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「光る君へ」第40回「君を置きて」一条帝の死と道長の変貌

源氏物語の朗読会。

読まれているのは33帖「藤裏葉」。
紅葉が盛りの頃、光源氏の邸宅である六条院に冷泉帝(光源氏と藤壺宮の密通によって生まれた子)をお迎えし、華やかに宴を催す場面。
そこで光源氏と冷泉帝が瓜二つに見えると語られる。そこに控えていた中納言(夕霧…光源氏の息子)もまたこの二人とそっくりだと語られる。

冷泉帝と夕霧は腹違いの兄弟なのだから、似ていて当然なのだ。

ここで、道長は「不実の罪は必ず己に返ってきますゆえ」と言う。

そして、このあとまひろが執筆しているのは、36帖「柏木」のこの場面。

誰も千年の松ならぬ世は、つひに止まるべきにもあらぬを、かく人にもすこしうち偲ばれぬべきほどにて、なげのあはれをもかけたまふ人あらむをこそは、一つ思ひに燃えぬるしるしにはせめ

まひろ:
誰も千年の松にはなれぬ世では、やがて命が尽きるものなのだから、こうしてあの人(女三の宮)にすこしは忍んでもらえそうなうちに死んで、仮そめの情けをかけてくれた人があっとということを、一途な思いに燃え尽きた証としよう

源氏物語36帖「柏木」

光源氏の正妻女三の宮と密通した柏木が光源氏に強烈な皮肉を言われ睨まれたことで病にふせる場面。この後、柏木は死んでしまうのだった。
まさに「不実の罪が己に返ってくる」。
んー、でも光源氏、自分はやりたい放題で、他人にはこの仕打ち、ちょっとないんじゃないかと源氏物語を読んでいると思うのだが。

まひろは「罪を犯したものは…」と呟くが、まひろの言う「罪」とは自分と道長のことなのか?それとも光源氏のこと?


一条天皇は体調がすぐれない様子。
道長はまるで一条天皇の死を待っているかのようである。
薬師を呼ぶとか祈祷するとかもっと手を打てよ、と思ってしまう。加えて一条天皇の部屋の隣で、占いさせるとかありえない。このあたりのことは、山本淳子氏のステラでの解説がとてもわかりやすいのでこちらをどうぞ。

この記事に「君」が誰なのかの考察もあり、興味のある方はぜひどうぞ。


そして、まひろは、宮中での出来事に対し自らの感情を表さない。

表情は動くのだが、道長に対しどう思っているのか、この状況をどう見ているのか、何も語らない。女房とはそういうものと言ってしまえばそれで終わりだが、今まで歯に衣着せぬもの言いだっただけに、何を考えているのかとても気になる。

そういえば、紫式部日記に

水鳥を水の上とやよそに見む我も浮きたる世を過ぐしつつ
水鳥が水の上を優雅に泳いでいる姿を自分とは関係ないものとして見るだろうか。いやそんなことはない。水鳥が水の下では必死でもがいているように私もまたこの辛い世の中を必死でもがいて過ごしているのだから。(ゆきはら訳)

という紫式部の歌が載っている。

これは敦成親王が生まれたばかりの頃の歌なのだが、まひろはこんな気持ちでいるのかな、と思ったりもする。

もはや自分にはどうにもできない事態に、必死でもがくようにその場にいるのかもしれない。


市中を歩く賢子と乙丸。猿楽を見るもの、物売りなどの様子など、まるでまひろの若い時を見ているよう。乙丸が双寿丸に背負われている姿が可愛らしい。

ああ、若い世代って希望なんだな、とつくづく思う。


一条天皇役の塩野瑛久さん、本当に素晴らしかった。
こんなに平安時代の装束が似合う人は他にいないと思う。

ロバート秋山さんも似合うんだけど、これはまた別の意味で。

今回はまとまりのない文章になってしまった。
すみません。
一条天皇の死と、道長の変貌に動揺が隠せない。

追記
コングラボードいただきました。
お読みくださった方、いいねを押してくださった方ありがとうございました。



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