将門を祀る?荘厳寺(渋谷区)
荘厳寺は幡ヶ谷不動尊といった方が通りが良いかもしれない。
京王新線の初台駅で降りた。注意したいのは、京王線は停車しないので京王新線に乗ることだ。北口に出て新国立劇場を右に見ながらオペラ通りを北へ向かって進む。
水道道路を渡ってすぐ目の前のFUDO DORIと書かれたアーチをくぐる。道幅が急に狭くなる。
突き当りを右へ折れる。この通りがふどう通りで、荘厳寺の門前を通っている商店街だ。
光明山真言院荘厳寺は真言宗の寺である。永禄四年[1561]に創建された。本尊は薬師如来である。
この戦国時代に創建された寺が、なぜ平安時代の平将門の乱に関係があるのかというと、祀っている不動明王にその訳がある。
ここのお不動さんは実は藤原秀郷が将門追討の陣中に持ち歩き、戦勝を祈念した仏像なのだ。
不動明王立像は智證大師円珍が近江国で三井寺を開基するときに、自ら彫ったものだという。
秀郷は将門の追討に勝利した後、不動尊像を下野国の小山に安置した。小山は秀郷流藤原氏が開拓した土地である。
時はぐっと下って永禄年中[1558~1569]、武田信玄が像を甲州の七覚山の辺りに遷して崇敬した。それを今度は北条氏政が奪って相州筑井縣地勝院に安置。そして北条氏が没落した後、徳川家康が多磨群宅部村の三光院に遷したという。
それからさらに永享四年[1747]九月、霊夢のお告げにより荘厳寺に安置されたのだった。
江戸時代には成田山、高幡山と共に江戸三不動などと呼ばれていたそうだ。
ずいぶんといろいろな場所を転々としてきたお不動さん。これも戦に明け暮れる戦国武将たちが、俵藤太秀郷に勝利をもたらした不動尊を身近に置いて崇敬したいという思いがあっただろう。
今は勝負事というより厄除けにご利益があるみたい。
また、荘厳寺は御府内八十八カ所の十一番目の札所ということだ。こちらは真言宗の寺で構成された巡礼地なのだろう。
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