穴掘りボーイが、経営コンサルになるまで(探究育ちvol.2 田村有さん)
探究型スクールに行った子どもたちは、その後にどんな進路を選択するのだろう? どんな大人になり、どんな人生を歩んでいるのだろう? 「探究育ち」第2回は、ラーンネット・グローバルスクール第1期生田村有さんとラーンネット代表の炭谷俊樹にお話を聞きました。
田村さんは、ラーンネットのエピソードによく出てくる「穴をほり続けた子ども」、まさにその人。そして「僕はラーンネットでアクセルの踏み方を学んだ」と語った卒業生でもあります。
1年間、毎日穴を掘り続けた小学生は、どんな大人になったのでしょう?
1.親が感じた「同質性を求める教育への違和感」
── 今日はよろしくお願いします。まず、田村さんとラーンネットの出会いを教えてください。
田村:ラーンネットは、母が見つけてきました。ラーンネットがフルスクールになる前から行っていたので、週3日はラーンネット、週2日は公立の小学校という形で最初は通っていましたね。
公立小学校も普通に楽しかったのですが、「みんなで同じことをやる」という風潮があって、親が「これで良いのかな」と違和感を抱いたようなんです。例えば、習字はみんなで同じ文字を書いて、同じように書かれた作品が後ろの黒板に貼ってあるというような、「みんな同じ」を最優先するという教育でいいのかなと。
ラーンネットがフルスクールになった1年生の夏以降、週5でラーンネットに行くようになって、公立小学校の方はたまに挨拶に行く程度になりました。
炭谷:アフタースクールも来てましたよね。
田村:そうですね。行ってみて、もうラーンネットのほうが圧倒的に面白いと思って。両親も「そういうところがあるのならそっちに行った方がいいんじゃないか」と思ったようでした。
── 田村さんから見て、親御さんは教育熱心でしたか?
田村:父はあまり教育に強い想い入れがあるわけではなく、母や僕に任せてくれていました。母はピアニストの活動をしていて、自分もピアノを教えていました。ラーンネットを何かで探してくれたり、いろいろ考えていたと思います。
炭谷:有くんは小学校1年生の4月からラーンネットに来てくれてたから、お母さんは小学生になる前から考えてたんだと思いますよ。
田村:4年の夏ごろまでラーンネットにいました。そのあとインターナショナルスクールに移って中3まで過ごして、高校は海外に進学し、大学で日本に戻ってきました。
インターナショナルスクールに移ったのは、ラーンネットの仲のいい先輩がそちらに移ったのがきっかけでした。そっちにも遊びに行き、英語がたくさん使えて面白いなと思って。
ラーンネットでは、4年間やりたいことを徹底的にやって楽しんだので、満足していました。4年間かなり活動的にやったんで、親も「環境を変えてみるのもいいんじゃないか」という感じでしたね。
そのインターナショナルスクールは小中高とあったのですが、生徒数は、100人~150人位で、インターナショナルスクールの中では、小規模でした。
── インターナショナルスクールとラーンネットでは、どんな違いがありましたか?
田村:インターナショナルスクールは、ラーンネットと普通の学校の間みたいな感じでしょうか。教材はもちろんアメリカの教材ですし、授業はコの字型や円になってディスカッションをするというスタイルでした。
2. 巨大な穴掘り・車を1台分解…「すぐにとにかく形にする」
── ラーンネットの面白いエピソードで、「ひたすら穴を掘り続けた子どもがいる」という逸話をよく聞きます。その子どもが、田村さんだったのですね。
田村:そうですね、「とことん」という好きなことをやるクラスの中で、「地下の秘密基地みたいなものを作ろう」と皆で盛り上がったことから始まりました。「じゃあそれを作ろう!」と、午後はずっと2~3人で手分けして穴を掘っていましたね。
最終的には、大人が中に立てるくらいの高さのある穴になりました。広さは、立たなくてもよければ、大人が10人ぐらい入ったんじゃないかな。上は木の板を張って補強したり、中は階段状にしたり。中の空間にライトを引いて、電気を持ってきたり。お茶を飲む時に置くホルダーを土で作ったり。
あとは神戸のハーバーランドに「DINDON」というピタゴラスイッチの装置みたいなものがあって、そこにみんなで行ったことがありました。それを見た後で、おもちゃのジャングルジムにペットボトルやホースを切って付けて、装置を再現したり。課外授業で行ったバッティングセンターで見たピッチングマシーンの仕組みが面白くて、それをレゴで再現してみるということもやりました。
遊びに行った場所で、「こういうの面白いな」と思ったものを帰ってきてすぐ作る。ラーンネットで「すぐ、とにかく形にする」ということができたのはすごい面白かった。
炭谷:分解が流行ったこともあったよね。なんでもかんでも機械をどんどん分解して。パーツにして、それをわぁーっと並べて。しばらくすると、今度は違うものを作りはじめめて。作るほうがうわぁーっと始まって。
田村:車の分解もやりましたね。一台の車が、2日か3日で骨組みになって。
炭谷:あれは究極だったね。お父さんも来たよね。結構大変だった。
── 大人も子どもも、いろいろなものを見て「面白い」「やってみたい」と思うことは結構あると思うのですが、田村さんは「実際にやってみる」と踏み出す力がすごいんだなと思います。
炭谷:レゴロゴでプログラミングしてたのも大きいよね。1年生の時から、自分で何かを工夫して作る、プログラミングをするということを当たり前のようにやっていた。
ラーンネットは教育コンピューティングの第一人者であるMITのシーモア・パパート博士のコンストラクショニズム(構築主義)に影響を受けていて。「作る」「作ることで学ぶ」ということを、大事にしてやってきましたから。
田村:「どんどん形にする」ということが、すごく奨励されましたね。しかも「ゼロから作る」というのが結構多かった。この「ゼロから何かを作る」というのは、インターナショナルスクールでもなかったです。
炭谷:しかも子どもだけでね。だいたい先生が「こうしましょう」とか言っちゃうけど、うちはあんまり言わない。
田村:ラーンネットのナビは「こういうの作りたいんだよね」と相談に乗ってくれました。必要なリソースがある時には「これ使えるんじゃない?」とアドバイスをくれたり。先生という感じではなくて、それこそナビゲーター。色々引き出して「こういうやり方もあるんじゃない」と、違う方法や見方を言ってくれる存在でした。
ラーンネットのこの環境だったからこそ、「興味あるな」と思ったことをすぐに行動に移してみる習慣がついたと思います。普通だったら「なんか面白そうだなあ」と空想で終わるところも、成功するかどうかは別として、すぐにトライしてみる。逆に「形にしないと気持ち悪い」みたいな、そういう衝動が強くなった。
3.目的がわからないまま、勉強するのは得意じゃない
── インターナショナルスクールのあと、海外の学校に出られて、その後に日本に戻って上智大学に入学していますね。なぜ、進学先として国内の大学を選んだのですか?
田村:まず1つは、日本の学校に行ったことがなかったので、1度経験してみたいと思いました。それと僕は、「勉強だけにとにかく打ち込む」ということがあんまり出来ない。アメリカの大学はアカデミックを重視して勉強に打ち込むところなのですが、僕はもっと社会との関わりを早く持ちたいなと思っていたんです。
高校はボーディングスクールといって、アメリカの高校の中でも進学校的な位置づけの全寮制の学校に行っていました。そこでは、勉強とスポーツしかしない。アメリカの大学に行ってしまうと、結局その延長線かなと思ってしまって。日本の学校はアカデミック優先の人もいればそうじゃない人もいて、どっちでも許される雰囲気。それが魅力的でした。
それから、自分のコミュニティが偏っていることが気になっていました。交友関係が、インターナショナルスクール出身の人やボーディングスクールの人に限定されてしまっていた。その点でも、日本の大学にはいろんな背景の人と関われるかなと思って、日本の大学を選びました。
炭谷:社会と関わりたいっていうのはいつごろから思ってたの? 子どもの時から興味はあったよね。
田村:そうですね、早く社会に出たいと思ってましたね。働きたいというよりは、「勉強だけを毎日やってればいい」っていう環境から早く解かれたかった。
目的がはっきりしないまま、何かに打ち込むということができないんです。勉強が得意じゃないと言うと聞こえが悪いですが、勉強に注力するよりはもっと外に向けて活動したい。勉強も当然やるんですけど、何に役立つのかが見えないと、全然やる気が出ない。
炭谷:意味が見出せないもんね。
田村:何か目的があって、それに対して「こういう風な位置づけだからちゃんとやらなきゃいけない」ということならできるんだけど。「目的が分からないけどやらなきゃいけない」という環境がすごく苦手。
炭谷:「知的に面白い」ということ自体を楽しめる子と、「それだけじゃ面白くない」「何か意味を持たせたい」という子がいるよね。有くんは学ぶことに意味を持たせたいほうですよね。単に知的に面白いだけだと、満足できない。
4.人と人をつないで、リーダーシップを発揮した大学生活
── 高校生にして、自分の特性を客観的に理解して、それに応じた選択ができたというのはすごいなと思います。「勉強が好きじゃない自分」を否定したり責めたりせず、「でも目的があればできる」と思えるのは、自己肯定感と繋がりがあるように感じました。大学生活では、思っていたように、いろいろな人や社会と関われる経験ができたのでしょうか?
田村:インターンやサークルなどの課外活動をとにかくやりました。最初は、自分のような9月入学の学生がサークルに入りやすい仕組みがなかったので、新しくサークルを立ち上げ、9月入学の学生向けの新歓イベントを企画して、4月以外でもサークルに入りやすい仕組みを作りました。
イベントを企画して、様々な分野のサークルの人と知り合うと、次はそれぞれのサークルの実情が分かって、課題が見えてくる。例えばダンスサークルの1年生は、好きでもないのに先輩のダンスの記録用のムービーを作らなくちゃいけない。一方で、映像サークルの人達は、映像にできるネタを探している。じゃあ、そこをマッチングしたらいいんじゃないかということで、ニーズを結びつけるプラットフォームを作ることになりました。
炭谷:有くんはプロデューサー的に動くのが好きなんだよね。全体を見て、みんながハッピーになるようなことを自分がやる。
田村:そうですね。人と人をつなぎ合わせて、それぞれの活動がいい形でできるように後押しできたのが、楽しかったですね。それから、それまで関われなかった人たちと関われていることが、僕はとにかく楽しかった。
あとは2013年に上智大学が創立100周年を向かえるにあたり、「上智浴衣デー」という、大学内でみんなで浴衣を着るイベントを友人たちと立ちあげました。大学には留学生もたくさんいるので、日本文化を感じてもらうこともねらいでした。みんなも楽しめて、かつ自分たちも楽しめるようなインパクトのある企画ができるかを友人たちとアイディアを出し合って考えていましたね。
上智浴衣デーはSNSで話題になり、その後、他の大学にも広まったりしたので、運営手法をマニュアルなどにして形式知化し、他の大学に展開するという活動もしました。
── みんながWIN-WINになるような形ですね。面白い企画を思いついても、実際に実行する所まで至らないという人が多い中、ラーンネットで身につけた「とにかく形にしてみる」という一歩踏み出す力が、リーダーシップにつながっているように思います。
田村:「やってみたい」と思ったことを形にするのが、本当に楽しかったです。とにかくやりたくて仕方なかった。人や組織間の調整も全然苦にならないので、買ってでもしたいという感じで。
5.社会に出て活きるのは、自分で獲得した知識
── 他に、大学時代に経験して良かったと思うことを教えてください。
田村:外資系法律事務所でのアルバイトは、インパクトがありました。M&Aや資本市場取引など、いわゆる企業法務を支援する事務所で、僕は法学部ではないのですが、英語ができてメモが読み取れれば良いということで採用されました。夜中の秘書スタッフとして、週何日間か夕方から深夜、時には翌朝までが勤務時間でしたね。
やってみると、全く想像もしていない世界との出会いでした。「こういう世界があるんだ」と。その時に事務所が関与していた案件にその後の仕事で関わったりもして、今の仕事に活きていることも多いです。その後は外資系証券会社の株式調査部でもしばらくアルバイトしました。
炭谷:グーグルでもインターンしてたよね。
田村:今はもうないのですが、当時グーグルが世界で展開していたGoogle Student Ambassadorというプログラムのメンバーに選ばれ、国内の大学や高校を周り、学生にグーグルのプロダクトを使うにあたってのTipsを教えたり、「グループワークをやるのに向いているよ」と啓蒙するという活動を任期の1年間やってました。それもすごく面白かったですね。これらのアルバイトに加えてサークルの活動をやっていたので、授業は正直なところ最低限のことしかしてませんでした。
でも今、仕事上で勉強する必要があることは、すごく楽に勉強できるんですよね。仕事上で何か必要になった知識があれば、どういう目的でどの程度まで理解できていればいいか、じゃあこれぐらい頭に入れておけばよいかな、と自分で判断できる。だから勉強しやすいですね。
炭谷:学校で得た知識なんて大したことないんだよね。自分で獲得した知識のほうがよっぽど活きる。
田村:授業で知った会計入門の知識なんかも当然役に立っていますが、大学に行ってないとそれが勉強できないかというと、そうではないですよね。自分で本を読んで、コンサルの仕事を1年間やったほうが、絶対に身に付きます。
── 大学卒業後のキャリアとして、自分で事業を起こす、海外で働くなど、たくさんの選択肢があったと思いますが、どういう軸で、日本で働くことを選択したのでしょう?
田村:日本を選んだのは、単純に住みやすいからです。それから、どうせやるなら、日本の社会や企業が変わることに貢献したい。コンサル業界を選んだのは、大学時代に熱中したサークル活動と同じように、いろいろな人と関わりながら、組織間の調整をして新しい仕組みを作ることで課題を解決していくということをやり続けたかったからです。
今やっている仕事は、企業のグローバル経営管理や、企業の買収後の統合(PMI)に関わるコンサルティングです。グローバルに展開している企業の本社機能の役割はどうあるべきか、買収した企業に対してどのような求心力と遠心力のバランスでガバナンスを効かせるか、等を設計して仕組みに落とし込み、組織内の合意形成や実際の運用に向けた準備をサポートする。そのようなプロジェクトに携わっています。
最近は、仕事でスタートアップ企業と関わる機会も増えています。「ティール組織」や「ホラクラシー」などの新しい組織やマネジメントの概念も誕生し、実際にそれらをどう体現するかを探求する企業も増えていて、面白い流れが来ています。
人の働き方やライフスタイルがより多様化し、企業・組織のあり方もより一層変化すると思います。個人的にも、子育てや介護、病気や障害など、それぞれの家庭や個人の事情がある中で、うまくみんなが社会参加しやすいインクルーシブなコミュニティや組織がもっと増えていくといいなあと。そういうのに少しでも繋がるような組織づくりができたら面白いと思います。
6.「アクセルの踏み方」を身につけるには、時間が必要
── ラーンネット時代から、「自分が面白いと思うことを形にしていく」という姿勢が一貫しているなと思います。ご自身にお子さんができたら、どういう教育を受けさせたいと思いますか?
田村:インターナショナルスクールも増えてるし、軽井沢にボーディングスクールができたり、いろんな選択肢は出てきている。でも、ラーンネットみたいに自然の中で、あまり何も考えずに、とにかく自分のやりたいこと、やりたい衝動と向き合える場所ってあんまりないなと感じますね。
英語なんかは、自分も小4からやっても不自由していないし、後からでも全然キャッチアップできる。でも、ベースとなる「自分のやりたいことと向き合って行動にうつす」というようなコアな部分は、なるべく小さい時に経験したほうがいいような気がします。
自分の興味があることを自分で見つけて、それを実際にどんどん自分で動いてみて、周りの人と協働するということを、まずは経験する。その後で、アカデミックをやるんだったらアカデミックをやる、違う方向をやるんだったら違うことをやるというふうに、経験を積み上げていけるといいかなという感じがしますね。
炭谷:「ラーンネットでアクセルの踏み方を覚えた」って言ってくれたのは有くんなんだよね。
田村:仕事でも「経営のアクセルとブレーキ」みたいな話はするので、その関連で言ったのかもしれません。自分の面白いことに向き合って自分で形にしてみるというのは、結構時間が必要ですよね。忙しいとそういう経験は全然できないし、習慣にも絶対ならない。
時間がたっぷりあって、かつ周りもサポートしてくれる環境があって、それでようやく習慣が徐々についていく。かなり手間がかかることだと思います。でも、その習慣さえついてしまえば、あとはどういう環境にいっても大丈夫なんじゃないかな。
炭谷:小学校低学年くらいで、そういう経験ができるのがベストだと思いますね。一番基礎ができるから。有くんは、ちょうどその時に来てくれたからすごいよかった。
田村:それから、自然の中にあるという要素も大きかった。五感が動くというか、頭で考えずにとにかくやってみる。そういうのをよりやりやすい雰囲気だし、時間の余裕も自然と感じられますよね。
炭谷:自然の中にいるっていうのは大事だと思います。毎日毎日変化してる自然のエッジとつながってる感じが、あるかないか。
田村:自分が子供に行かせるんだったら、そういう自然がある環境が良いと思います。インターナショナルスクールも、すごい田舎だったんです。高校も森の中。小さい時にそういう自然の中にいたというのは、良かったかなと思います。
炭谷:都会だと、なかなか穴は掘れないね。
田村:レゴで何かを作るということもできますが、自然の中だと、素材の選択肢が広がるというか。森をみてるとその木の上に家を作れたら面白いなとか、そういう自由な発想もわきやすい。
── このインタビューを読む保護者の方でも、子どもの教育と自分の働き方のバランスをどうとっていくか、悩んでいる方は多いと思います。
田村:都心だと、子どものやりたいことに向き合うにも、どうしても制限がかかってしまいますよね。都心の良さもあると思いますが、田舎だったら簡単にできる経験が、都会ではできないことも多い。そのためにも、働き方の選択肢が広がるといいなと思います。
もちろんリモートワークはありますけど、やっぱりリモートワークに会社や社会全体として、まだ慣れていない。社会、企業、そして個人のマインドが「それぞれが好きなような働き方でいいじゃん」という雰囲気にもっとなっていけばいいなと思います。そんな環境を実現しながら高い成果もあげられる、そういう組織作りに自分も関わっていきたいですね。
(文:齊藤香恵子、写真:玉利康延、編集:田村真菜)