『クレイマー、クレイマー』:1979、アメリカ
結婚して8年になるジョアンナ・クレイマーは、7歳になる息子のビリーを寝かし付けた。彼女は思い詰めた様子で「愛してるわ」と息子を抱き締め、自分の荷物をまとめ始めた。
その日も夫のテッドは帰りが遅く、副社長のジムと会社で話し込んでいた。テッドはジムから、「アトランティック社の営業を任せる。年間売り上げ目標を達成すれば自分は共同経営者だ。そうすれば君は重役だ」と聞かされる。
テッドが楽しい気分で帰宅すると、ジョアンナが「貴方と別れるわ」と告げる。テッドが困惑していると、ジョアンナはクレジットカードや鍵を渡す。
テッドは引き留めようとするが、ジョアンナは「お願いだから連れ戻そうとしないで」と感情的に告げてエレベーターに乗り込んだ。テッドが「ビリーはどうする?」と問い掛けると、ジョアンナは「連れて行かない。私は悪い母親よ」と目に涙を浮かべた。
隣人のマーガレットは事情を知り、テッドの所に来る。テッドは「半年間、最大の代理店契約を取るために頑張った。それが決まった上、副社長は僕を重役にすると約束した。喜びの報告をしようと戻ったら、別れるって言うんだぜ」と不満をぶつける。嫌味っぽい態度を取る彼に、マーガレットは「勘違いしないで。貴方じゃなくてジョアンナが心配だから来たのよ」と話す。
テッドが「君がチャーリーと別れるまで、僕らは何事も無かった」と文句を言うと、マーガレットは「彼女は不幸な人よ。家を出るのは大変な勇気だったと思うわ」と告げる。しかしテッドの「息子を置いてか」という問い掛けに、彼女は何も答えられなかった。
翌朝、テッドは目覚めたビリーからジョアンナのことを訊かれ、「ママはパパと喧嘩して、一人になりたくなったんだ。すぐに帰るよ」と説明する。テッドは朝食を用意しようとするが、フライパンの置き場所も、フレンチトーストの作り方も知らなかった。朝食作りに失敗したテッドは、苛立ちを示した。彼はビリーを学校へ送り届け、急いでタクシーを拾った。
テッドから事情説明を受けたジムは、「ビリーをしばらく親戚に預けた方がいいと思う。アトランティック社の営業を任せるのは大抜擢で、快く思わない連中もいる。子供のことで仕事を疎かにされては困る」と語る。テッドは「家庭の問題は職場に持ち込みません。期待は裏切りません」と約束した。
テッドは自宅にも仕事を持ち込み、遊び相手をしてほしいビリーに邪魔されて腹を立てた。彼は買い物に出掛けるが、いつも使っている日用品が分からず、ビリーが教えた。ジョアンナからビリー宛ての手紙が届いたので、テッドは読み聞かせた。
「今のママにはやりたいことが幾つかあるから家を出ました。離れていてもママは貴方を愛しています。これからママは一人で生きていきます」という内容を聞き、ビリーはすっかり暗い表情になってしまった。テッドはジョアンナの写真や使っていた物を全て片付けた。
テッドはジムからノーマンの入社5周年記念パーティーに参加するよう誘われるが、ビリーを迎えに行く用事があるので断った。予定より20分遅れてテッドが到着すると、ビリーは「最後だよ」と不機嫌そうに告げる。
テッドは「道が混んでいたんだ」と釈明するが、ビリーは帰宅しても機嫌が悪いままだった。彼は夕食もあまり取らず、「もう寝るよ」とベッドに潜り込んだ。後で寝室へ行ったテッドは、箪笥の引き出しにジョアンナの写真があるのを見つけた。テッドは、それを棚に上に飾った。
ジョアンナが家を出てから数ヶ月が経過し、テッドはビリーとの2人暮らしに慣れていく。しかし仕事には支障をきたしており、彼は大事な打ち合わせに遅刻した。
テッドはマーガレットから、チャーリーの交際相手が子連れのバツイチ女性だと聞かされる。テッドが「再婚するつもりは?」と訊くと、彼女は「無いわ。子供がいなければ別だけど。お互いに別の相手と再婚したとしても、チャーリーが子供の父であることに変わりは無い」と話す。「もしチャーリーが過ちを認めて許しを求めて来たら?」とテッドが尋ねると、彼女は「彼が本当に私を愛していたら、離婚しなかったはずよ」と口にした。
テッドはアトランティック社との契約に失敗し、ジムに「奥さんが家出してから8ヶ月、君は悪くなる一方だ。家庭内の問題で仕事に支障をきたすなど許されない」と批判される。
テッドは「もう二度と同じよなミスはしません」と言うが、そこへビリーから電話が掛かって来る。テッドが「テレビは1日に1時間の約束だろ。他の家がどうかは関係ない」などとビリーに説いている様子を見て、ジムは不愉快そうな表情を浮かべた。
ビリーが夕食の際にワガママを言い出したので、テッドは注意する。ビリーが言うことを聞かずにアイスを食べたので、テッドは彼を寝室へ放り込んだ。ビリーが「パパなんて大嫌い」と喚くので、テッドは「パパだって大嫌いだ」と怒鳴った。テッドが部屋を出て行くと、ビリーは「ママ」と号泣した。
しばらく時間を置いて、テッドはビリーが眠ってから寝室へ赴いた。テッドがシーツを掛けてやるとビリーが目を覚まし、「ごめんね」と謝った。テッドは「パパもさ。もう遅いから、早く寝なさい」と優しく告げた。
ビリーが「パパも行っちゃう?僕が悪い子だからママは出て行ったの?」と尋ねるので、テッドは「違うよ。お前のせいじゃない」と否定した。彼は自分がジョアンナを型にハメようとしたこと、ママは幸せのために努力していたこと、自分が仕事優先でママの話を聞こうとしなかったことを説明し、「パパが幸せならママも幸せだと思ってたんだ。だからママはとても寂しかっただろう。お前のせいじゃなく、パパのせいだ」と告げた。
テッドは同僚のフィリスを夕食に誘い、自宅でセックスした。翌朝、裸のまま廊下へ出たフィリスは、目を覚ましたビリーと遭遇した。フィリスは焦って取り繕い、テッドはベッドで「しまった」という表情を浮かべる。しかしビリーは淡々とした様子でフィリスに対応し、トイレへ向かった。
テッドはビリーを小学校へ送っていくことも、余裕を持ってこなせるようになった。その様子をジョアンナが密かに見ていたことを、テッドは全く知らなかった。
ある日、テッドは公園でビリーを遊ばせ、ベンチでマーガレットと話していた。するとジャングルジムで遊んでいたビリーが、誤って落下してしまった。テッドは慌ててビリーを抱き上げ、病院へと走った。ビリーは目の近くを10針縫うことになり、テッドは痛がる彼に付き添った。
しばらくして、テッドはジョアンナからの電話を受けた。テッドが喫茶店へ行くと、ジョアンナは2ヶ月前にニューヨークへ戻ってきたこと、たまにビリーを見ていたことを話した。
ジョアンナはテッドに、「職に就いてセラピストにも診てもらい、生まれ変わった気分になった。息子への愛情も、面倒を見られることも分かった。ビリーが欲しいの」と告げる。「家を捨てたのは誰だ」とテッドが苛立つと、ジョアンナは「私は母親よ」と主張する。
テッドはビリーの引き渡しを拒否し、弁護士のジョンに相談した。ジョンはジョアンナの弁護士を付けていること、法廷は母親に同情的であることを告げる。彼はテッドに、子供を引き渡したくなければ母親の不適格を立証するしかないと述べた。
裁判の予定が決まった日、テッドはジムから解雇通告を受けた。無職のままで裁判に勝つことは不可能なので、テッドは翌日の内に新しい仕事を見つける必要に迫られる。しかし12月22日だったため、就職は非常に難しかった。テッドは求人広告を見て複数の会社を回
るが、どこも断られた。彼は年収が48000ドルも下がることを承知で、美術商であるクメール商会の面接を受けた。テッドは部長のスペンサーに「今すぐに返事を下さい」と訴え、採用してもらう。テッドは裁判に挑むが、やはりジョアンナ側が優位なまま進んだ…。
脚本&監督はロバート・ベントン、原作はエイヴリー・コーマン、製作はスタンリー・R・ジャッフェ、製作協力はリチャード・C・フィショフ、撮影はネストール・アルメンドロス、編集はジェリー・グリーンバーグ、美術はポール・シルバート、衣装はラス・モーリー。
主演はダスティン・ホフマン、共演はメリル・ストリープ、ジェーン・アレクサンダー、ジャスティン・ヘンリー、ハワード・ダフ、ジョージ・コー、ジョベス・ウィリアムズ、ビル・ムーア、ハウランド・チェンバレン、ジャック・ラメージ、ジェス・オスーナ、ニコラス・ホーマン、エレン・パーカー、シェルビー・ブラマー、キャロル・ナデル、ドナルド・ガントリー、ジュディス・カルダー、ピーター・ロウンズ、キャスリーン・ケラー他。
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エイヴリー・コーマンの同名小説を基にした作品。脚本&監督は『夕陽の群盗』『レイト・ショー』のロバート・ベントン。テッドをダスティン・ホフマン、ジョアンナをメリル・ストリープ、マーガレットをジェーン・アレクサンダーが演じている。ビリー役のジャスティン・ヘンリーとフィリス役のジョベス・ウィリアムズは、これが映画デビュー作。
アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚色賞、主演男優賞(ダスティン・ホフマン)、助演女優賞(メリル・ストリープ)の5冠に輝き、ジャスティン・ヘンリーは史上最年少となる8歳でアカデミー助演男優賞にノミネートされた。
この映画は、決してフェアな内容ではない。夫サイドのストーリーだけを追い掛けているので、どうしても妻サイドに立ってみると不利になってしまう。
映画で描写されている部分だけだと、まるでジョアンナが急に家を出て行き、しばらく息子を任せてあったのに急に「自分が引き取りたい」と要求して裁判を起こす身勝手な女に見えるかもしれない。しかし実際には、きっと家を出るまでに悩んだはずだ。
ジョアンナは家を出て行く際、「悪いのは私。私なんかと結婚したのが間違いよ」と自分を責めている。決してテッドを非難したり、不満を浴びせたりはしていない。ウーマン・リヴに染まった自分に問題があるのだと認めている。
「自分探しのために息子を置いて家出する」というのは、確かに身勝手な部分があることは否めない。ただし、家庭を全く顧みず、孤独や辛さを感じている妻の発するシグナルに気付かなかったテッドにも非はある。
っていうか、むしろジョアンナが家を出るまでの夫婦関係においては、テッドの方が圧倒的に悪かったんだろうと思う。彼はジョアンナの家出についてジムに語る時、「今までの彼女は腹を立てると、だんまりを決め込んでいた」と話している。
つまり、以前からジョアンナはシグナルを発していたのに、テッドは軽く考えていたのだ。そして彼はジョアンナが家を出ても、まだ自分に大きな非があるとは思っていない。そりゃあ、夫婦関係が破綻するのも仕方が無いんじゃないかと思わされる。
「一方的に妻を悪く描いており、完全に男目線からの映画である」ということで、この作品の評価を下げようとは思わない。そもそも、これは夫婦の在り方を描こうという作品ではなくて、「仕事人間だった主人公が父性に目覚める」という話だ。「テッドの父親としての変化や成長」に主眼を置いているので、「もっとジョアンナ側を描くべきだ」という観点から文句を付け始めると映画が成立しなくなってしまう。
当時のアメリカでは(日本でも似たような状況だっただろう)、「養育において必要なのは絶対的に母親である」という風潮があって、親権を巡る裁判では妻が圧倒的に有利だった。そんな中で「父親が主夫の仕事をして子供を育てる」というシングル・ファーザーの生き方を描いたことには、大きな意味があると言ってもいいだろう。
家庭のことを何も知らなかったテッドも、息子を置いて家を出て行ってしまうジョアンナも、どちらも親としては未熟だった。しかし、テッドは否応無しに家事をやったりビリーの世話をしたりする羽目になったことで、親としての自覚に目覚める。
一方、ジョアンナは家族と離れたことで、息子の大切さに気付かされる。その結果として、皮肉なことに2人とも「ビリーと暮らしたい」と考えるようになる。その一方で、夫婦関係を修復しようという気は無いので、おのずと対立することになる。
しかし夫婦関係が修復される可能性は無いものの、テッドとジョアンナは憎しみ合っているわけではない。2人とも他に好きな相手は出来ているけど、だからと言って元配偶者を嫌っているわけではない。男女としての恋愛感情は消えても、人間としての情は残っている。
だから裁判で争うことになり、最初は相手を攻撃する証言をするものの、途中でテッドは弁護士の厳しい追及を受けるジョアンナが可哀想になる。ジョアンナが涙を浮かべて訴えるような視線を向けると、テッドは彼女に語り掛ける。
ただし、法廷シーンでテッドがジョアンナを心配してて小声で話し掛けるのは台本ではなく、ダスティン・ホフマンのアドリブだ。その他にも、ダスティン・ホフマンがアドリブで演じたシーンは幾つもあり、それだけでなく彼の提案を受けてシナリオが変更された箇所も多いらしい。
本当ならば共同脚本として表記されてもいいぐらい、脚本への貢献度は大きいってことだ。脚本に関してもそうだけど、この映画はダスティン・ホフマンの演技力が貢献している部分も大きい。それとメリル・ストリープもね。この2人が名優として評価されている理由が、とても良く分かる映画だ。
映画開始から30分ほど経過した辺りで、テッドがビリーの寝室の引き出しにあるジョアンナの写真を見つけるシーンがある。その前にはテッドがジョアンナの写真を全て片付ける描写があるので、ビリーは密かに取り出して自分の部屋に持って行き、テッドにバレないように見ていたってことだろう。それを知って心を痛めたからこそ、テッドはその写真を棚に置くのだ。夫婦の不和で犠牲になるのは、いつも子供なのだ。
そしてカットが切り替わると、壁にはジョアンナの写真や手紙が飾られている。夜のシーンでは無かった物だから、月日が経過したってことだ。そして月日の経過に伴って、そういった物を飾るように変化したってことだ。
その後には、かなり意味のあるシーンが用意されている。目覚めたビリーがトイレへ行き、出て来るのと入れ違いで今度はテッドがトイレへ行く。トイレから出て来たテッドは玄関のドアを開けて新聞を取り込み、ビリーは食器とドーナツを並べる。テッドはミルクを運び、コップに注ぐ。ビリーは雑誌、テッドは新聞を開き、隣に座ってドーナツを食べる。
その間、セリフは一言も無い。だが、朝の用意がスムーズに行われていることで「2人の生活が当たり前になっている」ということが示され、隣同士で新聞と雑誌を同じように読むことで「父と子の絆」が見えるようになっている。
テッドが2人での生活に慣れたことは、その朝食シーンで提示されている。しかし、その直後には、大切な打ち合わせに慌てて向かう彼の様子、そこへ秘書がビリー関連のスケジュールを説明しに来る様子が描かれ、「仕事には支障が出ている」ということも示される。
父親として、家庭人として順応したとしても、仕事との両立は簡単じゃないってことだ。全てを手に入れようとするのは無理で、何かを犠牲にしないとダメってことだ。それは父親であっても、母親であっても同じことだ。
夕食の時にビリーがワガママを言い出し、反抗してアイスを食べたことでテッドが腹を立てて2人は喧嘩になる。だが、それは決して父子の関係が悪化したということではない。
むしろ、以前は父親に気を遣って遠慮していたビリーが、ちゃんと感情をぶつけて、平気でワガママを言えるようになったってことだ。そして、喧嘩しても、すぐにお互いが謝罪して仲直り出来るぐらい、親子の絆が深まっているということなのだ。
仲直りの後、ビリーから「僕が悪い子だからママは出て行ったの?」と訊かれたテッドは、「ママが出て行ったのは、パパが理想の奥さんにしようとしたからだ。でもママは、そういうタイプじゃない。ママもパパを幸せにしようと努力したし、上手く行かない時は話し合おうとした。だけどパパは仕事が忙しくて、ママの話を聞こうとしなかった。パパが幸せなら、ママも幸せだと思ってたんだ。だからママは、とても寂しかったろう」と語っている。
以前は自分の非を認めていなかった彼が、月日の経過によって「自分が悪かった」と認識するように変化しているのだ。それはビリーに「お前のせいじゃない」と思わせるための嘘ではなく、本心から出た言葉だ。
ジョアンナが家出した翌朝、テッドはビリーを小学校へ送り届ける時、息子の話を聞いている余裕なんて全く無い。会社へ行く時間ばかりを気にして早足になっており、さっさとビリーを先生に預けてタクシーを拾う。
しかし、それから30分ほど経過したシーンでは、テッドは学校へ向かいながらビリーの話に耳を傾けている。むしろ、「それから?」とテッドが問い掛け、ビリーが「遅れちゃうから、またね」と切り上げるほどだ。そしてテッドはビリーとキスを交わし、先生に預けた後に振り返って様子を見る。それだけ余裕があるし、ビリーに対する父性も芽生えているってことだ。
あまりにも有名なのは、テッドがフレンチトーストを作るシーンだ。ジョアンナが家出した翌朝、彼はフライパンの置き場所さえ分からず、卵を割ると殻が入ってしまう。しかもマグカップに卵を入れたので、トーストを浸すために半分に折らなきゃいけなくなる。牛乳が必要なことをビリーに指摘され、後から加える。よそ見をしている内にトーストを焦がしてしまい、フライパンで火傷しそうになって苛立つ。
しかし終盤、ビリーをジョアンナに引き渡す朝には、手際よくフレンチトーストを作っている。
ジョアンナが出て行った翌朝のシーンで、テッドはビリーに対して饒舌に話していた。それに対して、彼女にビリーを引き渡す朝は一言も喋らない。しかしドーナツの朝食シーンと同様、2人で手際よく朝食を用意する様子には、親子の絆が感じられる。時間の経過、テッドの成長、ビリーとの父子関係の変化、そして「もう別れなきゃいけない」という寂しさが伝わり、心に響くのだ。
ちなみに、私がフレンチトーストを初めて知ったのは本作品だし、たぶん日本でフレンチトーストの認知度が一気に高まったのも、この映画の影響じゃないかな。
(観賞日:2015年2月18日)
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