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MICHAEL JACKSON個人的15選
マイケルジャクソンも個人的に秋のイメージかなと思ったりします。一番初めにマイケルジャクソンを熱心に聞いたのは1996年でしたか。その一年前にビートルズに出会って洋楽を聴き始めて、その後主に1970年代の洋楽、イーグルス、ビリージョエル、カーペンターズ、クイーン、サイモンとガーファンクル、などを経てそろそろ1980年代に行こうかなと思っていたら、先にハードロックのボンジョヴィがガツンときて、一気に80年代というかハードロック旋風が僕の中に吹き荒れたりしてました。で、その暴風雨の中でようやくたどり着いたのが80年代を代表する洋楽のスーパースター、マイケルジャクソンで。80年代の煌びやかな音はもうハードロックで洗礼を受けていましたが、マイケルのハードではないポップスの極上感はまた特別に洋楽初心者でもあった17歳の僕には響いてきました。季節は今とちょうど同じ秋で、その頃一回高校中退して、通信制の高校に通い始めて、中退した理由だった「うつ病」もあの1996年11月とかには奇跡的に一か月近く治っていて「ついにうつ病から解放されたー」って喜んでいた、そんな時期にテンション高めで聴いていたマイケルジャクソンがやっぱり魂の底の方にずっと響いてきますね。懐かしいです。あの当時から弱冠好きな曲は耳が肥えてきた分異なっておりますが、だいたいは同じなので、そんな感じで行ってみたいと思います。ではどうぞ。
Rock With You (1979年)
怪物アルバム「スリラー」のひとつ前のアルバム「オフ・ザ・ウォール」からのシングルで4週連続1位になった大ヒット曲で1980年の年間チャートでも第7位になりました。あと、星野源が好きな曲としても結構有名なのかな、分からないですけど、本人が思い入れたっぷりにテレビで語っていたのを覚えています。そういや「恋」の前のシングル「SUN」とかかなりこの曲寄せて作られているなあって星野源の話を聞いて思ったりもしました。僕もマイケルジャクソンの曲の中では一番くらいに好きな曲でもあります。あの時代のオシャレなディスコソングって感じがして、品のあるマイケルの佇まいも何かいいですよね。
Off The Wall (1979年)
その「オフ・ザ・ウォール」のタイトルトラックでシングルカットもされビルボードで10位のヒットとなった曲です。僕自身、ほとんどベスト盤でしかマイケルジャクソンを聴いていなかったので、この曲を長年スルーしていましたが、ようやくどこかのベスト盤でこの曲に出会い、お気に入りソングとなったりしました。スピード感のあるカッコイイディスコナンバーで、前曲とはまた違うタイプですがいいですね。あと後年の「スリラー」に雰囲気がよく似ていますね。ロッド・テンパートンという「スリラー」を書いた作家の曲だからですかね。マイケルジャクソンは「ジャクソン5」からソロのアルバムをいくつか出していますが、世間的には、実質的には、クインシー・ジョーンズがプロデューサーを務めたこのアルバムを初ソロ作と見る向きも多く、彼のアイデンティティーが確立され、後のメガスーパースターへの布石のようなアルバムだとも思ったりします。他にもいい曲がこのアルバムにはあったのですが、今回の15選には漏れました、すいません。またどこかで出せたらと思います。
Thriller (1982年)
言わずと知れたマイケルの代表作で歴史に残るビデオクリップとゾンビのダンスでかなり有名ですよね。アルバム「スリラー」はグラミー賞で最優秀アルバムを受賞して、そういやこのモンスターアルバム、ビルボードの年間アルバムチャートで1983年と1984年の2年に渡って年間1位という途方もない記録も打ち立てていて、アルバムチャートでは通算37週も1位を記録、これまで全世界で約1億枚も売り上げた文字通りのモンスターアルバムとなっています。しかしCDとかで音楽だけ聴いていると、洋楽初心者だった僕は「今夜はビートイット」とかの方が華がある感じで好きでしたが、主にマイケルが亡くなってから、散々ワイドショーとかで「スリラー」のビデオを見たことでもう刷り込み的に「歴史を作った偉大な作品」という問答無用な感想を与えられました。いや実際、やっぱり凄いと思います。特にキレキレなマイケルのダンスとゾンビが一斉に同じ動きをして、そしてダンスを揃えてくる姿は圧巻です。もう今から40年も前の作品なんですね。世代ではないのですが、やっぱり「あれからもう40年か」と思ったりします。MVは公式とは少し違っていて、アルバムバージョンの「スリラー」にミュージックビデオを切り貼りしている感じですが、見やすいのでこれで失礼します。
Beat It (1982年)
「今夜はビートイット」の邦題で知られるマイケルの代表曲のひとつです。ビルボードで3週連続1位になり、翌年のグラミー賞でも最優秀レコードを受賞した名曲です。途中のヴァンヘイレンの伝説的ギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンのギターソロが有名ですよね。またこれも名作ビデオクリップでして、ウエストサイドストーリーみたいなギャングの抗争をミュージカル仕立てで魅せて、僕的には「スリラー」よりこっちのMVとかの方が好きだったりします。CDだけで聴いてもこっちの方がいいなあと思ったり。洋楽初心者には分かりやすくてかっこいい曲でした。
Human Nature (1982年)
美しいバラードでマイケルの曲の中でもかなり好きな一曲です。TOTOのメンバー、ジェフ・ポーカロ作で「こんな曲も作るんや」ってTOTOの曲をある程度知ってからちょっと驚いた記憶もあります。ビリージーン、今夜はビートイット、スリラー、この曲などいろいろなタイプの曲が完成度高く並べられて、MVの時代ではなくても十分に名盤で売れまくっただろうなと思ったりします。ビリージーンは今回は外したので「80年代個人的洋楽10選」シリーズのどこかでまた入れたいと思います。
The Lady In My Life (1982年)
アルバム「スリラー」のラストを飾るこれまた美しくも儚いバラードナンバーで個人的にこのアルバムの中で一番好きな曲です。あの当時はまだベスト盤には収録されておらず、カセットテープやMDにこの曲を入れると、1982年発売でCD化されたのも1980年代とかだったので、音圧といいますか、音のボリューム量がそれ以降に発売されたCDやCD化されたものと比べると格段に低く、音量のバランスが並べるとカセットテープ内でこの曲になったら音量を上げないといけなかったのが嫌でしたね。でもこの曲はなかなかマイケルのベスト作る時には外せなかったので苦慮しました。つい最近出た「スリラー」の40周年バージョンとかで、もっと前とかだったかな、完璧なリマスタリング版が出てようやくこの曲も「いい音量」でUSBに録音出来て満足しております。
Say Say Say (and Paul McCartney) (1983年)
これは当時持っていたポールマッカートニーのベスト盤に入っていて、マイケルのベスト盤とかにはなかった曲で、でも洋楽初心者にも聴きやすく、かなり好きな曲でした。アルバム「スリラー」でポールとのデュエットソング「ガール・イズ・マイン」で初めて元ビートルズと共演したことにマイケル自身が相当感動したというエピソードがあり、さらにまた翌年、ポールの方もマイケルをいたく気に入って「一緒にやらないか」で再び共演、ビルボードで6週連続1位になる大ヒットを記録しました。この頃のポールマッカートニーはビートルズ時代の盟友、ジョンレノンを暗殺事件で失ってから、その喪失を埋めるように、スティービーワンダーやマイケルジャクソンと共演していて、改めてジョンレノンの存在の大きさを実感していたのかも、と個人的な解釈ですが、そう思ったりします。もうビートルズの再結成は永遠に失われた訳ですから、傍らで見ているよりも、本人の喪失感はかなり深かったのだろうと思ったりします。マイケルジャクソンも超がつくスーパースターでしたが、ジョンレノンは20世紀を代表する偉人とも称される人物ですから、さらにまた違ったのでしょうね。
Bad (1987年)
怪物アルバム「スリラー」の5年後に発売された同名タイトルのアルバムからのリードシングルでビルボードで2週連続1位に輝いたマイケルの代表曲の一つです。僕もこの曲が一番初めにマイケルジャクソンを意識した記憶があるので、初めて自分で借りたCDとかで聴いた時は感動しました。「家でマイケルジャクソンが鳴っている」とかなんとか思ったりして。洋楽初心者には一番わかりやすい曲でしたし。またマイケルが亡くなってから散々流されたMV、これまたカッコよくて。全盛期のマイケルジャクソンの色気とかオーラがやっぱり半端ないな、「キング・オブ・ポップ」と言われていたのも納得の作品でした。
I Just Can't Stop Lovin' You (feat. Siedah Garrett) (1987年)
アルバム「バッド」からのリードシングルでビルボード1位、プロデューサーのクインシー・ジョーンズの「秘蔵っ子」とも言われたサイーダ・ギャレットとのデュエットソングで、個人的にかなり好きな一曲でもあります。マイケルが女性歌手とデュエットしたのはこれが初めてだったのではないでしょうか。違っていたらごめんなさい。これまで以上に情感のこもった美しいバラードナンバーで、ああ、やっぱり名曲多いなあ、さすがマイケルジャクソンやわ、って初心者の僕はすっかりとりこになっていましたね、あの当時。MVは公式のとは違っていると思いますが、雰囲気は出ていたのでこれで失礼します。
Smooth Criminal (1987年)
アルバム「バッド」からのシングルでビルボード1位になった5曲(ひとつのアルバムからシングルチャートで1位になった曲が5曲も入っているのも歴史上初めてだったそうです)の内のひとつです。また「ゼログラビティ」のダンスでも有名ですよね、このMV。これまたカッコよくて亡くなった時にワイドショーとかでよく流れていました。あと言い忘れてましたがマイケルジャクソンはかなりの自身の代表曲を自分で作詞作曲していて、この曲も彼の手によるものです。歌って、踊れて、自分で曲も書けるってもう神様やんって単純な関西人は思ってしまいます。それも歴史に残るレベルのものをこれだけたくさん。80年代の全盛期のマイケルジャクソンが世界中で社会現象を巻き起こしていたのも納得しますね。ライブとか見たら宗教の教祖さまかっていうくらいにファンが泣き崩れていたり、凄いことになっていましたから。
Heal The World (1991年)
今の世界にこそ必要な曲だと思うマイケルジャクソン渾身の祈りの歌です。1991年のアルバム「デンジャラス」からのシングルでビルボードでは27位とそこまで上がらなかったのですが、たぶん、アメリカがイラクと湾岸戦争していて、反戦歌的な歌があの当時の愛国心に水を差すとかでアメリカでは売れなかった、もしくはラジオでエアプレイされなかったとかなんでしょうか。その一方でヨーロッパとかではイギリスで2位、スペインでは1位になったり国によって事情が違ってました。僕自身も大好きな曲で、初心者の耳にもかなり優しい名曲だなと思ったり。あれから30年以上経ちますが、未だに戦争は終わらず、マイケルの祈りはなかなか届きませんね。早く世界平和が訪れてくれたらいいなと思わせてくれる新しい時代(ちょっと古いか)の「イマジン」かなと思ったりします。
Black Or White (1991年)
アルバム「デンジャラス」からのリードシングルでビルボードで7週連続1位となる大ヒットを記録しました。個人的には「Bad」と並ぶマイケルの「聞いたことのある洋楽ソング」で分かりやすさからすぐにお気に入りの一曲となったりしました。まあでもやっぱり80年代ほどの輝きは徐々に失われつつある中での一曲で、その乾いた時代的な空気から80年代の夢は終わったんだなと今では思ったりするので、ちょっと複雑な曲でもあります。いろいろあった報道の影響も多少はあるかもですが、傷だらけのマイケルジャクソンがそれでも多くの名曲を残していった90年代の曲は胸に迫る深いものが多いなと思ったりします。
Will You Be There (1991年)
アルバム「デンジャラス」からのシングルでビルボードで7位を記録したゴスペルソングで、優しい雰囲気が昔から好きだった曲です。「リメンバー・ザ・タイム」も入れたかったですが、15曲の内には入りきらなかったのでまた「90年代個人的洋楽10選」シリーズで入れたいと思います。この曲も初めて聞いた時から好きになった曲で、ベスト盤によっては入っていたりなかったりで、入っているベスト盤とかは好きになったりとかでした。80年代の若い時代にはなかった包容力みたいなものも表現されていて、こういう雰囲気は90年代ならではのマイケルの魅力かなと思ったりします。「ヒール・ザ・ワールド」とかのちに紹介するマイケルの曲の中で一番好きな「ストレンジャー・イン・モスクワ」とかもそうですね。MVはこの曲が主題歌となった映画「フリー・ウィリー」の場面も流れております。
They Don't Care About Us (1995年)
1995年に発売されたマイケル初のベスト盤&ニューアルバムの2枚組「ヒストリー」からのシングルで、これまでのマイケルにはなかった「プロテストソング」です。迫害された側に立った、抵抗の歌、みたいな怒りが曲全体を支配していて、穏やかで優しいはずのマイケルジャクソンの別の一面が出たような感じですね。まあこの当時はかなりマイケルジャクソン自身、多くのスキャンダルが報道されていて、世間的なイメージも天下のスーパースターから「ちょっと変わった人」みたいになってそのブランド価値も大きく下がっていた時代だったように記憶しています。見た目もかなり「白人化」に傾いていって、はた目からも「マイケル大丈夫か?」みたいな風貌に変わっていきましたもんね。そういう世間やメディアからの圧倒的なバッシングを受けて彼の中に相当な怒りが積み重なって出来た表現形態で、個人的には結構好きです。90年代の混沌とした空気感も携えていて、もう後戻りできない時代の入り口みたいな雰囲気も感じさせて。あのみんなハッピーだった「マイケルジャクソンの80年代」は完全に終わったのだと思わせる、そんな歌です。
Stranger In Moscow (1995年)
個人的にマイケルジャクソンの曲で一番好きな曲です。アルバム「ヒストリー」からのシングルでアメリカビルボードでは91位とかつての勢いは完全に失われていましたが、ヨーロッパのイタリア、スペイン、イギリスのダンスチャートでは1位となり、マイケルジャクソンのワールドワイドな人気はまだまだ衰えていないことを示した形です。前曲の「怒り」とは打って変わってマイケル本来の「繊細さ」「慈悲に満ちた祈り」「優しさ」みたいなものを感じさせ、これは恐らく多くの苦難、圧倒的なバッシングの中で傷つきすぎた彼の魂が逆に研ぎ澄まされアーティストとして圧倒的な、誰も届かない領域に触れることが出来たからこその音楽だったと思ったりします。シンガーソングライターとしての彼の可能性を感じさせましたが、実質的にマイケルはこのアルバム以降、「過去の人」みたいになって2009年の急死までほとんど評価されることはなかったですね。個人的な見解かもですが。
やっぱり歴史的な曲やMVが多かったですね。秋の雰囲気にもあっていたようにも思います。「ビリージーン」や「リメンバー・ザ・タイム」「今夜はドントストップ」「マン・イン・ザ・ミラー」など他にも入れたい曲はあったのですが、やっぱり数が多くて、それだけ長く世界の音楽シーンの頂点にたことを示してしたとも言えます。最後の曲のところでも少し書きましたが、2009年の急死後に凄まじいほどの「マイケルジャクソン再評価」の渦が巻き起こったのは驚きでした。生前はあれだけバッシングしていた主にアメリカのメディアも「20世紀最高のエンターテイナー」と評していましたし、ここ日本でも僕が取っている毎日新聞の夕刊でしたか、マイケルの死を速報して一面大きく割いて報道していて、改めてその存在の大きさを痛感したと言いますか、僕個人「こんなにも世界はマイケルジャクソンという歴史を受け止めていたんだ」と衝撃を受けたことをよく覚えています。それから連日のようにマイケルジャクソンの歴史的なミュージックビデオが毎日のようにワイドショーで流されて、その1年後とかでしたか、彼が生前またコンサートをやろうとしていた記録をまとめたドキュメンタリー映画「ディス・イズ・イット」が公開され大ヒットも記録したりしましたね。僕自身めったに映画館で映画は観ないのですが、これは観に行きました。あれだけ容姿など叩かれまくって傷ついたマイケルジャクソンがその晩年、もう一度原点に戻って「歌とダンス」で世界にエンターテインメントを届けようとするその全盛期と比較しても衰えていなかった才能と情熱にそれまでの彼のネガティブなイメージは完全に覆され、それもあってマイケルジャクソンはまた歴史に残るスーパースターとなっていったのは皮肉な感じでもありました。映画で彼の変わらないピュアな感性、やさしい人柄、50歳を超えてもキレキレなダンスに衝撃を受けるとともに、「もういないんだ」と思ったら映画館で涙が頬を伝って流れたことも覚えています。いい映画でしたね。また観ようかな。そんな感じですが今回はこれで失礼します。ではまた何かの10選とかで。