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スッタニパータ 第1章『田を耕すバーラドヴァージャ』Kasibhāradvājasuttaṃ(カシバールアドヴァージャ・スッタ)第77偈




原文

「Saddhā bījaṃ tapo vuṭṭhi, paññā me yuganaṅgalaṃ;
Hirī īsā mano yottaṃ, sati me phālapācanaṃ.」


「信仰は種、苦行は雨、
智慧は私の轅と鋤の刃、
恥は轅木、心は綱、
念は私の鋤と犂である。」


話の背景

この偈では、仏陀が修行を農耕にたとえ、
真の耕作は精神的な努力によるものであることを示している。
バラモンのカシバールアドヴァージャが物理的な耕作を説くのに対し、
仏陀は精神的な修行こそが真の収穫をもたらすと説く。


注釈・補足

「信仰は種、苦行は雨(Saddhā bījaṃ tapo vuṭṭhi)」

  • 「Saddhā(サッダー)」 は「信仰、確信」、

  • 「bījaṃ(ビージャン)」 は「種」、

  • 「tapo(タポー)」 は「苦行、精進」、

  • 「vuṭṭhi(ヴッティ)」 は「雨」。
    精進がなければ、信仰という種も育たないことが示されている。

「智慧は私の轅と鋤の刃(Paññā me yuganaṅgalaṃ)」

  • 「Paññā(パンニャー)」 は「智慧」、

  • 「yuganaṅgalaṃ(ユガナンガラン)」 は「轅(ながえ)と鋤の刃」。
    智慧は修行の導き手であり、真理を耕す道具となる。

「恥は轅木、心は綱(Hirī īsā mano yottaṃ)」

  • 「Hirī(ヒリー)」 は「恥(道徳的な慎み)」、

  • 「īsā(イーサー)」 は「轅木」、

  • 「mano(マノー)」 は「心」、

  • 「yottaṃ(ヨッタン)」 は「綱」。
    心を正しく導くためには、道徳的な慎みと意志の力が不可欠である。

「念は私の鋤と犂である(Sati me phālapācanaṃ)」

  • 「Sati(サティ)」 は「念(正しい気づき)」、

  • 「phālapācanaṃ(パーラパーチャナン)」 は「鋤と犂」。
    正しい気づきが、心を耕し、解脱への道を拓くことを示している。

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