「資本論」冒頭の文章を訳しました。(2022.7.17若干の加筆)
以前論じたマルクスの「資本論」冒頭の文章を訳してみました。ドイツ語を訳す能力はないので英語からです。
以前上げた記事
英語の文章はこちらです。
こちらが私の訳です。
この訳についての私の考え方を下記に示します。
① 先の論考(note の記事)で指摘した"societies" については、複数形である事を分かるようにしたいため「複数の社会」「社会群」なども考えましたが、どうも無理があります。
やはりここの訳は「社会」とするか「諸社会」とするかしかないようです。するとこれを複数形で表したい私としては「諸社会」とするかしか選択肢はありません。
② "prevail "を「優勢」としたのは「主とする」や「支配的」と訳すと、主には従が、支配には被支配が対語として浮かぶので、それを避けたかったからです。
マルクスが示した資本制生産様式とそれ以外の様式は主従や支配-被支配のような関係ではないと感じます。しかしただ「広がった」というのとも違うニュアンスがあるように思い、それで「優勢」としたのですが、これにはまた優劣という別の対比が連想されるので、悩ましいところではあります。
③「商品の巨大な集積」というのは大袈裟な表現ではありますが、英語の "an immense accumulation of commodities" も十分に大袈裟な表現だと思ったので、敢えて砕けた言葉にはしませんでした。
例えば巨大な工場やオフィスビルも「商品の巨大な集積」と云えるし、それらを合わせればさらに巨大な集積となる。そのように考えれば、それほど大袈裟ではないかもしれないとも思いました。
それらは労働者が働く場所でもあり、更に商品を生み、その結果として利潤を産む設備でもあります。(それ自体が巨大な商品となることも可能です。)
商品は資本制生産様式が生まれる以前から存在します。しかし資本制生産様式が優勢な社会では、それは「巨大な集積」を構成する単位となり、そのことによって更に新たな商品・剰余価値・利潤を産む止まらぬ循環に寄与する事もあると、そういう意味が既に込められていると考えました。
"unit"を「基本単位」と訳したのも、そのような考えに基づいています。
そのように商品が富の基本単位となれば、商品として作られたものでなくとも使用価値のあるあらゆる物は、潜在的に交換価値持ち、既に商品であると、そんな含意を感じます。
そのような分析を「資本論」の冒頭を書く前に、マルクスは十分に済ませていたのだと思います。
④ "a single comodity " を「各々の商品」としたわけですが、 最後の "a commodity" の 単数を表す "a" にも、似たニュアンスがあると考え、「それら」をつけることによってそれを表現してみました。
⑤ 最後の文の "must "を「なければならない」と訳すのは、この場合必要ではないかもしれない。また、ドイツを分かるわけではないのですが、ドイツ語のこの部分の文
にはどうも、"must" にあたる語はないようです。
しかしこの冒頭の文章の後、一見当たり前で、それでいて細かく執拗な商品の分析が「資本論」で続くことを考えると、「始めなければならない」とした方が後への繋がりとして良いのではないかと考え、敢えてこうして見ました。
思い入れのある文章なので、自分なりに訳してみましたが、成功しているかどうか分かりません。ご批判をいただければと思います。
他の翻訳を批判する意図は私にはありません。出版されている「資本論」の訳で私が読んだものはどれも素晴らしいものばかりです。
思い入れがあったので、ここだけ訳してみましたが、「資本論」を全て訳す能力も根気も私にはありません。
出版されている「資本論』の翻訳がなければ、先の論考(note の記事)も出来なかった。感謝するばかりです。
英語の文章は下記の書籍 (電子書籍)より
Karl Marx
Das Kapital
Published in 1867
Translated by Samuel Moore and Edward Aveling
The perfect Library
ドイツ語版は
Kitik der Politischen Ökonomie Erster Band
Mit einer Einleitung und einem Kommentar
Herausgegeben von
MICHAEL QUANTE
FELIX MEINER VERLAG HAMBURG
こちらも電子書籍です。
以前の記事の補足
これまでに書いたエッセイと論文
自己紹介の代わりに
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