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映画レビュー『敵』監督 吉田大八
映画好きの友人に「河合優実ちゃん好きでしょ。これいいかもよ」と紹介された本作品。彼女以外にも私の好きなキャストが多かったので、勧めてくれた友人と共に鑑賞することに。
筒井康隆氏の原作は未読。モノクロームの映画であるという情報しか入れずに足を運んだ。
「お腹すいたねえ」と言いながら左側に座る友。そういえば12時過ぎているなと思いながらスクリーンを観たら、長塚さんの手が鮭を焼いている。実に丁寧に料理する彼の手元を観ながら思わず唾を吞む。
「料理は色彩も味の内」と言われているというのに、何故モノクロームでこれほど美味しく見えるのか。鮭を焼く煙のにおい、コーヒーの香りまで色濃くきちんと立ってくる。
フランス文学の教授だった主人公は、崩れ落ちそうな矜持をなんとか保ちながら、慎ましい生活を送っている。だが、ひたひたとすり寄る「老い」への絶望と忌避感に無自覚ながら徐々に翻弄され蝕まれていく。
老いることの悲しみ、おかしみ、性への残滓、異性への妄執など、かなり深くまで掘り進めている。
「敵がそこまできている」と書かれたスパムメールを受け取ってから、彼の精神は徐々に浮遊し、幻想と現実を行き来する。その描写に鑑賞する我々もいつしか引き込まれ、いつのまにか同じように混乱していく。この混沌の恐怖の描写は、決してカラーの作品では醸し出せないものだろう。モノクロームだからこそ伝わるものは、目より脳にダイレクトに響くのである。
昔読んだ山岸涼子の『悪夢』という短編がある。
夢の中の夢の中の夢を延々と見続ける幼き殺人者・マリー・フローラ・ベルの精神の荒廃を描いた傑作だ。
吉田大八監督の絶望の描き方は、山岸先生に通じるものがあると感じた。
さて、推しである河合優実さんだが、残念ながらこの作品ではミスキャストと言わざるを得ない。
まず単純に「フランス文学に傾倒している大学生」にはどう見ても見えないのだ。おそらく、モノクロームの中ではかえって彼女の愛らしさだけが前面に出てしまった故だと思う。飛ぶ鳥を落とす勢いで売れ始めている彼女には、この作品の中においては「光」があるすぎるのだ。どう見ても白く輝き浮いて見えてしまう。
比して瀧内久美さんはカラーで観るよりもしっとり美しく、妖しさ満点でとても映えていた。「モノクロが映える顔」というのがあるんだと新発見した。
長塚さんを主人公に据え、モノクロームを選んだという功績だけでもこの監督には価値があると思った。
吉田監督のほかの作品もぜひ観てみたい。
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