日本三景・宮島② | 静かな神々の島 | 泊まって良かった
2023年1月6日
前回から続く。
朝はまず温泉♨️に入ってゆったりしてから、6:30スタートの朝のガイドツアーに参加しました。
昨晩の夜景を眺めながらのツアーも良かったけど、朝もなんとも清々しくて、朝焼けの余韻がまだ残っている静寂の中で鳥の声が聞こえて、とても良かったです。
厳島神社は、推古天皇元年(593)、佐伯鞍職(さえきくらもと)によりご創建と伝えられているとのことですが、原始宗教のなごりで、島全体が神の島として崇められていたので、社を建てて神様である陸地を傷つけるのは畏れ多いとの考えで、潮の満ち引きするところに社が建てられたのだそうです。
今さらながらに、そういうことなんだ、と知りました。
この点についてはまた後ほど触れたいと思います。
また、この大鳥居の根元は海底に埋められているのではなく、自分の重みだけで建っているということを聞いてビックリ。
ガイドさんによると、現在は鳥居の上部の横木部分(箱状になっている)に合計約4トンの石が入っていてバランスを取っているそうで、昔からいろいろ試して進化してきているとのことでした。
今の大鳥居は2022年12月に大規模修理がなされた後の姿とのことですが、もともとは修理にそんなに時間がかかる予定ではなかったのに、開始したら柱がシロアリにやられていることが分かったので、想定以上の時間がかかってしまった、とガイドさんにお聞きしました。
(以下の中国新聞のサイトに関連記事があり、iPhoneでは読めるのですが、PCでは少ししか読めないようです。)
なお、こんなクスノキの巨木を探すのが大変で、災害等で万が一壊れてしまった時にすぐに対応出来るように、何かの時には日本全国のどこにある木を使うか決まっているそうです。
板と板との間にわざと隙間があるのです。
年に数回はこの回廊の上まで潮が満ちてしまうことがあるらしいですが、この隙間があることで、高潮時に床下から押し上げてくる海水の圧力を弱め、また廻廊に上がった海水を流す役目をするので、建物が動かずに済むのですと。もし板に隙間がなかったとしたら、潮が満ちてきた時に建物が持ち上げられて動いてしまうそうです。
知恵ですね。
ガイドさんにいろいろと教えていただき、約1時間の朝の充実のツアーを終えて、ホテルに戻りました。
チェックアウトして、人が少ないうちにまず厳島神社へ急ぎました。
平清盛が久安2年(1146)安芸守に任官され、この社を平家の守護神として尊崇し、平家一門の権力が増大するにつれて尊崇する度合いも増し、社殿を現在の姿になったとのことで、災害により何度か立て替えられていますが、清盛が造営した当時の姿が今に伝えられているといわれているそうです。
今の時代に見ても圧倒されるような建造物ですから、清盛の時代には、さぞかし凄い迫力だっただろうなと思います。
ここにいた神社の案内のおじさんが教えてくれました。
結婚式では必ずここで写真撮るんだよ、とのことでした。
たしかに綺麗でした。
平清盛は、瀬戸内の海賊を平定し、海運業者を支配し、日宋貿易によって莫大な財を築き、急速に昇進して、瀬戸内や宋との交易船の航海安全を祈るため、また瀬戸内海航路の要衝であった厳島を篤く信仰した、とのこと。
ガイドさんによると、清盛はここを通る船から税金も徴収していたそうで、たしかに信仰もあったとは思うのですが、税金あっての信仰だったのかな、とも感じます。
なお、明治維新までは、厳島弁財天もお祀りされていたが、神仏分離令により、現在は、大願寺にお祀りされている、とのことで、たしかに大願寺に行った時に、厳島弁財天と書いてあったなと思い出しました。
厳島神社の話に戻ります。
平成3年の台風19号で倒壊したものの、古材をできるだけ使用して平成6年に再建されたとのことで、わざと古材を使って味のあるこの雰囲気を出したのかと分かりました。
実際に歩いている時は分からなかったのですが、床は二枚重になっていて、本来の床板は下にあるほうで、上に敷いてあるのは養生板(ようじょういた)といい、参拝者が土足で歩いても良いようになっているのだそうです。
ただ、これは近年になって施工されたもので、昔は履物を脱いで昇殿していた、とのことで、やはり時代の流れというか、靴を脱がなくてはならないとなったら、今のようにたくさんの海外からの方々に来ていただけませんから良かったのかな、と。
この建物は、豊臣秀吉が戦没将士を慰霊するため、天正15年(1587)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)に命じて建立した大経堂で、その広さから千畳閣と呼ばれているのだそうです。
明治元年に閣内の仏像を大願寺に移し、明治5年に豊臣秀吉を祀り、豊国神社となったものとのこと。
お昼ごはん休憩をはさんで、いよいよ弥山に登ります。
ミヤマだと思っていたら、ミセンと読むそうです。
そこから歩き始めます。
ここは、大同元年(806年)に弘法大師・空海により開基されて以来、平清盛や伊藤博文などの信仰を集めたそうで、手つかずの自然は「弥山原始林」として、平成8年に厳島神社とともに世界遺産に指定され、点在する奇岩怪石や史跡と相まって、すばらしい景観を作り出しています、と弥山山頂マップの説明にあります。
ロープウェイを降りてから山頂までの往復はそれなりの登山道なのでしっかりした靴で歩く必要があります。
山頂から下ります。
遣唐使の使命を終え、京の都に帰る途中、弘法大師・空海は弥山に立ち寄り、護摩を焚いて100日間におよぶ求聞持(ぐもんじ)の秘法を修したと言われており、その修行に使った火が、1200年以上経った今も霊火堂の中で燃え続けている、とのこと。「消えずの火」と呼ばれており、その火で沸かした霊水は万病に効くと言われていて、広島平和記念公園の「平和の灯火」の元火にもなったのだそうです。この火も弥山七不思議のひとつだそうです。
この翌日に訪問した広島平和記念公園で、「平和の灯火」を見て、この火はあそこから来たのかと思いました。
最後はまたロープウェイに乗って下界に降りてきました。
最後にシカについて。
現在、約500頭のシカが宮島に生息し、街中にそのうちの約200頭がいるといわれているそうです。
ガイドさんによると、宮島の人口は約1,500人なので、人とシカの比率は3:1、昔に比べると人口は減少傾向にあるそうですが、シカの数はほとんど変わっていないとのこと。
宮島は神の島で、神様を傷つけてはいけないということで島では農業をやらないので、シカ害には無縁とのことで、人間とうまく共存ができているのでは、とのことでした。
が、この記事を書きながら調べていて知ったのですが、神様である陸地を傷つけないように潮の満ち引きするところに厳島神社が建てられたという点については、実は陸地だったところの土を削って海上神殿にしたのではないかという説があるようです。
厳島神社を上から見た写真を見たときに、よくこんな小さな入江みたいな(陸地を傷つけない)好都合な場所があったな、と思ったので、たしかにそうかも、と感じた次第です。詳細は以下をご参照ください。
脱線しましたが、シカの話に戻ります。
ガイドさんによると、特にシカにはエサを与えてはおらず、自然のものを食べているだけとのことでした。
シカが全部食べてくれるので、宮島には雑草が生えていないのだそうです。
ただ、樹木も食べてしまうとのことで、シカが立ち上がって届く高さまでは、食べられないように木に囲いがつけてありました。
散った後の桜の花びらも全部食べてしまうので、人が掃除をしなくても、すぐに綺麗になってしまうのだそうです。
あっという間に時間が経ってフェリー乗り場に到着。
その晩は広島に泊まり、翌日は広島平和記念資料館を訪問してから帰りました。
充実した旅でした。
静かな宮島、とても良かったです。
宮島に行かれる場合は、ぜひ宿泊されることをおすすめします。
最後はおまけ。
知り合いに、これは美味いよ、と聞いたので、帰りの新幹線に乗る前に、うえの広島三越店でお弁当を買って帰りました。
本当は宮島口本店に行きたかったのですが時間の関係で。
たまたまパッケージが昔の復刻版になってました。
おわり