短編小説『私とぼくと』
友人から送られてきた私の誕生日を祝うメールに「死ね。」と返信した。私は元来そういう人間である。相手の感情を推し量ることが苦手で、ただひたすらに自分がしたいと思ったことだけをしてきた。自分の言動が人を傷つけているかどうかなんて考えたこともなかった。自己の振る舞いに自覚的ではなかった。
幼少の頃、きらいな人間の穴という穴に、なんとも形容しがたい美しいかたちのミミズを詰め込んだ。彼らが悲鳴を上げるのをただ眺めていた。快感はなかった。だが、あまりの喚きようだったので、これはだれかが私を叱ってくれるかもしれないと少しばかり期待していた。しかし、先生に怒られることはなかった。その先生は、カラスに荒らされたゴミ捨て場の生ごみを見つめる目で、私をまじまじと見つめた。それだけだった。両親も私を怒ることも、殺すこともしなかった。だが、さすがに私に被害を被った幼子たちの親は黙っていなかった。何十回と殴られ、蹴られたことを今でも鮮明に覚えている。それを見ていた母親から聴いたところによると、私は殴られ、蹴られるたびに笑っていたらしい。
私の振る舞いはその後も変わることはなかった。高等学校に通っている頃には、肌の黒い級友に対して、己の汚い手で三角形をつくり、「アパルトヘイト」と叫んでいた。無論、私に近づく者などいなかった。家族でさえ、私を敬遠していた。しかし、倫理観の欠如した私といういきものにもひとり、友と呼べる人物がいた。彼はおそらく私の友人であったことを恥じているだろうから、ここではKと呼ぶことにする。彼は、私の言うこと、なすことすべてに笑ってくれた。私はそれがうれしかった。私を肯定してくれる人間はKのみであった。一生、ともに過ごしていくものだと思っていた。彼が死ぬその日までは。
大学生になり、数か月たった頃、私には、何人か仲間がいた。仲間といっても彼らは人に暴力をふり、酒を浴びるように飲み、女を喰らうことに快感を覚えるようないきものであった。彼らといるときは、自分という存在を考えなくてよかった。ただ彼らと日本の片隅でおぼれていれば、それでよかったのである。そこに私はいなかった。
そして、その頃には、Kに会うことはなくなっていた。会う必要がなかった。Kの存在すら忘れていたのかもしれない。
九月二十七日。たしか、午後六時半ごろではなかったかと思う。今でも、朧げな記憶ではあるが、覚えている。心地よい秋風が吹く中、いつものように仲間たちと女を犯していると、私のスマートフォンに一件のメールが届いた。Kのアドレスからだった。砂利のような顔面をした女を冷たいコンクリートの上に押しつけてメールの内容を確認した。
本日、午後三時ごろ、Kは原付で走行中、電柱に頭から突っ込んで死にました。即死でした。Kのメールを確認していたところあなたとのやりとりが目に付いたので、一応.、お伝えしました。Kと仲良くして頂いていたのでしたらありがとうございました。
Kの母親より
彼は貧乏なくせに高価な原付に乗っていた。大方、酒でも飲んで事故を起こしたのだろう。彼の死を知って、涙が流れることも、感情が動くこともなかった。ただ、何を成し遂げたのかも知らぬ、たぬきのような顔をした政治家の訃報をニュースで見たときと同じような気分であった。そして、彼の死などすぐに忘れた。
仲間とのくだらない遊びに飽き、私はいつしかクスリに手を出していた。すべてがどうでもよかった。これがクスリによるものなのか、私の生来の気質によるものなのかは、今となっては判然としない。
しかし、そんな私にも、自分を見つめ直さざるを得ないイベントがやってきた。就職活動である。
就職活動。それは、ほとんどの学生たちがきらい、逃げたくなるイベントであろう。無論、私もきらいである。大学生にもなると、どの企業にも私は必要とされないだろうということを自覚できる頭があった。当然、就職の伝手やコネがあるわけではなかったので、就職活動から逃げることはかなわなかった。
そこで、私はある決断をした。それは、もうひとりの私、つまりもうひとつの人格をつくり出すということである。そして、私は、つくり出したもうひとつのそれを「ぼく」と名付けることにした。
ぼくには、私の感情が介入することはなかった。もとから私が感情というものをもっていたのかということは、今となっては定かではないが、もしかしたら私は俳優に向いているのかもしれない。台本に操られている彼らは己の感情を排除し、キャラクターを己の身体のなかにとりこむ。だが、それができる人間はいない。そして、それゆえに彼らは人間でいられるのである。しかし、私は己を完全に抹消することができる。つまり、本物の俳優のできあがりだ。
すこし話がそれた。私はぼくをそこらにいる普遍的な就活生に磨き上げることに注力した。それに時間はかからなかった。
「御社の企業理念に共感し、・・・」「私の強みは、・・・」「座右の銘は、・・・」
三十社ほど選考を受けたころであっただろうか。名前すら忘れていた会社から内々定の連絡がきた。断る理由が思いつかず、その場で承諾した。そして、ぼくの就職活動は終了した。このとき、私はぼくを捨てることはしなかった。ぼくのままで生きることにしたのである。
会社で働き始めたぼくは、たくさんの仲間たちに囲まれた。同僚と一緒にランチに出かけたり、仕事終わりに居酒屋で上司の愚痴を言い合ったりした。楽しかった。私はふつうの人間になれたと錯覚した。だが、ふつうは長くは続かない。
ある日、既存のアプリケーションしか入っていないスマートフォンを何の気になしに眺めていると、メールの通知がきた。送信元には、Kとあった。
「久しぶりに酒でも飲もうや」
メールにはただそれだけ書かれていて、居酒屋の場所が示された地図が添付されていた。あれ、あいつは死んだのではなかったか。己の疑念を晴らすため、私は彼とのメールを見返した。すると確かに、九月二十七日の午後六時半。彼が事故で死んだというメールが、彼の母親を名乗る人間から届いていた。はあ、ぼくは疲れているのか。そんなことを思いながら彼とのメールを眺めていると、九月二十七日午後一時。彼からメールがきていたことに気づく。
誕生日おめでとう! 久しぶりに会おうよ。積もる話もあるだろうし。酒でも飲みながら朝まで語り明かそう。どうせ君はおれ以外に友人なんていないだろ?
そのメールに私はただ一言、
「死ね。」と返していた。そしてKは死んだ。
その刹那、ぼくの穴という穴からミミズが入り込むような感覚を覚えた。私が彼を殺したのだ。嗚咽した。全身の毛がそりたった。遅れて徐々に鳥肌がたってきた。私はそれを舐め、治めようとした。鳥肌を舌で味わうのが好きだった。だが、今は味を楽しむ余裕などなかった。
私が彼を殺した。殺したのだ。だが、彼は生きている。それだけがずっとぼくの脳裏をかすめていた。
思考がまとまらないうちにぼくは身支度をしていた。とにもかくにも居酒屋に急ぐことにしたのである。会社の同僚にプレゼントしてもらったポールスミスのスーツに身を通して、髪の毛をセットした。このときには、すでに存外冷静さを取り戻していたのかもしれない。きちんと鍵を閉めて家を出た。いきたくはなかった。だが、いかない選択肢はなかった。
居酒屋に着くとKは背を丸くしてひとりぽつんと座っていた。それは私が知っている彼の姿そのものであった。彼との記憶が脳裏によみがえる。彼と目が合うと同時にぼくは両手両膝を清掃されていない埃だらけの床につけて謝罪していた。
「私がお前を殺したのだ。すまなかった」と。
すると、彼は笑いながらこう答えた。
「悪いな。冗談のつもりだった。おれが死ねば君も少しは変わるかなと思ったんだ。だからおれは母の名前を使って自分を殺した。君がおれを殺したわけではない。だけど君は変わらなかった。ショックだった。君を救えると勘違いしていた。それと同時に、おれは君が変わらないでいることがうれしかった。だが、君は今、おれに屈辱的な格好で謝罪をしている。それがいささか疑問だよ。おれの知ってる君は人に謝るなんてことはしなかった」と。
意味が解らなかった。私のために死んだ? なにを言っているんだこいつは。ぼくはぼくだ。お前の死は、ぼくとはまったく関係がないはずだ。それにぼくの謝罪が疑問? そんなことあるか。
こいつはKではないかもしれない。そんな考えがぼくの脳裏を過った。だが、彼の笑った顔は、K以外の何者でもなかった。ぼくは逡巡していた。あれ、ちょっと待てよ。Kの死は、ぼくとは関係がないのか? 私がKを殺したのではなかったか? 私はぼくで。ぼくが私で。ああ、もう疲れた。やめよう。思考が停止した。
そんなぼくを見て、彼がふと問いかけた。
「誰だお前は」と。