見出し画像

辻の神々━━洋の東西比べ


 前回の「ぶら近所」で、三叉路のお地蔵さんをご紹介しました。
 三叉路、十字路など道の交わる辻と呼ばれる場所は、人や家畜が通るだけでなく、精霊や死霊が行き交う場所でもあります。
 また、村落の境界もその外側は異界とされ、良いことも悪いモノもそこから入ってくると考えられていました。
 そうした場所に道祖神やクナト神、地蔵、塞ノ神、馬頭観音、庚申塚などが祀られていることがよくあります。

 道祖神は男女の神で、伊弉諾・伊弉冉とも、猿田彦、天鈿女ともいわれますが、縄文時代の陰陽石(石棒、石皿)がルーツかもしれません。塞ノ神であり、豊穣の神でもあります。村落の境界や路傍に祀られています。

道祖神

 岐神の岐はえだみちのことで、まさに三叉路や辻の神。道中の安全を司り、牛馬を守護し、豊穣をもたらす神といいます。塞ノ神でもあり、猿田彦と習合していることもあります。

岐神

 地蔵も路傍に祀られているのをよく見かけます。釈迦が入滅して弥勒菩薩が出現するまでの間、人々を救済する役割を任されたのが地蔵菩薩と言われています。道祖神的な役割もあって、最も身近な菩薩かもしれません。

 塞ノ神は文字通り災厄が村落に侵入するのを防ぐ神です。

 村落の境界に馬頭観音は農耕に使役された牛馬の供養のために祀られました。そしてそこが牛馬の死骸の捨て場である場合も。牛馬の死骸を引き取り、処理することを仕事にする人がいたのです。死骸も無駄にせず、皮をはいで革製品に利用しました。

 庚申塚は庚申講という道教由来の民間信仰があり、庚申待ちの記念塔として立てられました。道祖神や地蔵、岐神とは少し意味が違うように思えますが、庚申の本尊の青面金剛は塞ノ神である猿田彦尊と習合しており、やはり境界を守護する意味で、町や村落のはずれに立てられることが多かったのです。

庚申塚

 変わったところでは黄幡おうばん神を祭るところもあります。黄幡神は九曜の星神のひと柱で、元々インドのラーフという神のことです。日食をおこす暗黒星といわれる災厄の神ですが、やはり日本神話で日食を引き起こした須佐之男命と習合しています。
 また、八将軍のひと柱ともいいます。方位を司る神が、なぜ道祖神のように祀られているのでしょうか。



 村落の入り口や境界に塞ノ神的な神像を立てる風習は海外にもあります。例えば韓国済州島のトルハルバンや、古代ローマのテルミヌスなどです。侵入しようとする外敵や災厄から村落、町を守護する神という分かりやすくシンプルな信仰ですから、世界のどこにでもありそうです。

 でも、三叉路や十字路といった辻が、生きている人間だけでなく、死霊や精霊(神)も行き交う場所と考え、そのため霊や神の声を聴く特別な場所とされたり、死霊をあの世(冥界)に送り出し祈りを捧げる場所とされ、またそこに祀られる岐神のような神は他にあるでしょうか。

 古代ギリシャにヘカテーという女神がありました。ヘカテーは元々アナトリア(現在のトルコ)の地中海に面した地方や、トラキア(現在のブルガリア辺り)の神で、ギリシャの神に加えられたといいます。冥界に住んでいるといわれているので、冥界の神ペルセポネーと同一視されています。

 ヘカテーは三面、三体で、たいまつを持っています。(他に剣やなわなどの持ち物もあります)地獄の犬を連れているともいいます。
 三つの顔は過去、現在、未来を表すとも、女性の処女、婦人、老婆の三相を表すとも、新月、半月、満月を表しているともいいます。ヘカテーは月の女神アルテミスの従姉妹で、冥府と月(特に一番暗い新月)の女神とされます。 

ヘカテー
Wikipediaより

 ヘカテーの三面の像は三叉路や十字路に祀られ、古代のギリシャではこのような場所は精霊の現れる場所と考えられていて、精霊の神託を受けるために、集会を開いたといいます。

 面白いのは、ヘカテー像に捧げられた食べ物などの供物は、貧しい人の食料にあてられたそうです。

 のちに中世、三叉路や十字路は魔女がサバトを開く場所などと言われ、処刑された犯罪者や自殺者の埋葬場所にもなりました。キリスト教から見れば、ヘカテーは異教の信仰ですから。かつての素朴な信仰の場所は悪魔信仰と結び付けられてしまいました。


「メルクリウス」ルーベンス
メルクリウス(マーキュリー)はヘルメスのローマ神話での名前
Wikipediaより

 古代ギリシャの伝令神ヘルメスも道祖神的な役割を持ち、路傍や土地の境界、十字路などに石像(ヘルマ)が建てられました。ヘルメスもヘカテーも旅人を守護し、生者と死者の案内者の神であり、死者の魂を冥界に導く神でした。

 ヘルメスは元々ギリシャの先住民が信仰したとても古い起源をもつ神だそうです。

アテナイのヘルマ
男性生殖器があることから、生殖力、多産、豊穣の神でもある
Wikipediaより

 ヘルマは猿田彦を思わせます。猿田彦も道の岐にいる塞ノ神であり、輝く二つの眼と高い鼻は男性器を象徴していると考えられます。
 邇邇芸命の天孫降臨の場面で猿田彦命は天と地を結ぶ天の八衢やちまたで待ち構えていました。八衢とは分かれ道のことです。
 そのとき天鈿女命が胸乳むなぢ女陰ほとを露出して、名を問います。まぁ、性器の対決だなんて……。スミマセン<(_ _)>

 猿田彦命と天鈿女命の性器は邪を払い、豊穣、多産をもたらす生命力の力の源だったのでしょう。二人の姿は仲良く肩を抱き合う道祖神としてあらわされています。

 そう考えると、境界や十字路(八衢)などに立てられたヘルマ(ヘルメス)は猿田彦命とよく似ていると思いませんか。

 残念ながら(?)ヘカテーは処女神なので、猿田彦と天鈿女のようにヘルメスと夫婦ペアにはなりませんでしたが。 

 ヘカテーはエジプトのヘケトという女神が原型ではないかといいます。しかし、カエル頭のヘケトに三叉路や十字路に祀られるという話はありません。なので、単に名前が似ているだけなのではと最初は思っていました。
 ただ、蛙(および蛇)は深淵から出現する生命の神と考えられていました。ヘケトは生命と同義とされ、死者を再生させる女神です。(キリスト教でも蛙は復活のシンボルです。)
 そしてヘケトは出産の女神です。古代エジプトでは死と生は繰り返すという考えがありました。
 ヘカテーも冥府に死者の魂を導く女神なので、生者と死者をつなぐという意味で、ヘケトがルーツと考えられたのでしょうか。
 どちらかというと、ヘカテーより天鈿女命のほうがヘケトに近いような気がします。



 それにしても、西のギリシャと東の島国日本に、これほど似た信仰━━それも素朴な民間信仰があったとは驚きですね。
 昔からギリシャ神話と日本神話に似た話があることは有名です。かといって、安易にルーツが同じだとか、ギリシャ神話が日本神話に持ち込まれたとは言いませんが、たとえ偶然似てしまったとしても、これほど距離が離れた地域で、同じような風習があったこと自体が何かとても不思議なこととは思いませんか?

いいなと思ったら応援しよう!