90年代個人的邦楽10選Ⅵ
何だかんだで90年代の邦楽も第6弾となり、やっぱり音楽を聴き始めた原体験となる90年代のあの時代のヒットソングには思い入れがあるんだなあと思い直したりしています。まだ夏なので夏ソングもそれなりに入れて、そして今回はすべて女性ボーカルの曲で固めてみました。洋楽同様、邦楽も90年代に入ってそれまで男性優位のヒットチャートにもたくさんミリオンヒットを飛ばしていく女性ボーカリストが生まれて来て、もうほとんど男女の差はなくなった感じもします。実社会でも女性の社会進出が大きくクローズアップされてきた時代背景もあり、いろいろな意味で世の中が変わってきたな、という感じもしてましたね。まだ思春期の少年だった僕がいうのもなんですが。まあ今に続くいろいろな変化の兆しがこの90年代に現れ始めていたのだと思います。長い90年代が続いているという社会学者もいるくらいですし。まあそんな感じですが、音楽の話題に戻って早速どうぞ。
負けないで / ZARD (1993年)
90年代、及び平成を代表する名曲です。ZARDの代表曲ですね。当時はまだ流行歌を聞いていなくて、でもテレビなどで取り上げられる機会も増えてきて、否応なしに知っていく、浸透していった感じがしました。90年代前半の空気感をありありと思い出させる曲でもあります。中学2年から3年とかで、何となく鬱屈した教室の思春期ならではの雰囲気とか、力関係とか、まだ吹き荒れていた暴力や不良文化とかの合間に流れていたイメージがあり、全部含めて懐かしいですね。まさに「負けないで」がみんなに響いていた、そんな時代だったなあ、と今振り返ると思ったりします。長い平成不況にあえぐ時代の要請にこの曲は応えていく運命にあったのかもしれません。MVで改めて見たら、坂井泉水さんは死ぬほど美しい人ですね。たぶん長い芸能史でもこの人以上に美しい人はいないんじゃないかって思えるくらいに。
あなただけ見つめている / 大黒摩季 (1993年)
僕らの世代のスラムダンクソングです。めちゃくちゃ流行りましたね、漫画、アニメ、そしてその主題歌やエンディングソングとか。この曲はエンディングソングでして。こんな当代一と言っても過言ではなかった大黒摩季の名曲や、僕がスラムダンクソングで一番好きなWANDSの「世界が終わるまでは……」(また第7弾以降の90年代邦楽個人的10選で取り上げたいです)などとんでもなく強力なナンバーが「スラムダンク」のアニメソングに次から次へと投下され豪華そのものでした。それだけ制作陣やテレビ朝日のスタッフの「スラムダンク」に対する熱量が半端なかったんでしょう。そりゃ20世紀最高の漫画とも言われるだけあって、多くの人の心に残る名シーンとともに、制作意欲を掻き立てられる大人が続出していたとも言えると思います。昨今の映画の大ヒットもあり、またこの令和にもスラムダンクブームは巻き起こっていますし。とんでもない作品だなあと改めて思います。リアルタイムでジャンプで読めて、ドラゴンボールもですが、幸せやったなあと思ったりします。MVはそんな感じで短いですが当時のスラムダンクのエンディングアニメーションバージョンでどうぞ。懐かしすぎて涙が出ます笑。
Hello, my friend / 松任谷由実 (1994年)
月9ドラマ「君といた夏」の主題歌で、いしだ壱成や筒井道隆、瀬戸朝香とかが出ていましたね。あの頃のいしだ壱成とか本当にカリスマ性があってカッコよかったです。筒井道隆もあすなろ白書でブレイクしてここでもいい演技していましたね。少しずつ高校にも入ったし、流行りものも見出していた時期でこれはリアルタイムで見ていたような、いや夕方の再放送で見ていたような、どっちか忘れましたが若い感性に響くドラマだったと思います。そういやこの夏のドラマでもうひとつ思い出したのは織田裕二主演の「お金がない」というコメディタッチのもので、これは本当に面白くて毎週水曜日でしたか楽しみで仕方なかった思い出があります。織田裕二のドラマで一番好きかも。あと7月からのTBSの金曜日ではあのキンキキッズ初主演とも言えますが、いじめの描写が凄くてあまり彼らのキャリアでは語られることの少ない「人・間・失・格」もやっていてこれもリアルタイムで見ていましたが、当時「うつ病」も患い始めていて、いじめの内容とか見ていてかなりきつかった記憶もあります。野島伸司脚本とかでしたね。とまあ脱線しましたが、このユーミンの曲は1994年の夏を彩った名曲のひとつで、彼女自身はこの年の5月F1のサンマリノグランプリの事故で帰らぬ人となった世界的なスーパースターだったアイルトンセナに向けてつくった曲らしいです。僕の幼なじみの友人の一人がかなりF1マニアで本当にアイルトンセナが亡くなった時はショックを受けていました。僕自身もあんまりF1とか詳しくないですが、セナのことはよく知っていて、やはりショックではありました。そんないろいろなことが起こっていたあの当時を一緒に思い出させる曲でもあります。
ら・ら・ら / 大黒摩季 (1995年)
今や大黒摩季の代表曲にもなっている感もある名曲です。懐かしいですね。記憶が確かならSMAPの中居正広主演のドラマの主題歌とかになっていたんじゃないでしょうか。ああ、昨日のことのように1995年のことを覚えている。それぐらい僕にとってすべてと繋がっていたのが1995年だったので、青春を謳歌していたとも言える一年だったのでしょう。調べたらやっぱり中居正広主演のドラマ「味いちもんめ」の主題歌でした。ちょっとくらい見ていたような。この年くらいからでしたか、SMAPが本格的にブレイクし出したのは、翌年のキムタクの「ロングバケーション」とかからかな。スマスマも始まったし。平成が色濃くなっていく時代背景が懐かしいですね。令和になる直前のあるテレビ番組で平成を代表するスター、ヒーローのスポーツや芸能などの全ジャンルでの国民投票でイチローや羽生結弦を抑えて1位になったのはこの「SMAP」でしたから。僕もこれには妙に納得したりしていました。今思えば凄まじいタレントがそろいもそろっていたなあ、って思います、SMAPのメンバーは。またどこかで僕が見てきた昭和、平成の芸能史的なエッセイを書いてみようかな、とか思ったりします。テレビ番組中心とかですが。MVは静止画で失礼します。
Over Drive / JUDY AND MARY (1995年)
未だに再結成してほしいバンドの上位に入って来るレジェンドと言ってもいい存在です。イエモンとかGLAYとかと一緒にあの当時のヒットチャートを賑わしていましたね。カラオケに毎週のように友達と行っていた時代のヒットソングで、あの当時の空気感まで思い出させる曲でもあります。何とも言えない粗削りな空気感でしたが、それはそれで懐かしいです。鬱の合間に見えた青春の景色はいまだに色濃く心に刻まれていて、化石のような水晶のような結晶の思い出ですが、音楽はそのすべてを超えてここにその当時を届けるのですから、やっぱり凄い魔力を秘めております。
Hello, Again ~昔からある場所~ / MY LITTLE LOVER (1995年)
で僕にとって前世紀のような地層を蹴破って連れ戻す曲というのがこれでして。あんまり書いてきませんでしたが人生で初めて彼女が出来た時に流行っていて、だからその印象がかなり強いいわゆる一つの淡い思い出ソングとでも言いましょうか。高校は男子校でして、でやっぱり思春期の男子だったので猛烈に彼女が欲しくて、中学の塾で一緒だった女の子にアタックして撃沈したすぐ後の高校の文化祭で二人組で来ていた女の子に今からは想像もつかないくらい積極的にアプローチしてまして。自信あったのでしょうね、いやうつの反動の「躁状態」のハイテンションで行ったか。ガラスのハート抱えながらなんとか付き合うまでになった、本当に人生のピークみたいな半年でした。半年でしたが笑。別れも見事に、高校中退を決めた翌日に向こうから電話でみたいな。やっぱりちゃんと社会と繋がってないとアカンって彼女通して神様がメッセージくれてんのに、17歳の僕は今以上に頑なで聴く耳持たず、タイムマシンで乗り込んでぶん殴ってやりたいけどなあ。「お前それやったら、人生かなりどうしようもなくなんねんぞ」って。まあ後悔しても始まらないので、頑張って決まってしまった過去を背負って前向きにやっていきます。まあでもやっぱりこの曲を聴くと人生で今の所一番いい時期を思い出させる思い出ソングです。あれを超えるべくなんとかこれから頑張っていきたいです。
マイ フレンド / ZARD (1996年)
これもスラムダンクのエンディングテーマでして。ZARDの曲の中でもかなり人気の高い一曲ともなっているみたいです。あの当時は高校中退して家で志望校目指してひとりで勉強始めていた今に繋がるややこしい人生の始まりでして。その中で「あ、ZARDの新曲スラダンのテーマか、かなりいい曲やん」とかまだのんきに自信過剰に友達に話していたり、そんな乾き始めた何かを背負いながらの時代、そして僕の人生のBGMみたいな曲にも思えたりします。まあ個人的にはもう洋楽やハードロック一辺倒とかでほとんど邦楽は聞かなくなっていった時期でもありますが。社会と切れていったのと同時に邦楽という「日本語」を捨てて洋楽という分からない「英語」に走ったのも今思えばいろいろと精神作用を及ぼす結果となったか、それを無意識に、ひきこもるようにして求めたか、みたいな感じも受けます。長い人生の整備期間の始まりだったのかな。それまでが何か不全感に満ちていたのかどうかは忘れましたが。運命の分かれ道でこの曲は鳴り響いていました。ちょっと大げさかもですが。これもMVは短いですがスラムダンクのエンディングアニメーションでどうぞ。
Sweet Rhapsody / 比屋定篤子 (1998年)
関西のラジオ局FM802のヘビーローテーションで1998年の春くらいによくかかっていました。その当時はもうひきこもりにドップリ浸ってあんまり音楽を楽しむとかなかったのですが、後年、ひきこもりから脱出した時にTSUTAYAとかで「802のヘビーローテーションナンバー」を集めたコンピレーションアルバムが出ていてそこでこの曲も入っていてあの当時を思い出しながら「こんないい曲やったんや」とか思ったりしておりました。引きこもっていてもFM802は毎日家にいたからずっと聴いていましたね、人生で一番ラジオを聴いていたような。まあでも気分は最悪だったので、なんかすべての恋愛ソングが耳障りで、卑屈で、ああやっぱりいい思い出はないです笑。彼女と別れても「すぐにできるやろ」とか思っていましたが、引きこもりで社会から外れると、それは難しく、何よりアタックするほどの自信が一切なくなっていって、でも欲はあるし、という何とも言えない、それも含めて地獄でして。やっぱりタイムマシンがあれば高校中退しようとする自分を殴りに行きたいです笑。誰の言うことも聞きやしないクソガキでしたが。受験はええけど、社会とは繋がっとけ、予備校でも何とかもぐりこんで、とか。それやったら鬱で休んでも高校みたいにやればいいし。でもアルバイトは鬱で休まれへんからなあ、とか。いろいろ話したいですね、あいつと。脱線しまくりましたが、この曲は隠れた名曲とも言える完成度で、かなり好きになりました。MVは静止画で失礼します。
Automatic / 宇多田ヒカル (1998年)
この曲でそれまでの90年代は吹っ飛びました。それくらいの衝撃がこの当時弱冠15歳の天才少女によってこの日本にもたらされて、うーん、何といったらいいのか、みんな茫然と立ち尽くすしかない、それまでの理解の範疇を軽く超えていた、未来から来た異星人によって作られた音楽みたいな。そんな感じだったような気もします。この曲も収録した宇多田ヒカルのファーストアルバム「First Love」はそれまでワールドワイドな市場でしか見たことのない数字900万枚をも売り上げました。日本だけでこれなんですから、これに軽く世界の音楽人口を掛けたらあのマイケルジャクソンの1億枚売り上げたモンスターアルバム「スリラー」の売り上げすら超える、とんでもないヒットをこの日本だけで成し遂げて、その数字がやはりこの宇多田ヒカルのデビューの衝撃を、その意味を物語っていると言っても過言ではないと思います。僕は個人的にこの曲があのジョージマイケルが16歳で作った「ケアレスウィスパー」のような早熟の天才だけが見える世界を思い起こさせる音楽とも思えて、本当の天才の出現にちょっと興奮していたのも覚えています。ひきこもってはいましたが、やっぱりこの曲や宇多田ヒカルの存在は刺激的でした。
星のかけらを探しに行こう Again / 福耳 (1999年)
個人的に七夕を連想させる曲だと思ったりします。それを意図して作られたんでしたっけ。1999年7月にとあるデパートの屋上を見上げて「恐怖の大王落ちて来んなあ」とかビビっていた記憶とととに、あの美しい夜空をバックにこの曲がビアガーデンのスピーカーから流れて来ていたのがめちゃくちゃ心に突き刺さって、引きこもりに合間とかでしたがいい景色を見させてもらいました。まだ亡くなる前のおばあちゃんも一緒にビアガーデンやってたなあ、とか家族の思い出もよみがえりますね。そういや来年の7月も隕石が落ちてくるとか何とかで、また空を見なければならないのかと、何回人類は破滅の瀬戸際に立たされて、とか。もうそっちの人間でもないのですが、最近の南海トラフ地震注意報みたいなのもあるし、何かしらの災害が起こった時の備えだけはそろそろやっておかないととは思ったりします。SNSとかネット上では2025年7月の話とか結構やっているから、またなんか物騒なこと起きなければいいけどなあ、でもいろいろ事件とか起こるのかなとか、ちょっと心配にはなります。昔読んでいた精神世界系の本ではやっぱり最後の審判みたいなことは起こるから心魂磨いておかないと助からないみたいなことは、何だかんだで意識してしまう、元ひきこもりではあります。真面目により、真面目に生きて行こうかな、気を付けて暗い夜道を歩くように。変な話になってすいません笑。音楽の話に戻すと、この曲は本当に好きな曲で、ボーカルの元バービーボーイズの杏子、スガシカオ、山崎まさよし、といった当時の渋い面々で結成された集団で、音楽性が高くてお気に入りの曲でした。FM802でもかなりかかっていて、その度に「何この曲、いい曲やなあ、でも知らんなあ」と聞きほれてました。
夏ソングというカテゴリーではないのですが、やはり暑いのでそれなりに夏ソングも入っております。あとは思い出がいろいろと自ずと漏れて来てしまいまして、恥ずかしい失敗談や、柄にもない恋愛とか書いてしまいました。まあ人間なんでいろいろ思うことや、体験談はあるし、まあいいか。あっち系やらなんやら忙しい感じもしますが、90年代を振り返るとやっぱり自分の今に至る原点みたいな出来事や人格形成に影響を与えた考えなど、いろいろあの90年代の空気感は孕んでいて、僕にとってはやっぱり特別な年代で、だからもう第6弾とかになっていたりするのかな、と思ったりします。乗り越えたからこそ振り返られるのであって、もう少し前とかだったら、まだそこまで冷静にあの苦しい年代を見つめることは出来なかったのかもしれません。いろいろな人は遠くへ行ったりしましたが、一人でもなんとか耐えられる強さも身に付けてきたので、これからのいろいろな時代背景も含めたキツイ坂かもしれませんが、上がっていきたいと思いますし、上がった先にある景色を眺めてみたいとも思います。ではまた何かの10選とかで。