Making Sense - Finding Our Way 2-2
H:これは経験してみないと答えることができない質問ですね。恐らくあなたが正しいのかもしれない。では、一旦ドラッグのことは忘れて、映画のマトリックス的な世界の話をしましょう。そこでは、あらゆる心が、好きなだけ創造的、あるいはその世界ではとても創造的に見えるのだけれども、実際には幻覚のなかで孤独に過ごしている。それはただの幻影で、現実とのつながりを失い、完全な仮想現実の中に生きている。しかしながら、この仮想現実はあまりにも刺激的で美しく、喜びが湧き出ていて、もう何が現実かなんてどうでもよくなってしまう。
このような状況の場合、倫理的な観点から言って、現実の世界に生きることと、創造の夢物語の中で生きることに何か違いがあるのでしょうか。
D:ないでしょうね。その人が自らその夢の世界に入ったと仮定して、ですけど。その場合は、その人が経験しているのは本当の喜びであり、他の喜びと同じように、彼自身の心によって純粋に生み出されたものです。実際、このマトリックスのような話は、それほど現実離れしているわけではないです。例えば、純粋数学について考えてみると、G.H.ハーディはこう言いました。「数学者の素晴らしい点は、夕食後に目を閉じて肘掛け椅子に座っても、私が仕事をしているか、あるいは転寝をしているかは誰にもわからないことだ」。彼は純粋数学の仮想現実の中にいて、脳の中のほんの小さな領域で大きな喜びと偉大な創造性を経験していたのです。
H:この話をもう少し広げてみましょうか。私たちはマトリックスを作り、そこに人間の意識を移住させることにしました。でも、そうしたら同意に関する問題はどうなるんでしょうか。あなたも私も、この世界に生まれてくることに同意したわけではないのに、私たちをこの世に送り出した両親を責めたりはしませんね。私たちは何世代もかけてマトリックスを作ってきた人たちを責めるでしょうか。
D:まず、明らかに現実的な問題がありますね。例えば、現実の世界で小惑星が地球に衝突したときに、このマトリックスはどれだけ安全なのか、とか。しかし、そのような問題には対処できると仮定して、実際には考慮すべき倫理の問題があると思います。ただし、私は「倫理」という言葉を少し違った意味で使っている。あなたは「倫理」と「道徳」をほとんど同じように扱っていますね。私はもう少し現実的なルールのようなものだと思っているんです。例えば、医療倫理のようなものです。医者が倫理的に批判されないように患者の安全のために採用しないといけない医療倫理のことです。この仮想現実の中に人を入れるためには、そういった倫理が必要だと思います。もし、人々が外に出たいと思えば、出る方法がなければならない。ただ、それはより現実的な問題ですね。
H:ちょっと説明しますと、私はこのマトリックスが夢のような素晴らしい世界だと仮定しています。誰もが自分の想像の世界にいるんです。創造性を最大限に発揮できる世界なんですが、他の誰とも関係を持たないという世界です。そして、他人と関係があると思っている感覚は単なる幻想なんです。
D:つまり、問題に取り組むにあたって本当の意味での協力は存在しないということですね。なぜなら、「ほかの人々」は創造的ではないからだ。一般的には個々の貢献の合計よりも共同作業をしている人たちのほうがより良く、より速く創造することができる。でも、それはあくまで経験則に過ぎません。なかには、ひとりで仕事をし、ひとりでいたいという人もいます。私も孤独を好む人間です。一人しかいないマトリックスの世界に入りたいと思う人はあまりいないでしょうが、もし望む人たちがいるなら良いと思います。ただし、その人はマトリックスの中ではクリエイティブでなければいけない。それがとても重要です。
ところで、人は他人の存在によって楽しく感じるとか、ヘロインで楽しくなるとか、テレビ番組で楽しくなるとか、そういう概念があります。でも、それは間違いです。主観的には何かに楽しませてもらっていると解釈するかもしれないですが、本当に私たちを楽しませてくれるのは、私たち自身が創造的に物事に関与しているからなんです。創造的な関与なしには、何も楽しむことはできない。せっかく宝くじが当たっても悲惨な結末を迎えるというお決まりのストーリーがありますよね。このような状況で陥りやすい一般的な罠というのは、お金が自分を楽しませてくれると考えてしまうことで、本当に自分を楽しませることができるのは自分自身だけだということに気づかないないことです。セックスとドラッグに明け暮れる人生さえ手に入れれば幸せになれると想像していたロック・スターも同じです。何百万人に一人しか達成することができないような生活をしても、結局は自分が惨めであることに気づくのです。このありがちな皮肉なストーリーというのは十分あり得ることです。
H:間違いないですね。しかし、幸福になるには他にも方法があります。それはある意味、幸福を経験するのにより根本的な方法であり、創造力をつかわなくてもできることだと思います。多くの人が、楽しいことの反対は退屈であることだと考えているというあなたの考えには同意します。しかし、私の経験では、退屈とは注意力の欠如にほかならないと思うんです。
何事にも十分な注意を払えば、退屈を和らげることができるんです。私は最長で3カ月間、瞑想だけをするリトリートに参加したことがあります。最初のうちは、呼吸の感覚に集中するのが一般的なテクニックなんですが、ある程度集中できるようになると練習の幅が広がり、他の感覚にも集中することができるようになります。例えば、景色や音、気分、さらには思考そのものなど、意識に現れる一過性のものであるあらゆるものに注意を向けることができるようになります。
創造性を発揮し、複雑な問題を解決したいと思っている人から見れば、これはクレイジーで非生産的なことのように思えるかもしれません。ある意味、瞑想というのは創造的な思考と相反するものだからです。瞑想のためには、押し寄せる思考を捨て去らないといけないのです。それがどんなに興味深い思考であってもです。瞑想をしているときに呼吸に細心の注意を払っていると、思考が絶えず生じてくることに気づきます。そして、その思考に何分間も没頭していることに気付くんです。しかし、集中力が高まってくると、思考が生じる瞬間に、それが意識の中の何かとして観察することができるようになります。そして、このプロセスが深まれば深まるほど、思考が侵入してくることは少なくなり、思考が生じるのに気づくのも早くなります。そして気づいた瞬間に、思考は消えていくんです。この思考に没頭することなく、純粋に経験を観察することは、静寂と幸福の境地になりえるんです。
瞑想についてはもっと言うべきことがたくさんあるのですが、私はただ、この瞑想によって引き出される精神状態が創造的思考の型にははまらないものだということを示したいだけなんです。新しい概念を生み出す方法でもなければ、新しい理論につながるものでもないですし、ましてや、概念的な思考を必要とする問題解決方法でもないです。
D:私は瞑想に関して、今あなたが教えてくれたこと以外は何も知りません。正直言ってすべてが幻想なのではないかと思いますが、あなたがそう言うのだからきっと幻想ではないんでしょうね。
ほとんどの思考は実は無意識的なものです。私たちが意識できていることは氷山の一角に過ぎず、意識的な思考でさえ、無意識的な思考の豊かな基盤によって支えられています。そして、無意識の思考も意識的な思考と同様の認識論に基づいて機能しているのです。ですから、思考は創造的であることもあれば非創造的であることもあり、非合理的であることもあれば合理的であることもあり、進歩することもあれば進歩しないこともある。それは、意識的な思考が様々な形で知識の成長を促進したり阻害したりする場合と同じ条件です。ですから、瞑想が終わったときに、あなたがより良い人間になっていると仮定すれば、つまり、あなたの心がより良い心になっていると仮定すれば、その「より良い心」は、超自然的なものではなく、現実的な何かによって作られたものなのだと思います。そして、もしあなたがそのプロセスを意識していないのなら、それはあなたの無意識がやったことに違いない。そして、瞑想という特殊な状況下では、意図的に意識が何もしないようにすることで、無意識の中にある創造性の障害物が取り除かれるのかもしれない。障害物とはそれ自体がアイデアであり、実際、無意識の方が意識的なものよりもよく間違える。つまり、これは単に創造性を高める方法なのかもしれませんね。
H:まあ、実際のところ、それほど重要ではないのかも知れませんが、それは確かにその通りでしょうね。瞑想をすると沸き起こってくる思考がよりクリエイティブになることは良くある話です。小説家であれば、プロットや対話などに関するこれまでで最高のアイデアが浮かぶかも知れない。瞑想を続けるためにその最高のアイデアをあきらめるのはとても難しいことです。私も失敗した経験があります。書き物についてのアイデアが浮かんできて、それについてもっと深く考えたいと思ったんです。そして、このクリエイティブなアイデアを無駄にしてはいけないと思って、最終的にはリトリートを台無しにしてしましました。この発想がクリエイティブになるということ瞑想においては良くあることなんですが、瞑想の価値というのは単に将来によりクリエイティブになる準備をするというだけではないと思うんです。その価値は、人の幸福の本質や苦しみの仕組みについての基本的な意見を持てるようになることです。そこには、解決されるべき謎が存在していて、その謎を解くことで人は将来においてよりクリエイティブになるだけでなく、幸福な現在を手に入れることができるようになるのです。たとえ、クリエイティブな発想がなくてもです。
D:あなたの無意識が本当にクリエイティブであるならば、まさにそうなるでしょうね。無意識の幸福が、あなたが意識的に気付く時までふつふつと湧き上がっている。そして、これまでは意識の中の何かがそれを妨げていた。
H:寧ろ、ノイローゼだったり、恐れだったり、不安など、クリエイティブになることを妨げている要素を、瞑想によって抑制することでクリエイティブになるのではないかと思います。
D:残念ながらそのような要素はクリエイティブになることを妨げるでしょうね。
H:クリエイティブになるのを妨げる要素に関して、いったいどのような部分に関して私たちが合意できてないか、ということを完全に特定できていないような気がするんですが。