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『本居宣長』 先崎彰容

   

ひとり遅れの読書みち   第32号



    江戸中期の国学者、本居宣長についての書籍ながら、冒頭のページに、G7広島サミット(2023年5月開催)と大東亜会議(1943年11月)の写真が登場する。前者は岸田文雄首相を中心にして西側先進7カ国の首脳が写ったもの。後者には東條英機首相を中心として、ビルマ、満州、中華民国、タイ、フィリピン、インド各国代表7人が並んでいる。当時アジアの盟主として、日本が西洋列強の帝国主義に対抗して世界秩序を創り出そうとしたときのものだ。
    G7の写真が示すように、今日本は「西側の一員」として主要な位置を占め、それを当然のことと考えている。だが、わずか80年前には「西側」に対抗して「東側」の指導国家であることを目指していた事実がある。西側とは「一貫して距離」を感じてきたし、「絶対に越えられない亀裂」が「深々と入っていた」と著者はいう。東西間の軋轢が、本書のひとつの大きなテーマになっている。

    仏教伝来の7世紀から、日本は大陸からの価値観を受け入れ緊張を強いられてきた。律令体制を整えた強大な国家隋唐が出現し、その影響力にどう対応するかが問われ続けた。また19世紀後半、幕末・明治維新期には、西洋資本主義諸国が「新しい西側」として出現し、制度、文物、思想にいたるまで強力な影響を及ぼしてきた。

    著者は「西側」の普遍的価値との軋轢と葛藤とが宣長にも著しく表れていると指摘する。宣長の前にあったのは「日本を日本語以外の世界観で説明し続けてきた言語空間」であり、日本は「西側から到来する価値を普遍的だとみなし、その導入に腐心することで国家として生き延び」てきたと著者は記す。宣長は日本が「固有の顔」を失い「歴史と場所」を奪われ続けてきたことを知り、和歌を詠み源氏物語を学ぶことで「閉塞感の打破」を目指し「自由の希求」を試みたと、著者は分析する。

    よく知られているように、宣長は「からごころ(漢意)」という概念を創出して儒学的思考を批判している。「西側」の書に基づく人間関係が、善悪を激しく区別するだけではなく「合理的解釈」を世界に下し「相手を悪とみなし糾弾し、善へ導くべきだ」という態度をとる。自らの価値を「普遍的価値」「世界で唯一の正当性」をもつものとして他へ強制する。これに対し宣長は、人間の感情には合理では説ききれない「陰影や奥深さ」があると主張し「もののあはれ」をしる生き方を強調するのだ。

    「もののあはれ」は、著者によると、「男女の恋愛を基礎にした人間関係」であり「男女が紡ぐ駆け引きの中に、私たちの生き方の基準」を見出だすというもの。朱子学的世界観以前の「生活様式」であり、「太古の息遣いさえ聴こえてくるような時代の人々の佇まい」こそ「もののあはれ」だと指摘する。
    「もののあはれ」を「しる」という心の動きがあってはじめて「うた」がこの世に出現する。とくに宣長が万葉集よりも古今和歌集を重視して「もののあはれ」論を展開していることに著者は注目する。

    「やまと歌は、ひとの心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」という古今和歌集の仮名序の有名な書き出しの中で、宣長は「心」に注目すべきと説く。
    『石上私淑言』の「もののあはれ」論は、古今和歌集のこの仮名序に徹底的にこだわることで立論を進めて行くものと、著者は説明している。
    「あらゆる生き物には情」があり、「物事にふれると必ず感情を揺さぶられ」、その結果「歌が生まれてくる」として、「悲しむべき事件に出会えば悲しむ」「喜ぶべき事態ではうれしいと感情が動き」、あまりにも「あはれ」が深い時「とどめようとしてもとどめ難く、心のうちに閉じ込めておけない感情に支配される」。「溢れた思い」にかたちを与えようとし始め、自然と歌をよむ。さらにあまりにも「あはれ」の深い時は自分でよむだけでは足りず、他人にも聞いてもらうことで慰められるという。
    つまり心の動きを「他人との間で共有したい」と願う。歌を聞く側にも「あはれ」と思わせることが自分を満足させる。著者は、他人との関係に注目している点でこれは「倫理学」だとする。さらに多様な心の揺れ動きの中で、最も日本人が興味を抱いてきたのが「色好み」の人間関係であり、しかもそれは儒教や仏教のように道理や善悪を中心に判断するものではなく、「ゆたかさ、おおらかさ」を強調した倫理だ。「太古の日本人の生き方」に共鳴し、それを受動的に感じとる能力、つまり「肯定と共感の倫理学」であるとする。

    宣長は現在の私たちから観ると「非常に遠い存在」だが、実はルソーやカントとほぼ同時代を生きていた。ルソーやカントの著作を私たちは今でも時間的な落差や西洋と日本という空間の差を感じないで読むことができる。しかし宣長の著作はどうも「古色蒼然」として見える。だが、「西側」の考え方や生き方あるいは国家観が今でも私たちの思考を「呪縛」しているとすれば、日本独自の生き方や思想を示す宣長の著作をもっと読みさらに学ぶべきだろう。本書はその良き導き手となってくれる。
    なお本書は、宣長の半生を扱ったものであり、残りの時代に関する続編を期待したい。
(メモ)
本居宣長
「もののあはれ」と「日本」の発見
著者 先崎彰容
発行 2024年5月20日
発行所  新潮社

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