
読書感想文▶︎ <叱る依存>がとまらない
先日、こちらの本を読みました。
この表紙のイラストが秀逸ですよね😅
なんか引き込まれます。
ということで、読書感想文にまとめさせて頂きます。
なぜ、この本に興味を持ったか?
そもそもですが、僕は、
社会人になってからというもの、自分が怒られ過ぎたということもあり😅、
仕事において「怒る」という行為に、かなりの疑問を持ってきました。
それもあって、自分が会社を立ち上げた際には、以下の通りの会社にしました。
こういう経営スタイルにした結果、自分としては会社がある程度満足のいく成長ができました。
なので、
「やっぱり、仕事で怒ることは意味ないんやなぁ」
と確信を得つつありました。
そんな僕にとって、このタイトルの本は、見逃せない内容です。
本屋でこの本を見つけるやいなや、
「ヌハハ!! 我が意を得たり!」
と叫んでしまいました。
そして、着ていた漆黒のマントを翻して、Edyで
チャリ〜ン♪
と、購入しました。
さて、中身に触れたいと思います。

結論:オススメです
結論として、非常にオススメする内容です👍
細かくは以降にまとめますが、僕がダイジェスト的に良いなと思った内容は、以下の通りです。
「叱る」がダメな一番の理由は、科学的に効果がないから。
叱る理由のほとんどが、他人の行動を変えたいこと。
にも関わらず、他人の行動を変える効果は極めて薄い。
そして、最悪なことに、怒った側、怒られた側への副作用の弊害が大きい。
総じて、科学的な根拠に基づいて論じられています。
なので、著者の偏った経験談の書籍ではなく、非常に納得できる著作やと感じました👍
それでは、細かく、印象的だった部分に触れていきたいと思います。

印象的だった言葉
▶︎ 叱ることが快感
「誰かを叱ることで、脳の報酬系の回路が活性化する
つまりは、快感である」
この一説には、唸りました。
確かに、そういう側面がある。。
自分が怒られた時など、明らかに怒ってきていた上司などは、自分に酔っていました。💦
また、自分が怒ってしまったケースも、「快感」に近い感覚があるというのは、無自覚ながらも肯けます。
そして、怖いのが、「快感」だとすると、人間は依存してしまうこと。
ならば、近づかないのが一番です。
相手を処罰することが快感になるという、脳の構造がある
それゆえ、自分が損をしてでも、相手を処罰したくなる人もいる
▶︎ 叱っているということは、その人がその場の正義を決めている
叱る目的は、他者を変えたいから。
そして、叱る”前提”は、権力の非対称性。
つまり、叱っている側が、その場面で「何が正しいか」を決めている。
その正しさにのっとっていないので、叱ってしまう。
叱る定義は、
相手にネガティブな感情体験を与えて、
思うようにコントロールする行為
らしいです。
確かにそうですよね。
でも、そうであれば、ポジティブな感情体験を与えて、コントロールすれば良いのでは?と思ってしまいます。
叱る側が、その努力をすべきですよね。

▶︎ 叱られる側に効果がない
最大の問題は、ここである。
叱られる側は、すぐ謝ったとする。
それは、叱った側の言うことが伝わったのではない。
単なる「苦痛の回避」なだけ。
むしろ、言いたいことの理解からは程遠い。
なので、本当に何か伝えたかったら、叱ってはいけない。
しっかりと、理由に目を向けさせ、同じことを二度としないように、
冷静に話さないといけない。
叱る側は、冷静に話す以外に、伝える方法がないとのこと。
叱った場合、叱られた側が、本当の意味を理解できない。
・・・
心がけたいです。
▶︎ もっと強く叱らないと
先ほどの一節に続いて、です。
しかも、叱られる側は、すぐに慣れる。
なので、叱る側は、もっと強く叱らないといけなくなる。
しかし、叱られる側は、とても強い叱責を、受けると今度は逆に忘れられなくなる。
これは、生物的に必要な処理である。
そうでないと、例えば生命の危機に晒されたとしたら、また同じ場所に行ってしまうかもしれないから。
危ないから、脳が決して忘れないように出来ている。
なので、叱られる側は、長期的なストレスを思い出す度に、何度も感じねばならず、長期的な深刻なメンタル面の問題になる。
叱る側は、もっともっと強く叱るようになってしまいがちです。
そうなると、今度は、叱られる側の人生全てに影響を及ぼす可能性が出てくるとのこと。
こうなってくると、もう選択肢は一つですよね。
「最初から怒らない」
これに尽きます。

▶︎ 禁止と罰の無意味さ
禁止と罰で、人の行動をコントロールしようとするのは、
非常にコスパが悪く、成果が出ない。
外国のドラッグ、日本のゲームの禁止の自治体などが、実際の事例。
「禁止、罰」は、あまり効果が無いらしいです。。
コスパの観点で良くないとのこと。
覚えておきたい情報です。
▶︎ 「叱らないと強くならない」という勘違い
叱られて、精神的に強くなるなんてことは、ない。
他者から強要された我慢は、その相手に無力感だけを与える。
誰も、何も強くならない。
一方で、自分で選んでやる我慢は、意味がある
また、たまに、「厳しさ」の履き違えで、「叱る」を肯定する人を見かけますよね。
本書は、そういう視点にも、一刀両断されています。
厳しさは、叱らなくても実現できる
「厳しい」とは、つまり、要求水準の高さである。
それは、叱らなくても実現できる。
要求水準が高いのであれば、客観的に、冷静に伝えることで、説明をすれば良い。
しつけ、などの言い方で、叱るを正当化する論調もあります。
しかし、要求水準の高いこととも換言できるのは、その通りの指摘と感じました。

▶︎ SNSで叱る人
処罰を与えたい欲求は誰にでもある。
快感なので。
となると、SNSなど、フォロワーが一定数を超えると、
一定の割合で、叩きにくる人が現れる。
叩く人は、叩くことが快感になり、依存性もあり、やってしまっている。
また、本人は快感に没入しているだけのことを無自覚であることが多い。
一定数こういう人が出てくるのは、傾向としてある。
そういうもの、とも言える。
SNSなどで叩く人の思考のメカニズムが、腑に落ちました。
なるほどと、感心しました。
▶︎ コロナの悪影響
コロナのせいで、特定の人との関わりが深くなった。
そのせいで、余計に特定の人の悪いところが目につき、
叱る機会が増えていないか?
このことも筆者は指摘しています。
例えばコロナで家から出れない。
となると、家族とばかり関わります。
すると自然に家族の悪いところが目につく、とのこと。
納得しますし、気をつけたい指摘です。
総じて、素晴らしい本でした👏
今日も読んで頂いて有難う御座いました😃
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