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大人の才能開花は “不得意” から始まる
column vol.903
今日は大人だって才能を開花できるはず!というお話しです。
最近、ライフハッカーの【「才能がない」を受け入れた瞬間、才能の開花がはじまる】という記事を読んで非常に共感しました。
〈lifehacker / 2023年1月15日〉※2019年の記事の再編集・再掲載
カナダの人気ホームコメディ「Schitt's Creek」のデイヴィッド役で知られるダン・レヴィさんは、この記事の中で「クリエイティブな才能を増大する方法」について語っていらっしゃいます。
「もしうまくいかなかったら?」とか「もし自分に才能がないことに気づいたら?」という、とてつもない恐怖を抱いている人が多いです。
しかし、やりたくないこと(得意でないこと)を知るのも大事です。
それは、自分の人生において二度と開けなくていい扉ということ。扉を開けないのは、扉を開けるのと同じくらい大事だと私は思います。
つまり、クリエイティブに生きるには「諦める」ことがカギと言うのです。
「才能」は「諦め」から生まれる
なぜ、才能を諦めると、逆に才能が開花されるのか?
その問いについて考えてみたいと思います。
…そもそも人間は自分のことを分かっているようで分かっていない…
恥しながら…、自分の過去を振り返ってみると、ずっと理想の自分に裏切られ続けてきました、、、
理想の自分が現れては去り、また新しい理想の自分が現れても去っていく……
マーケティングというクリエイティブな仕事を選んでここまで歩んできましたが、ライフハッカーの記事に書かれているように
試行錯誤は成功への過程の一部であり、特にクリエイティブな仕事においては重要な過程です。すんなりといくことはほとんどありません。
時には、惨めな状態に陥るまで、あらゆることに挑戦する必要もあります。
オリジナリティを生み出す仕事は、常に上手くいかないことだらけ…
自尊心は毎日筋組織の破壊を繰り広げ…、自尊心は毎日筋肉痛に悩まされる…
……それは46歳になった今でも…(汗)
ただ、筋トレと同じように、筋肉破壊のおかげで確かな成長も感じているといえば、そうかもしれない。
それはクリエイティブな仕事を選んで良かったと思うところ。
そして成長や成功には、レヴィさんのように「不得意」なことを諦めるという観点が肝要です。
例えば、「言葉のセンス」があると思ってコピーライターになったものの、周りには言葉のセンスがある人で溢れている。
キャリアの問題かな?と思っても、次々と言葉のセンスのある後輩が入ってくるわけです…(汗)
結局、言葉のセンスでは勝てないから、営業に強いコピーライターになろうなどと試行錯誤しているうちに今の「マーケティングコンサルタント」に辿り着きました。
少なくても新進気鋭なクリエイターにはなれず、さまざまな才能を束ねて成果を出すプロデューサーの方が向いていたという感じです。
コンセプトメイクや、チーム(クライアントも含め)の合意形成をとること、あとはほんの少しの能力ぐらいが、まぁまぁそこそこで、あとのことは大体自分よりも得意な人が周りにいる。
でも、多分本当は人間なんて「不得意な部分」でほとんどが出来ているはずなのです。
能力が低い人ほど「過大評価」する?
人間は一人では生きれらないことを悟り、社会性動物になりました。
つまり群れで補い合いながら生きることを選んだわけです。
だから人間は「不得意」なことの方が多いはずだと思っています。
一生懸命チャレンジして、誠心誠意がんばった上で見えてくる不得意なことを受け入れ、それでも残る得意なことこそが「才能」。
チャレンジ+努力に加え、客観的に自分を見る能力こそ才能開花には欠かせないのです。
科学的にもそれは証明されていて、その1つが「ダニング=クルーガー効果」です。
〈東洋経済オンライン / 2023年1月12日〉
これは「能力の低い人ほど、自分の未熟さや他人のスキルの高さを正しく認識できない。そのため、自分を過大評価する傾向がある」というものです。
人間は心理的安全性を保つために、ダメな部分には目を向けたくないという心理が働きます。
「周り(環境)が悪かったから出来なかった」など、自己弁護してしま「認知バイアス」があるのです。
それもあり、人は自分ができそうなことだけに取り組んでしまう傾向にある。
できることをこなしていくから、「自分は何でもできる人間」と思ってしまうのですが、…悲しいことかな、それは誰でもできることだったりするのです。
当然できていると認識しているから、努力や新しい学びを得ようとはしない…
成長は鈍化し、また自己弁護に走るという負のスパイラルが始まってしまいます…
先日、【なぜ、ビジネスに「哲学」が必要なのか?】でもお話しした通り、哲学(学習)は「無知を知る」ことから始まるわけです。
才能も、才能がないことを受け入れて、得意なことと不得意なことに仕分けされた後に見えてくるもの。
「諦めること」は「明らかにすること」と同じなのです。
子どもの才能開花との違い
子どもの頃は、親や先生というコーチがいました。
大人からさまざまな挑戦を促され、大人が客観的に自分を判断してくれる。
そうして、自分のやりたいことと得意なことが上手くハマり才能が開花するというのが子どもの才能開花の在り方です。
しかし、残念ながら…、私もそうですが…(汗)、子どもの頃に才能を開花させることができなかった人も多くいるはずです。
でも、きっと全ての人が何かしらの才能を持っている。
子どもの時のように自分を導いてくれるコーチはいないわけで、自分がコーチになるしかない。
時に自分で自分を「千尋の谷」に突き落としてみたり、人との対話の中でメタ認知能力(客観性)を磨いたり、セルフコーチ能力を高める。
そうすれば、まだまだ眠っている才能を開花できる可能性はあると信じています。
今の世は、人生100年時代。
最近では120年時代なんて言われるようにもなりました(…長‥!)。
まだまだ才能を開花する時間は残っているはずです。
自分を千尋の谷に突き落とし(チャレンジさせる) → メタ認知で自分の得意不得意の明確化 → 才能開花
これが大人の才能開花のステップです。
本業でなくても、副業やボランティアなど、何かに打ち込み己を知る。
いずれにせよ、人間なんて不得意なことの方が多いんだと思っている方が人生豊かになる。
その方が人にやさしくなれるからです。
若い頃は人に対して腹を立てることが多かったのですが、最近は「人間だもの」と思うことの方が多い。
そうした自分の方が結果的に上手く仕事をできているような気がするのです。
そういうわけで、人に対して寛容になれるだけでも、きっと人生が別の景色に見えてくるかもしれませんね。