勇気と正しい道
川で溺れている子猫を助けた。
人は勇気のある行動だと称賛する。
日本代表が強豪国に競り勝った。
勇気を貰った! と称賛する。
インタビューをしてみると
子猫を救った人は「体が勝手に動いた。」
日本代表は「勝つのに必死だった。」と言う。
僕は、勇気とは行動がもたらした結果に思える。
勇気をもたらした当人は勇気を認識していない。
誰かが勇気を出そうとしている間に
本当に勇気のある人達は行動しているのだ。
行動するのが難しいのではないか?
そんな声が聞こえてくる。
はい、大変申し訳ございません。
自分は「勇気ないなあ。」と思うし
行動に移す事もしていない(泣笑)。
ただ、行動出来るまでの道を考えてみる。
お笑い番組を見ていた時に
平成ノブシコブシが千鳥を語っていた。
「勇気貰ったよ。
ロケの正解を変えてしまった。」
昔のロケは情報を正しく伝える事が最優先。
芸人であっても不要なボケはいらない。
千鳥は怒られてもロケでボケ続けた。
ただ面白いと思った行動を繰り返したのだ。
もう料理紹介かコントか趣旨が分からない。
何処にいようが、信じる物を決して曲げない。
自分が正しいと信じる物。信念だ。
自分の信念を強く持つ事。
行動を起こす前の大前提なのかもしれない。
また、信念は磨かれていくものだと思う。
アドラーの嫌われる勇気を昔に読んだ。
嫌われる勇気を持ちなさい。と。
嫌われる事を恐れるのは悪い事なのか?と思う。
人間として通常の欲求だと思う。
ただ、その欲求にどっぷり浸かりすぎると
他人の人生を生きていると言われても仕方がない。
嫌われないように生きるには
他者の基準や評価の中で生きざるを得ない。
他者の基準。○をイメージしてほしい。
僕たちには自分の信念がある。これも○だ。
他者の基準に生きている時
信念が他者の基準に重っている。と思う。
重ならない信念の面積はどの程度だろう?
僕たちの信念は結構に重なっていて
純粋な面積は少ないかもしれない。
または無理に信念を曲げて
重ね生きてきた人もいるだろう。
そんな感じで、ずっと生きてきたのだ。
だから、行動する事が、怖くなる。
まずは自身の信念を持つ。
そして他者の基準と重ねていく。
他者の基準に信念は
奪われなくて良いのだ。
人は一歩を繰り返すことが出来る。
行きたくない飲み会は断るでもいい。
聞きたくない会話は話を逸らすでもいい。
そんな事から一歩ずつ。
他者の基準を否定する必要もない。
信念を持ち、他者基準との
心地よい重なりを探す旅。
一歩ずつ行動をしていけばいいのだ。
信念に基づき身体が自然と動くまで。
いつか、他者の色を変えうるかもしれない。
いつか、人に勇気を与えるのかもしれない。
そんな、一歩を歩み続ける背中で。
そして、誰かが、片足を未到の方向に。
正しい道に正解はない。
ただ、歩み続けたい道を
開拓する事は出来るはずだ。
↓ご紹介
とらねこさんの「文豪のいざない」に参加。
毎週お題を貰い、投稿する企画です。
今週は「勇気と正しい道」でした。
お題って零から考えられるので
僕はとても楽しいんですよね。
僕の書く事は主観の極みなので
ズレているかもしれませんが。
ことば。は面白いです。
勇気という単語でも千差万別、
頭に浮かぶワードは皆違うでしょうし。
想像する時間はいつもワクワクするし
ことばにする作業も楽しんでいます。
ことばだけじゃなくて
思った事を思った方法で。
(半端な蒸留物。
綺麗な塩では無いですね。
マイペースに自分の塩を。)
好きなものは、自分の蒸留物だけじゃない。
美しい塩、心に響いた塩、一杯一杯。
(ありがとうございます。)
前回の企画はこちらー