
スッタニパータ 第1章『田を耕すバーラドヴァージャ』Kasibhāradvājasuttaṃ(カシバールアドヴァージャ・スッタ)
原文
「Alattha kho kasibhāradvājo brāhmaṇo bhagavato santike pabbajjaṃ, alattha upasampadaṃ.
Acirūpasampanno kho panāyasmā bhāradvājo eko vūpakaṭṭho appamatto ātāpī pahitatto viharanto
nacirasseva – yassatthāya kulaputtā sammadeva agārasmā anagāriyaṃ pabbajanti, tadanuttaraṃ –
brahmacariyapariyosānaṃ diṭṭheva dhamme sayaṃ abhiññā sacchikatvā upasampajja vihāsi.
‘‘Khīṇā jāti, vusitaṃ brahmacariyaṃ, kataṃ karaṇīyaṃ, nāparaṃ itthattāyā’’ti abbhaññāsi.
Aññataro ca panāyasmā bhāradvājo arahataṃ ahosīti.」
訳
**「こうして、カシバールアドヴァージャのバラモンは
仏陀のもとで出家し、正式な僧侶となった。
出家して間もなく、彼は一人静かに修行に励み、
怠ることなく精進し、心を集中させて暮らしていた。
そしてほどなくして、
まさにこのために家を捨て、出家する若者たちがいるという、
この無上の修行の目的を、
彼自身の智慧によって見極め、体得し、達成した。
『生の輪廻は断たれた。
清浄な修行は全うされた。
やるべきことはすでに成し遂げた。
もはや再びこの世に生まれることはない。』
こうして、比丘バーラドヴァージャは
阿羅漢(完全なる悟りを得た者)となったのである。」**
話の背景
カシバールアドヴァージャは仏陀の教えに深く感銘を受け、
世俗を捨てて修行者となる決意を固めた。
彼は怠ることなく修行に励み、ついに阿羅漢果(最高の悟り)に到達する。
この偈は、修行によって輪廻から解放されることの意義を示している。
注釈・補足
「こうして、カシバールアドヴァージャのバラモンは仏陀のもとで出家し(Alattha kho kasibhāradvājo brāhmaṇo bhagavato santike pabbajjaṃ)」
「Alattha(アラッタ)」 は「得た」、
「kasibhāradvājo brāhmaṇo(カシバールアドヴァージャ ブラーフマノ)」 は「カシバールアドヴァージャのバラモン」、
「bhagavato santike(バガヴァト サンティケ)」 は「仏陀のもとで」、
「pabbajjaṃ(パッバッジャン)」 は「出家」。
彼は仏陀のもとで正式な修行僧となった。
「正式な僧侶となった(Alattha upasampadaṃ)」
「upasampadaṃ(ウパサンパダン)」 は「正式な僧侶の戒(受戒)」。
仏教の正式な比丘(僧侶)としての資格を得ることを意味する。
「出家して間もなく、彼は一人静かに修行に励み(Acirūpasampanno kho panāyasmā bhāradvājo eko vūpakaṭṭho)」
「Acirūpasampanno(アチルウパサンパンノ)」 は「正式な僧侶となって間もなく」、
「eko(エーコ)」 は「一人で」、
「vūpakaṭṭho(ヴーパカットホ)」 は「離れた状態で、孤独な修行」。
彼は静かな場所で、修行に没頭した。
「まさにこのために家を捨て、出家する若者たちがいる(Yassatthāya kulaputtā sammadeva agārasmā anagāriyaṃ pabbajanti)」
「Yassatthāya(ヤッサッターヤ)」 は「まさにそのために」、
「kulaputtā(クラプッター)」 は「家を持つ若者たち」、
「agārasmā(アガーラスマー)」 は「家庭から」、
「anagāriyaṃ(アナガーリヤン)」 は「家のない修行者の生活(出家)」、
「pabbajanti(パッバジャンティ)」 は「出家する」。
修行の究極の目的を達成するために、人は家庭を離れる。
「この無上の修行の目的を、彼自身の智慧によって見極め(Tadanuttaraṃ – brahmacariyapariyosānaṃ diṭṭheva dhamme sayaṃ abhiññā sacchikatvā)」
「Tadanuttaraṃ(タダンッタラン)」 は「無上の」、
「brahmacariyapariyosānaṃ(ブラフマチャリヤパリヨーサーナン)」 は「修行の完成」、
「diṭṭheva dhamme(ディッテーヴァ ダンメ)」 は「現世において」、
「sayaṃ(サヤン)」 は「自ら」、
「abhiññā sacchikatvā(アビンニャー サッチカットヴァー)」 は「完全に理解し、体得し」。
修行の目的を自らの智慧によって見極め、達成すること。
「生の輪廻は断たれた(Khīṇā jāti)」
「Khīṇā(キーナー)」 は「断たれた」、
「jāti(ジャーティ)」 は「生まれ(輪廻)」。
彼はもう二度と輪廻の中に戻ることはない。
「やるべきことはすでに成し遂げた(Kataṃ karaṇīyaṃ)」
「Kataṃ(カタン)」 は「成し遂げた」、
「karaṇīyaṃ(カラニーヤン)」 は「やるべきこと」。
悟りのために必要なことは、すべて終わったことを示す。
「比丘バーラドヴァージャは阿羅漢となった(Aññataro ca panāyasmā bhāradvājo arahataṃ ahosīti)」
「Aññataro(アンニャタロ)」 は「ある者」、
「panāyasmā(パナーヤスマー)」 は「尊者」、
「bhāradvājo(バーラドヴァージョ)」 は「バーラドヴァージャ」、
「arahataṃ ahosīti(アラハタン アホースィー)」 は「阿羅漢となった」。
彼は最高の悟りを開いた修行者となった。