見出し画像

あげ初めし前髪ならい白秋が見送る朝の林檎の香り

中学生の頃、初めて暗唱して覚えた詩は島崎藤村の『初恋』でした。
それからいろんな人の詩を読むようになったのですが記憶の底に沈んでしまって思い出すことができなくなっていました。

最近、以前購入していた短歌の作り方の本を読んでいた時、とても好きになった短歌がありました。

参考のために今まで書かれた素晴らしい短歌がいくつも載っていた中で、私がとても魅かれたものは、北原白秋の『君かへす朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ』というものでした。

その歌の爽やかな新鮮な空気感。
そして、優しさ。
『君』と歌われている人への慮り。

物凄く感動したのですが、それだけではなくて、一昨日不意に思いついたこと。
それは、島崎藤村の『初恋』という詩がこの歌に何か関係しているのではないか?ということでした。

検索したら、北原白秋という人は島崎藤村に憧れを抱いていたとのことでした。

そしてあらためて、北原白秋という人の短歌をもっと読んでみたいと思うようになりました。


島崎藤村の『初恋』という詩のことも、最初の触り以外ほとんどすっかり忘れていました。

あらためて読んでみるととても素直に初恋の人を思う気持ちが描かれています。

その気持ちをなぞらえてこの歌が詠まれていることから、この歌に詠み込まれた『君』という人への作者の思いが、初恋のようにまっすぐなものだということを表しているように感じました。

長くて細かな説明がなくても読む人に細やかな感情や思いや情景や空気感や時間や温度や香りや場合によっては音までも伝えることができる短歌って凄い!とあらためて感じました。


短歌の書き方の本に例として挙げられている短歌を読んでいると、普通の日々の生活や考え方や生き方が大切だということをあらためて強く感じました。

読んで下さった方に何かを感じていただけるような文章を書くためには、自分自身が充実して暮らしていないと駄目だということがあらためてわかります。

何かを感じ取らないと、そしてきちんとアンテナをたてていろんなことを感じ取らないと文章は書けません。

スタートラインにさえ立てていないような気がして悲しくなってしまうことさえあります。

それとは別に、いろんなことを感じ取り過ぎてしまって、集中できないこともあります。

勢いで動いていればいいという訳でもないんだということがあらためてよくわかりました。


普通の生活の中でも感じ取れることはいくつもあるようにも思いますがそれだって心が平静でないと知らない間に通り過ぎていってしまいます。

受け取れる状況を整えて置かないとできないことだと思います。


文章を書くだけでも実はとても大変なんだということに向き合い続けることばかりです。


そしてどちらの詩歌も女性への純粋な思いが歌われているから美しいのだと思います。
それはそれを歌う人の心がきれいだからこそ読んだ人に美しく届くのだと感じます。

自分の心をできる限りきれいに保っておくことが美しい詩歌を生み出すことにつながっていくのならその努力を続けなくてはと思います。

私はただの人間だからきれいなだけではいられません。

それでも、できる限り心がけることはできると思います。

だからその努力を続けていきます。
これからもどうかよろしくお願いします😊







ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。