
スッタニパータ 第1章『チュンダ』Cundasuttaṃ(チュンダ・スッタ)第90偈
原文
「Ete ca paṭivijjhi yo gahaṭṭho, sutavā ariyasāvako sapañño;
Sabbe netādisāti ñatvā, iti disvā na hāpeti tassa saddhā;
Kathaṃ hi duṭṭhena asampaduṭṭhaṃ, suddhaṃ asuddhena samaṃ kareyyā’’ti.」
訳
仏陀が答えた。
「この四種の修行者を見極め、
知識と智慧を備えた在家の弟子は、
それぞれの特性を知り、識別し、
信仰を損なうことはない。
いかにして、不純なる者が清らかな者を、
穢れた者が純粋な者を、
等しく扱うことができようか。」
話の背景
この偈は、仏陀が修行者の種類を識別する重要性を説いている。
特に、在家の信者が、修行者を正しく見極めることが大切であることを強調している。
信仰を持つ者が、真の修行者と偽りの修行者を区別することで、
誤った道に導かれることを防ぐという教えである。
注釈・補足
「この四種の修行者を見極め(Ete ca paṭivijjhi)」
「Ete(エーテ)」は「これらの者」
「paṭivijjhi(パティヴィッジヒ)」は「見極める、理解する」
つまり、「四種の修行者(道を征服した者・道を説く者・道を歩む者・道を汚す者)を見極める」ことを示している。
「知識と智慧を備えた在家の弟子(sutavā ariyasāvako sapañño)」
「Sutavā(スタヴァー)」は「学識ある者」
「Ariyasāvako(アリヤサーヴァコ)」は「聖なる弟子」
「Sapañño(サパンニョ)」は「智慧を備えた者」
つまり、正しく仏法を学んだ在家の弟子を指す。
「それぞれの特性を知り(Sabbe netādisāti ñatvā)」
「Sabbe(サッベ)」は「すべての者」
「Netādisāti ñatvā(ネーターディサーティ ニャットヴァ)」は「彼らがどのような者であるかを知ること」
つまり、「修行者の特性を理解し、正しく判断する」ことを意味する。
「信仰を損なうことはない(Iti disvā na hāpeti tassa saddhā)」
「Iti disvā(イティ ディスヴァ)」は「そのように見て」
「Na hāpeti(ナ ハーペティ)」は「失わない、損なわない」
「Tassa saddhā(タッサ サッダー)」は「彼の信仰」
つまり、在家の信者が真の修行者を見極めることで、誤った信仰を持たずに済む。
「いかにして、不純なる者が清らかな者を、穢れた者が純粋な者を等しく扱うことができようか(Kathaṃ hi duṭṭhena asampaduṭṭhaṃ, suddhaṃ asuddhena samaṃ kareyyā’’ti)」
「Duṭṭhena(ドゥッテーナ)」は「不純な者によって」
「Asampaduṭṭhaṃ(アサンパドゥッタ)」は「汚されていない者」
「Suddhaṃ(スッダン)」は「清らかな者」
「Asuddhena(アスッデーナ)」は「穢れた者」
「Samaṃ kareyyā(サマン カレイヤ)」は「等しくする、同じものと見なす」
つまり、「清浄な修行者と、誤った修行者を同一視することはできない」という戒め。