
スッタニパータ 第1章『田を耕すバーラドヴァージャ』Kasibhāradvājasuttaṃ(カシバールアドヴァージャ・スッタ)第79偈
原文
「Vīriyaṃ me dhuradhorayhaṃ, yogakkhemādhivāhanaṃ;
Gacchati anivattantaṃ, yattha gantvā na socati.」
訳
「精進は私の荷を引く力、
安穏の境地への運び手である。
それは戻ることなく進み、
到達すれば嘆くことがない。」
話の背景
この偈では、仏陀が修行を精進と比喩し、
安穏の境地(涅槃)へと向かう道を示している。
精進こそが修行を推し進める力であり、
その道を進めば、もはや嘆きや後悔はない。
注釈・補足
「精進は私の荷を引く力(Vīriyaṃ me dhuradhorayhaṃ)」
「Vīriyaṃ(ヴィーリヤン)」 は「精進、努力」、
「dhuradhorayhaṃ(ドゥラドーレーヤン)」 は「荷を引く力、運ぶ力」。
精進こそが修行を推し進める原動力であることを示している。
「安穏の境地への運び手である(Yogakkhemādhivāhanaṃ)」
「Yogakkhema(ヨーガッケーマ)」 は「安穏、安全な境地(涅槃)」、
「adhivāhanaṃ(アディヴァーハナン)」 は「運び手、導き手」。
精進によって安穏の境地へと導かれる。
「それは戻ることなく進み(Gacchati anivattantaṃ)」
「Gacchati(ガッチャティ)」 は「進む」、
「anivattantaṃ(アニヴァッタンタン)」 は「戻ることのない」。
精進の道を歩む者は、もはや過去に戻ることなく前へと進む。
「到達すれば嘆くことがない(Yattha gantvā na socati)」
「Yattha(ヤッタ)」 は「そこに」、
「gantvā(ガンターヴァ)」 は「到達する」、
「na socati(ナ ソーチャティ)」 は「嘆くことがない」。
安穏の境地(涅槃)に到達すれば、もはや悲しみや苦しみは存在しない。