俳句の鑑賞と作法レッスン(偽例)
よしなしごと【気まぐれ選08】
山寺や 一足毎に 緑沁む
戦後の第三次細道派を代表する俳人の一人、竹尾波京(たけおはきょう・1914〜98)の代表句である。
作者は東北の人であるから、「山寺」は、一般には山形県立石寺のことと解されている。但し、鑑賞としては普通名詞の「山寺」としてとらえても何ら差し障りはない。
いずれにしても、山門に続く急峻な山道、お堂へと導く石段、全山を覆う気高い清浄感といったものが、この「山寺」という一つの言葉ですべて伝え切られている。ここが俳句の妙味であり、また切れ字である「や」の有する盤石の力が認められるところでもある。
俳句初心者の方は「山寺や」とすべきところを、ともすれば「山寺の」あるいは「山寺に」などとしてしまいがちであるが、「や」という切れ字の意味をもう一度意識しなおし、噛み締め、しっかりと受け止めていただきたい。
次に、「一足毎に」で、この句の対象者が見えてくる。参詣のために我が身を我が力の限り、一歩一歩推し進めていく秘められた意志への感動が、「一足毎」という表現に凝縮された。
鑑賞として、この人物は山寺に上る作者本人とする解説があるが、私はそうはとらない。作者はあくまでも全山を見通している。ここでは遥か上空からの視点で緑の木々の間を縫う人影を捕えている。いわば山水画の視線である。
点景として配された人物を、心の目で凝視することによって、作者はその人物の足の運びや心の動きまでを見てとるのである。まさに「一生写生」の俳句道を貫いた竹尾波京ならではの視座といえよう。
なお、蛇足ではあるが例会での朗読の際、「いっそくごと」と読んでおられる方があった。「ひとあしごと」と読むべきである。
さて、季語は「緑」である。「緑」は初夏の季語。ちなみに「緑立つ」とすれば晩春の季語となる。当然のことながら、この句の緑は若葉の色である。山寺に満ち満ちる清浄な空気感を「緑」一語で完結している。もちろんご存じと思うが、この空気感は「清々しい」のである。間違いやすいが「爽やか」は秋の季語である。老婆心ながら注意しておく。
ここで皆さんには、この機会にもう一度季語の集大成である歳時記の重要性を再認識していただきたい。できれば歳時記の完全暗記を目指し、当協会の季語1級検定に挑戦していただくようお願いする。歳時記と検定要項・解説ビデオのセット(¥15,750・税込)は事務局で販売している。
閑話休題、下句ではこの緑が、「沁む」のである。単に緑があるのではなく、緑と人が一体となる。たとえば「緑濃し」ではどうか、「緑揺れ」ではどうか、否である。「沁む」との違い、奥行きの深さを感じ取れる絶好の題材と言えよう。
作者は推敲に推敲を重ね、この「沁む」を得たのである。皆さんもまた作法の点においては芭蕉翁の「舌頭に千転せよ」を実行し、俳句道に精進されるよう先達の一人として願うものである。(全日本俳句振興協会『Let's俳句カルチャー』テキストより抜粋)
・・・伝統ある俳句界は、恐らくこうした鑑賞と作法の積み重ねで成り立っているのでしょうね。と勝手に想像してみた。(いかにもありそうな俳句及び記事、胡散臭い解説の人物、団体名称などはすべて架空のものです、念のため)
【よしなしごと0268・2008年5月 2日 (金)掲載】
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