紅葉に心を映されて
京都には紅葉の有名スポットが数多くある。
駅には各スポットの見処状況見たいなものがあって、全箇所が見処を表す赤色の紅葉のシールが貼られていた。見処が過ぎると、また違うシールが貼られる。そんな時、いよいよ冬だなとスポットに伺わずとも、季節を感じさせてくれる。そんな街。
TVでは観光スポットの特集が毎日のように放送されていて、混雑してます!綺麗です!の繰り返し。と言われましても、中々、人混みに突っ込んでいくような体力はないのだ。
こんな時、山の麓に住んでいる我々は家周辺が観光スポットだ。庭にはヤモリがいて、たまにカメムシが家に飛び込んできて。全く忙しいお家だとこと。否応でも自然を感じる事が出来る。
この前、突如カメムシがリビングテーブルに飛び込んできて、ひっくり返っているカメムシを見た母が「最近、可愛く見えてきた。」と言った。
人は環境で決まる。と言う。
これか。と僕は思った。
紅葉の観点で言うと、家の近くには疏水がある。最近、上映開始になった翔んで埼玉でも取り上げられていたのだろう。琵琶湖から京都に水を運ぶライフライン。人口の川を想像して欲しい。
小さい頃、ここに行けば満足出来た場所はないだろうか?僕は意識が低くて恐縮であるが、イオンである。フードコートにはメガポテトがあって、カラオケとボーリングが安い。ゲーセンの種類も多くて、ウイニングイレブンの端の席は僕の席だった。365日全四季大満足スポット。
自然のイオンが疏水だ。脇にはソメイヨシノやイチョウの木があって、正直に言うと、日本の四季が全て詰まったお手軽スポットなのだ。規模は観光スポットには劣る。それで良いのだ、何でも手軽が良いのだ。
久しぶりに疏水を散策をした。
僕が小さい時より、綺麗に整備されていて、
疏水の真ん中を観光用のボートみたいなものが横切る。突然、手を振られた。お辞儀した。こう言うのを無視するのは得意じゃない。
変わんないなあ。
ざくっざくっと落ち葉を踏み締める。
秋独特の匂いがあって、ちょっと甘くて、クリーミーとスパイシーの間みたいな香りが鼻に入ってきて。もみじとイチョウのハーモニー。僕にとって、深呼吸って、息を吸うことっていうより、自然の匂いを取り込む為に存在している。山育ち。
ちょっと歩くのが疲れたので途中で坂を下って、近くのコンビニでカルピスを買って。また疏水に向かえば、道に迷って。
何か寄り道して、迷いたいのか、知らない道を選び続ける癖は小さい頃から変わってない。道に迷うことは、不安と愉しさを引き出すライフハックだ。とか考えて。
ちょっとベンチに腰掛けて。黄色と赤色の香りをツマミにカルピス飲んで。ベンチが空いてるんだから、座らないとね。
さよならは赤黄色のベールに包まれて。
紅葉ってのは色づきを楽しむのも良いけれど、
色づきに包まれるって言う愉しみもあると思っていて。何か不思議な温かみのある赤黄色が日差しと混ざって、神々しかった。
本当は疏水を歩きながら、色々なことを考えようと思ってたけれど、頭空っぽで何も考えてなかった。甘い香りに唆されたようだ。
君は考えすぎなんだよ。
頭空っぽでも充実したでしょ。
唆されて、優しく囁かれて。
ここはいくら空気が澄んでいても
イオンではないね。
僕はもう気づいている。
囁かれたわけじゃない。
心が映ったのだ。
自分が欲している言葉が
紅葉を通して浮かんできただけ。
場所というより、映し鏡だ。
20年歩いてきた場所だから正直になれただけ。
であれば、また歩こう。自分の心を映す為に。
家に帰宅。腰に湿布を貼った。
治りかけのギックリ腰が悪化したのだ。
赤黄色には麻酔の香りが含まれていたようだ。
今も湿布が手放せません。
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