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駿府城で『元旦』を走る ” 旅先で『日常』を走る ~episode29~ 静岡編 ”
前回のあらすじ
~ 小山で『遊園地』を走る ~
東京への通勤圏からギリギリ外れたところに、人口50万人を超える大きな経済圏がある。東京の南側なら静岡くらいの規模と距離感だ。このくらいの立地の場所に住んでみるのも面白いかな、と思った。”
駿府城で『元旦』を走る
2019年12月31日。大晦日の昼下がり。私は沼津駅の改札前で、荷物をむりやり一つのカバンに詰め込もうと奮闘していた。
私は、40年数年の人生で初めて取得した一週間の年末年始休暇を利用し、旅に出ることにした。旅の最初の目的地には、静岡県を選んだ。2005年、当時の職場でこの一帯(静岡県全域+愛知県の右半分)を担当していたのだが、それ以来一度も足を運んでいなかった。この機会に一度寄ってみようと、ふと思い立ったのだ。
私が当時担当していた『東海エリア』は社内で一番の売上規模を誇っており、担当している時期は店舗の売上前年比もトップクラスであった。ちなみに、ここ沼津には当時3店舗も出店していた。
ところで、私がなぜ荷物をむりやり一つのカバンに詰め込もうとしていたのか?これから沼津の街を走るのにあたって、『沼津観光案内所』に手荷物を預けるためだ。
沼津観光協会は、JR沼津駅ビル「アントレ」2階の事務所で手ぶら観光サービスを開始しました。高さ、長さ、幅の合計が2メートル以内の荷物を1個500円でお預かりします。利用時間は、午前10時から午後5時30分までです。荷物を預けて手ぶらで市内を観光しませんか?
” 1個500円 ” 。ここがポイントである。私は4泊5日の旅に、リュックサックひとつという超軽装で臨んでいた。全身をランニングウェアに包み、着てきた服をリュックに詰めようと試みる。しかし、一つだけ入りきらないものがあった。『Pコート』だ。かつて茨城を走った時にPコートが邪魔になり、旅ランにPコートを着ていくことはご法度であると思い知ったはずなのに、人類は同じ過ちを繰り返してしまうのである。もちろん、主語が大きすぎることは自覚している。
どう頑張ってもPコートはリュックには入らない。妥協策として、私はリュックのショルダーハーネスにPコートの袖を括り付けるというウルトラCの技を編み出した。「これでお願いします!」、おそらく血走っていたであろう目つきで真っすぐに、私は観光協会の受付の方にリュックを差し出した。事の一部始終を眺めていたであろう受付の方は、「しょうがねーな…」と顔に書いたような表情をたたえながら、1個口として私の荷物を預かってくれた。
さあ、問題は解決された。あとは走るのみだ。私は沼津駅南口の駅前広場に降り、手早く準備体操を済ませて、さっそく走り出した。
「海が見たい。」、昭和の少女漫画に出てくる余命いくばくもないヒロインのようなことを思い付き、まずはひたすら海に向かって最短距離を進むことにした。
ロータリーから信号を越えて、駅前商店街を進む。駅前の景観はほぼ『ラブライブ』に占拠されている。
いわゆる聖地らしい。私はアイドルマスターは好きだったが、ラブライブに関してはほとんどまともな知識は持ちあわせていない。なので、なんでこんなに地域ぐるみでラブライブを前面に出しているのか? このことによる経済効果がどのくらいあるのか? など、正直よくわからない。沼津に生まれ育って80年くらいの地元のお年寄りは、この景観を見てなにを思うのだろうか?
などとどうでもいい事に思いを馳せているうちに、視界の先に港が見えてきた。道の左右に市場や海鮮丼店が林立している。
猿回しも出ていて、けっこうな賑わいだ。いかにも『ザ・港町』といった趣きだ。ここで腹ごしらえをしていところだが、じつは荷物にならないように、リュックの中に財布を入れてきたのだ。ランチは駅に戻ってからにしよう。
そのまま走り続けると、すぐに行き止まりになった。遊歩道を兼ねた堤防が視界を横切っている。登ってみる。
海だ。太平洋だ。走っている時に浜風を強く感じたが、やはり風向きは海からこちらに向かっており、波も高い。空は晴れ渡っているが、風に体温を持っていかれ気味になっている。しばらくこの風景を眺めていたかったが、寒さに堪えかねて、この場を離れることにした。
堤防を少し走ってから、道に降り右に曲がる。しばらく進むといきなり視界が大きく開けた。
「富士山!」
沼津からだとけっこう距離があるような印象を持っていたが、こんなに大きくクッキリと富士山を見ることができるとは!年末に受け取った、ちょっとしたサプライズだった。
というか、静岡県全域を担当していたにも関わらず、ろくに富士山を眺めた記憶すらないことに気づいた。どれだけ仕事のことしか考えてなかったのだ? 当時の私は。
車道に出て左折する。またしばらく進むと、港口公園に差し掛かった。
この中に『文学の道』なる遊歩道を見つけ、しばらく進む。街→海→緑、そんなに長距離ではないのに、バラエティに富んだルートで楽しい。公園を抜けたところで右折し、駅前通りまで駆け抜ける。
民家や個人商店がポツポツと目に付くが人通りがほとんどなく、寂しい。
駅前通りをまっすぐ進み、駅に戻った。
先ほど荷物を預けた観光案内所で悠然と荷物を受け取り、駅ビルのトイレで着替えた。2019年最後のランを終えた充実感に満ち溢れているが、ランニング以外にもまだタスクが残っているのだ。
まずは駅前の『QBハウス』で年内最後の散髪を済ませ、その後駅ビルのレストランで桜エビ載せの蕎麦を食べた。少し早めの年越しそばだ。
ちなみに、桜エビは日本全国で唯一駿河湾で水揚げを許されている。そして、もちろんアルコールも摂取した。
さて、腹も満たされたところで、次の目的地に移動する。
沼津から一旦東京方面に戻って、世界に誇る温泉地、熱海に向かった。
当時、熱海にはマックスバリューの中にに店舗があった。駅からひたすら坂を下っていった先にあり、行きは良いのだが帰りはこの坂を上り続ける気力も体力もなく、タクシーを使うのが常だった。
熱海で呑気に温泉に浸かるなんてことは、担当期間中に一度もなかった。
今回も駅を降りてからひたすら坂を下っていく。土産物屋が軒を連ねるアーケードを下り、道なりに右に進む。しばらく下ると、徳川家康御用達の秘湯「日航亭」に到着した。
ネットでいろいろと日帰り温泉を調べたら、ここの泉質の評判がとても良かったのだ。無色透明で臭いもないが、評判通りのいいお湯だった。すっかり身体も温まった。これで水風呂の浴槽が付いていれば100点満点だ。
続いて、清水に向かう。清水エスパルスドリームプラザという商業施設があり、そこに担当店舗が入っていたのだ。
駅を降りて15分ほど歩くと、その目的地が現れた。
いつの間にか『ちびまる子ちゃんランド』なるテーマパークができていた。けっこうな規模の商業施設に成長したようだ。施設の中をぶらつきながら、この旅で初めて、私がかつて担当していた店の前を通った。10数年前と変わらない光景だった。
海沿いの広場では、盆踊り的な年越しイベントが行われていた。
しばし眺めた後、館内に戻り閉店間際で値引きされている生しらす丼と寿司を購入し、テラスで食べた。そういえば、静岡を担当していた頃に、地場で取れた海の幸を食べることなど片手で数えられるほどしかなかったな… と、当時を思い返す。
時刻は20時前になった。腹も満たされたところで、本日の宿泊地に向かうとしよう。
2019年から2020年への年越しは、静岡駅前のホテルで迎えることにした。静岡駅近辺は、当時勤めていた会社の中でも屈指の店舗密集地帯であり、またドル箱エリアであった。アスティにレストラン、パルシェにレストランとテイクアウト店、新静岡センターにもレストランとテイクアウト店が当時存在していた。私はアスティのレストランを改装オープンさせるために、2週間ほど泊まり込みで陣頭指揮を取っていたことを思い出した。
静岡駅に降り立ってとりあえずアスティとパルシェを覗いたが、さすがに大晦日なので、どこも閉店していた。残念…
おとなしくホテルにチェックインし、TVで紅白歌合戦を流しながら、ホテル内のコインランドリーでランニングウェアと下着を洗濯した。一人で過ごす年越しだが、年末年始という書き入れ時の真っ只中でバタバタと過ごしていた例年に比べると、格段の充実感がある。人並みの生活とはこういうものなのかと、実感する。
紅白も終わり、ゆく年くる年を横目に眺めながら年越しをし、翌朝に備えて早々に床についた。
翌朝は6時前に起床し、早々に着替えて初日の出を拝もうと試みた。静岡県庁の別館が解放されており、その展望階で初日の出を拝む算段だ。フロアはなかなかの混み具合だった。
いよいよ、初日の出の時間がやってきた。
微妙に天気が悪かったので、初日の出を目視することは叶わなかったが、まあ満足。
さあ、初日の出の後は初ランとしけこもう。
静岡県庁は駿府城の敷地内にあるので、そのまま城内を走る。内堀の周りをしばらく走る。冷たい風が頬をなでる。左手に門が現れた。門をくぐると、その中が駿府城公園だ。
門の中には城の形跡は見当たらないが、路面が整備されており走りやすい。軽く一周する。まだ時刻は7時くらいだが、犬の散歩をする人が散見される。
駿府城公園を抜け、内堀沿いを進み一周する。
一周したところで駿府城を脱出し、市街地へ抜ける。静鉄のターミナル新静岡駅をの前を通り抜ける。新静岡センターは取り壊され、真新しい駅ビルに建て替わっていた。
左に曲がり、繁華街をJRの静岡駅に向って進む。太陽はその角度を上げ、さっきまでより身体も温まってくる。繁華街といえども、早朝なので人通りはまばらだ。
旅人が繁華街を独り占めすることに申し訳なさを感じつつも、駅に向かって進み続ける。静岡駅の手前で左に舵を切り、ホテルに戻る。
2020年の初ランをつつがなく終えたら、次は今日の予定をサクサクこなすことにする。
シャワーを浴び汗を流したら、そそくさとホテルをチェックアウトし、静岡駅からJRに乗り、西に向かう。大井川を越え、まず向かう先は金谷駅だ。ここから大井川鉄道に乗り換え、新金谷駅からSLに乗車するのだ。
実際にSLを見るのは初めてだ。石炭を燃やした煙と水蒸気が出る穴は別なのね、などと素朴な感想をおぼえつつ駅前で弁当と地ビールを調達し、いよいよSLに乗り込む。
車内はまあまあの乗車率だが、思ったほどには混雑してはいない。さすがに元旦から観光をしようという人はそこまで多くないのだろう。
などと言っているうちに、発車時刻となった。いざ出発進行!
SLは大井川沿いに内陸部に向かってひたすら進む。
" 大井川はかつて徳川家康が隠居していた駿府城の西の守りとして機能しており、橋を架けることはもちろん渡し船も禁止されていた。 "
” 越すに越されぬ大井川 ” とは、こういった由来によるものらしい。しばらく進むとSLは大井川を渡る。その手前で、露天風呂に入浴しているおっさん達からもの凄い勢いで手を振られた 笑。
橋を渡り、下泉でSLを下車し、普通電車で金谷まで折り返すことにした。もう少し先に進むと、金嬉老事件でおなじみの寸又峡温泉「ふじみや旅館」があるようだ。
SLを堪能したところで、さらに西に進もう。静岡県を一泊二日で堪能し尽くすのだ。
弁天島駅で降り、浜名湖を眺めながら日帰り温泉に浸かろうという算段だ。しかし、設備修理のため休止中という酷な仕打ちが待っていた… 残念。次のプランは? 急遽ググり、発見したのは『雄踏温泉』。ここから浜名湖沿いに歩いて4km。しかたがない。行くか。
ということで往復8kmかけて、無事温泉に浸かることができた。
温泉に浸かったら、今度は飯だ。なにしろ時刻は18時を回っている。一旦東京方面に少し戻り、浜松に向かうことにした。
浜松にも当時の担当店舗があった。浜北と呼ばれる地域で、浜松駅からバスで40分以上かかる場所、巨大商業施設ベイシアの一角にあったのだ。そこにたどり着くだけでも、なかなかの難所だった。その昔は浜松駅前の松菱百貨店に入っていたようだが、ある日突然破産してしまったので、浜北に移動したという経緯があったようだ。
浜松駅を降り、もちろんベイシアには向かわずに近隣の飲食店を探した。駅から10分ほどの距離に千歳町という繁華街がある。そこまで足を運んで、適当な居酒屋に入った。元旦で営業している店もまばらだったので、多くは望まないのだ。
居酒屋では餃子とウナギを堪能した。まずますだ。
腹も満たされたところで、一泊二日の静岡巡りは終わりにして、本日の宿泊地である名古屋に向かおう。
電車は豊橋→岡崎→安城と通過していく。
車窓に流れる景色を眺めているうちに、不意に記憶の扉が開いた。担当を外れてから私が14年間も静岡を訪れなかった理由、それにピンと来たのだ。
当時は社内の派閥闘争が激しく、レストラン部門の責任者が私の上司と折り合いが悪かったため、私からドル箱の静岡エリアを奪い取ったのだった。代わりに与えられた地域は、当時社内有数の不振エリアだった豊田市全域だった。先ほど通過したあたりで名鉄に乗り換えて向かう地域だ。
おそらく、私の深層心理下に当時のわだかまりや怒りが残っていたから、こんなに近くなのに静岡から足が遠のいていたのだろう。
そう思った。おそらくそうだったんだろう。
まあ、今となってはそんなことはどうでもいいか。
などと思いを巡らせているうち、電車は金山に到着した。
ここから地下鉄に乗り換えて、今日の宿がある栄に行こう。栄に着いたら、SKE48シアターが入っている施設、サンシャイン栄の観覧車を見て行こうかな。そうだ、明日は名駅に寄って、ナナちゃん人形を覗いていくタスクがあるのだ。それも忘れないようにしよう。
次回予告
~ 伊勢で「参道」を走る ~
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