大学受験②【エッセイ】
前回までで、高校時代、大学受験を意識し出して何故か過剰に京大にこだわっていたと書いてました。今回はその続きから。
学力がどうであろうと、どこ目指そうとそれは本人の自由だと思いますが、ただ僕の場合はそれプラスうつ病も患いながらのハンディキャップもあったので、そこはちょっともう少し考えを変えてもよかったらかな、と今振り返れば思ったりします。たぶんあの当時高校2年の終わりの学力は京大理学部の偏差値が70くらいだとしたら、僕は53とかで、まあうつ病で休み休みの勉強とかであんまり出来立てなかったというのもありますが、やっぱり考え直して、うつ病抱えながらでも届くような現実的な大学に志望を変えるのが、その後の人生考えたらベターだったのかなと。
何で過剰に京大を目指したのか、ですが、僕の場合は今「東大読書」とかの著者で有名な西岡壱成氏と似たようなメンタルだったのかなと思います。僕も中学時代は今でいう学校カーストでは下の方とかで、気が弱く、西岡氏や実際の僕の友人のようなそこまで酷いいじめとかではなかったですが、力関係は相対的に下で、よくからかいの対象になったり、暴力が飛んできたり、みたいな学校がなんか息苦しいみたいなストレスを抱えてました。
だから高校入ってそういう学校カーストから抜け出すための方法が僕の場合、西岡氏と似ているのかもしれませんが、「京大に行って周りの奴を見返して自分に自信を持ちたい」という思いにひたすら駆られたのかもです。しかしながら高校は僕のいた中学からは併願で受けた友人の2人でそいつも受かったのですが、彼は本命の公立も受かりそこへ行き、結局この私立の高校には僕一人で入学したという感じでした。そのおかげで中学時代の弱いいじめられ(からかわれ)体質の僕を知る人もいない環境で、初めて人間の尊厳みたいな解放感味わうような新生活は居心地のよいものとなっていきました。進学校でもあり、中学みたいな雑な感じもなく、そこまで人に警戒する必要もなくて高校生活は「元気ならば」最高のものになっていくはずでした。
うつ病は思春期のホルモンバランスが崩れるためにかなり低い割合ですが、高校でかかる人もいて、0.01%の確率でその貧乏くじを引いた形ですかね。いじめ(らしきもの)がやっと終わったと思ったら次はもっと質の悪いうつ病を罹患。しかしながら、環境の良さから、中学時代に押さえ込んでいた自我がやっと芽生え解放し、自分の本心を表現出来て、新しく自分を生き始めたのもこのタイミングでした。
だからうつ病の合間に見た景色がとても色鮮やかに見えて、自我の芽生え、喜び、やっと春が来たみたいな眩しい光が差してきた感覚がとても気持ちよかったです。鬱のリズムから解放される時に真逆の躁のリズム、ハイテンションになっていただけなのかもしれませんが、あの時のすべてが輝いて見えた、感覚の解放感は未だに強く印象に残っています。そんな感覚の中、錯覚とも言えるかもですが、僕が選んだこの先の人生の選択肢が京大に行くことで。まあ今思えばかなり精神年齢が低い、夢見がちな坊やのまま、どうしようもない航海へ旅立ったとも言えるかと思います。そしてその幼いこだわりが人生の正規のルートをことごとく閉ざし、にっちもさっちも行かない状況に自分を追い込んでいくのでした。やはり僕は単純に取り憑かれていたのかもしれません。京大とか何とか受験産業の妖怪に。とても気に入られ離さない、みたいな。それでもようやく見つけた自分らしさをそう簡単には手放せないでもいて、うつ病に翻弄されながら、さらに進路は京大一択とか今思えば監獄でしかない、うつ病の先、引きこもりへの道しか開けてなかったなあ。
すいません、またちょっと長くなってきたので今回はここまでで失礼します。