「みたのこぴすたー」を知る者たち
父と話をしていたら「みたのこぴすたー」という電気がつきそうな呪文が飛び出したので、「何?ぴ?」と何回も聞き返してしまった。ことの発端は、私が「東京ラブストーリーを見て衝撃を受けたこと」を話し出したのがきっかけだった。
小さい頃見せてもらえなかったので、何年か前にテレビで特別放送された時に見たのだが、あの衝撃が今も忘れられない。織田裕二が働くオフィスの机の上には灰皿と電話しかなかった。パソコンはコンピュータと呼ばれ、オフィスに一台だけ。マトリックス的な文字色で、フロッピーディスクを使っていた。
すると父は、昔はオフィスにパソコンは無かったという話から始まり、コピー機だって最近だ、「みたのこぴすたーを使っていた」と言うのである。ここで冒頭に戻るわけだ。
後日検索しさえすればなんとなくヒットするだろうと思ったが甘かった。やはり呪文扱いされてしまいなぜか初音ミクが出てくる。体を動かすことといったらネットサーフィン、と自負する手前、ここでへこたれるわけにはいかないと検索し、見つけた。
なんと「みたのこぴすたー」は「三田のコピスター」であり、三田工業が開発したコピスターという複写機のことだった。そして三田工業とは、京セラの前身であった。
複写機遺産として認定されたとのことで、なんだか悠久の時の流れを感じる。今は当たり前にキヤノンやリコーがオフィスに設置され、カラー印刷すると節約の観点から経理部の舌打ちが聞こえなくもないが、コピー機があることに疑問を感じず、バンバン印刷している。
三田のコピスターだけでなく、その前は鉄の筆で文字を書いてそれを刷っていたと言うのである。「それじゃ版画じゃん」と私が言うと、「そうだよ」と真顔で返された。まさか自分がすでにこの世界に生を受けている間にそんなことがまだ行われていたなんて知らなかった。ガリ版印刷と言うらしい。
思いがけず日本の印刷の歴史みたいなものに触れてしまったわけだが、私はこの「昔話」が嫌いではない。老人の昔話はつまらないと思っていた若い頃を過ぎて、今自分が初老に近づいてきている。人に歴史があるということを頭ではなく体で感じ始めているからかもしれない。
父の話はだんだんエスカレートしていき、もっと昔に戻って、高校の時のクラスメイトが教室内で立ちションしていただの、弁当を勝手に食べられてその代わり50円玉が中に入っていただの、謎の汚い話が続いた。
隣にいた母はうんざりした顔で聞きながらたまにツッコミなど入れていたが、母の若い頃に話が及ぶと、母は途端に口をつぐんだ。「お父さんみたいな生活だけはしてない」と言ったきり。多分母には母で、娘には聞かせられない思い出があるのだろう。そして、誰にも聞かせずにとっておきたい思い出も。
話を盛るくせを父から、自分だけの思い出を秘めるのは母から、まったく均等に性格を譲られたのだと話を聞きながら理解した。
複雑ではあるが、これが遺伝、いや複製か。私にとっての三田のコピスターは、この二人なのだ。