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マスクを率先して外す?


私にとってこの3年間のマスク生活は、とても負担の大きなものでした。

今年に入って、「あぁ、やっとマスク生活から解放される!」という安堵が大きかったです。
春先は花粉にやられてマスクした時期もありましたが、今はほとんどノーマスクです。

病院や人ごみの中などでつけることも稀にありましたが、ごく稀です。
着用を求められたら着けられるように、一応ポケットには入っています。

2020年にマスク生活に入ってから、
学校の中でも猛烈に違和感を感じたことを今でも鮮明に覚えています。
4月の初っ端の学級開きで話をしながら、子どもたちの反応を見ようとするのだが、
??
自分の思いが伝えられない。相手の思いがわからない。
「あ、自分も、みんなもマスクしていたんだった!」
と気づき、とてつもない不安を感じました。

自分も外したいのに、子どもたちに着けなさい!と指導するのもしんどかったです。
あらゆる活動が制限されていた時期でもあるのですが、学級の基盤となる空気感が醸成されるまでに時間を要したことを記憶しています。

感情の読み取りに長けている人は、マスクをしてもあまり影響がないとの研究も見たことがあるのですが、私は感情の読み取りが苦手な人間なので、人の気持ちを察するのに苦労します。

マスクは自分にとってはとても脅威に見えてしまうのです。
今はマスクをしないことの感染リスクよりも大きな脅威です。

周りのようすや、ネットニュースのコメントを見ると、自分のような感覚の人はマイノリティなのだと気づかされます。

もちろん自分が外したいから外しているだけなので、外したくない人に外してほしいとも思いません。

上記の記事に戻りますが、
・学校生活において、「マスク着用は原則不要」と通知には明記されている。
・一方で、保護者などから「児童・生徒がマスクを外す選択をしたくても外せない状況にある」といった内容の相談が多く寄せられた。
とのこと。

一部を切り取った情報なのでなんとも言えないのだが、
場所によっては自由に個人の選択ができないような環境要因があるのだろう。
周りを見て流れに乗らざるをえないような空気感を想像すると気持ちが暗くなります。

「教職員が率先して(マスクを)外して指導を行う」という気持ちもわからないでもないのですが、
これが新たな圧のようになるのも不安です。

個人の選択の自由を保障されるような心理的な環境、空気感を醸成すると言えばいいのだろうか。
個々の意思が尊重される雰囲気を大切にしたいものである。



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