」ことを、とても意識していました。

ベビー・サイン

 ベビー・サインを知ったきっかけははっきりとは思い出せませんが、学生の頃から私は手話に興味がありました。(いまだに習得ならず…。)それで関心が向いたのかもしれません。長男と次男はベビーサインのおかげで意思疎通を図ることを互いに知り得ました。「ベビーサインを使えば言いたいことが通じる!」ということがわかったんですね。たくさんのサインはとても覚えきれなかったので(私が)、ほんのいくつかだけしか使っていませんでしたが、それでもとても助かりました。

(「かゆい」「塗り薬を塗ってちょうだい!」の意味になります。アトピーっ子だったので。)
おやつ(「ちょうだい」「食べたい」の意味に。)
もっと(汎用性が高い!)
無い(「終わり」の意味にも。)
おいしい(感情を教えてくれることはとてもうれしいですね。)
寒い
暑い
痛い
(痛いところを指で指すので、とても助かります)
パンツ(「うんち・おしっこをしたよ」「おむつ(パンツ)をとりかえて」)
帽子(「帽子をかぶるよ!」「帽子を忘れないで!」という感じに。)
(「外に行きたいよ!」名詞として使ったことも強く印象に残りました。)

 これらはみな「言葉」なので、説明して教えることができません。その意味を発言すると同時にサインを使います。そうすることで学び習います。末っ子のときは、上の子たちが「口で教えてしまう」のでベビーサインは使えませんでした。教えるというのは「「おいしい」は、ね、こうするんだよ!」と指導することです。これでは赤ん坊が「言葉として理解」するには難しいですね。ただ「動作を真似する」だけになってしまって、意味とつながらないのです。
 言葉は意味と同時に認識するから理解できるんですね。


こちらもつながっています。

 こどもが語彙を獲得している様子はその発想にハッとする部分があります。知っている語彙を組み合わせて新しい語句を創作してしまう才能は、本当にすばらしいですね!


紙とエンピツと辞書はリビングに

 私が育ってきた環境でもあるのですが、なにか疑問が生じると、かならず「紙と鉛筆を持ってきなさい」が父の言う事でした。父は戦後の沖縄で、おそらくは教師の数が少なかったであろう時代に、学生でありながら教師の代わりに授業をしていたことがあったそうです。経済的な事情で、幾度も学校を休学して、働いてはまた学校に戻るということをしていたため、その労働経験から工業の現場の技術のレクチャーを任されることがあったそうですね。教科書と違った実践からくる工夫が、当時の同級生の実と実になったことでしょう。そしてたぶんもともと「教える」ことが大好きな資質があったようです。「教え上手」な人はいるものですね。頭で考えるよりも、書いて見せるほうがより情報が整理されて、理解が早かったのです。

 頭で考えるより「まずはやってみる」のもそれに通じています。これは「こうなるんだよ!そうなるんだよ!やればわかる」の目の前で起こる事象(結果)そのものを受け止める考え方です。私は「理屈」や「道理」を知りたがったので、それでもやっぱり「なんで?」とよくひとりで唸っていたものですが。

 「調べる」習慣は、まず「辞書を引く」が一番身近なものでした。そのために辞書は「おもいついたら手の届く場所にある」のが必須条件です。リビングに置く三種の神器は「紙・えんぴつ・辞書」ですね!
 私の時代では紙の辞書ですが、私のこどもたちでは電子辞書でした。その感覚は紙の辞書に慣れている者にとってはとても理解できるとは言い難いものでしたが、どうやらとても使いやすかったようで、こちらが感心するほどにはよく手に取っていました。また紙の辞書だと自然と「五十音順」も覚えこむものですが、電子辞書では入力のためのローマ字を覚えます。電子辞書は多機能なので、豆知識も増えますね。
 紙の辞書は探したい項目の前後も目に入るので、そこから範囲が拡大して豆知識が増えるというプロセスがありましたが、電子辞書はそれはそれでまた違った方法があるようです。
 辞書は「辞典・事典」を揃えます。あとはみんな大好きな「図鑑」ですね!それに「絵本」です。(絵本はステキ。だいじ。このお話はいずれまた。)

大辞林
国語辞典
漢和辞典
漢字事典
生物事典
さんすう事典
くらべる図鑑

世界地図(ポスター、地図帳、絵本)、地球儀
日本地図(ポスター、地図帳、絵本)
地理図表
地学図解

教科書の副読本(資料集)

 紙とエンピツは、「ホワイトボードと水性ペン(3色~)」が主流ですがコピー用紙とえんぴつ、ボールペン、色鉛筆、水性ペン、油性ペンがまとまってあります。ホワイトボードは「気軽さ」が上回ります。紙のサイズより大きなサイズを用意することが容易なのもいいですね。
 あまり読んでいる姿を見た覚えは無いのですが「ことわざ」をよく知っているので、五味太郎さんの『ことわざ絵本』は記憶に残りやすいのかもしれません。くすっと笑って読めますので、それが非常に良いのでしょうね。


「知ってる・わかってる・できる」は別々の山

 買い物も、銀行などの用事も、よくこどもたちも一緒に連れて出ていました。スーパーでのやりとり、銀行でのやりとり、それから大人同士のやりとりをみて、「時と場所を選んだ言葉遣い」を覚えます。
 知識として覚える礼儀はそれを真似する「型」から入ることも大切だと思います。そして「気持ち」から入ることが重要な部分を占める個性を持つ子ももちろんいます。
 例えば、大人が挨拶を交わしている様子を見て学び、その「意味」を理解したり、充分に「自分が挨拶をしているイメージ」のシュミレーションが完璧になったときに初めて、「挨拶をする」行動が現れるという経過を持ちます。こういう場合「なかなか挨拶ができない子」と見えるかもしれませんが、心の内で熟成させているさいちゅうなので、「できないの?」と評価して自信を奪うことをしないように気をつけたいものです。

 《知っている・わかっている・できる》はすべて別々の山なのです。山のてっぺんまでチャージできてから「知ってるよ」「わかるよ」「できるよ」となります。ふもとでそう発言する子もいるでしょう。失敗をおそれないタイプでしょうか。表に出すタイミングはひとりひとり違っているということです。


気持ちを伝える・気持ちが伝わる

 語彙力の豊富さもそうですが、なにより大切なのは「伝えたい」気持ちがあるかどうかです。伝えたいことがあって、それを伝えたいと思えることは、語彙力の数よりも、持っている語彙をどう使うかが重要になってきます。語彙力は「自分の言葉になっているか」だと、いえるかもしれません。

 「読解力」が叫ばれて久しく、その力をつけるために「本を読む」ことが声高に言われています。確かにそれは間違いないと思います。私も本を読むのが大好きです。しかし、文章を読むことと話すことはやはり違うものだなということも感じます。文章で伝える文章力と、言葉で伝える語彙力は両方とも表現力といえます。どちらかが得意であったり、どちらも得意・不得意という違いが生じるかもしれません。その違いは、環境要因半分、資質半分といえるでしょう。
 要素の掛け合わせになるので「こうすればこうなる」の一本道では決定づけられないと思われます。だからこそ、ひとりひとりの人生が彩り豊かであるということでもあるのでしょうね。

 語彙力は「対話すること」と非常に密接な関係にあると思いますが、その話はまた別の機会で書けたらと思います。

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