「生命科学的思考」を読んだ
生命科学研究者でジーンクエスト代表取締役の高橋祥子さんの本「生命科学的思考」を最近読みました。
生命の原理原則を知り応用することで、個人や組織運営における課題解決等にも役立つことを著者は実感しているといいます。
僕はこの本を読んでみて、生命科学の立場から自分自身や組織、社会について客観的に考えてみることはとても有益だなあと感じました。
そこで、特に印象に残った部分について紹介させていただきます。(※下記の引用箇所は一部編集してあります。)
生命活動の根本に存在する生命原則
基本的にすべての生命活動には「個体として生き残り、種が繁栄するために行動する」という共通の原則が関係しています。たとえば食欲や睡眠欲は個体として生き残るため、性欲は種として繁栄していくのに必要不可欠なものです。欲求をコントロールしたい場合も、その根源的なものを否定するのではなく、性質を理解した上でうまく付き合っていく必要があります。
自分自身の欲求は「生命活動の根本から生まれるもの」であり、無理には抗うことができないため、うまく付き合う方法を考える必要があるということです。
僕はダイエットをする場合に、食事量を減らそうとして大体いつも挫折します(苦笑)。無理して食欲に抗うよりも、例えばカロリーの低い食材を選んだり運動量を増やしたりして、欲求にできるだけ逆らわない形で行える方法を考えるのが生命原則的にも良いのかなあと感じました。
すべてをそぎ落とした後に残る主観こそ人間の本質
主観は、人によって大きく異なります。情報はその気になれば誰でも集めることができますが、そういった代替性の高いものを全部そぎ落としたとき、最後に残るものが主観です。この主観こそが、AIには代替できないものです。人間の本質は何かといえば、思い込みも含めた主観にこそあるのではないでしょうか。
今後、人間の仕事はAI(人工知能)にどんどん置き換わっていくともいわれています。それを否定的に考える人も多いとは思いますが、僕はむしろ前向きに捉えてます。機械的な作業がAIに置き換わることによって、各自のビジョンや独特の発想、思いやりの気持ち等といったAIにはない人間的なものが仕事における大事な部分として残ると考えているからです。そのためにもこれからは、様々な課題と向き合いながら日々思考し、主観的な信念を持つことがますます大切になるかもしれません。
生命は「失敗許容主義」である
どのような環境変化があるのか、あるいはどのような変異が環境に適応できるのか、事前に予測したり意図をもって作り出したりすることはできないため、とにかくあらゆる可能性を試すしかないのです。絶滅という、ある種の生存の失敗を寛大に許容し続ける生命の様子は「失敗許容主義」とも表現できます。人類を含め、各生物種がさまざまな可能性を試す中で、結果としてうまく生き延びるものが現れればいい、という考え方です。
生命は失敗許容主義であり、失敗も成功も含む累計探索量を増やすことをよしとしているようです。短期的には非効率であっても、長期的には効率の良い生存戦略だからです。
著者が述べているように、これは個人や組織等にも当てはまるかもしれません。人はそれぞれ個性が違いますし、また時代は刻々と変化していきます。そのような環境では確固たる成功パターンは存在しませんし、自身で色々なことを探索し失敗を重ねながら掴むしかないものと思います。
僕はいま「学びなおし」をしていますが、様々なことを学びながら今後自分がやりたいことを探索しています。40代の学びなおしは意味があるの?と思われる方もきっと多いかもしれません。しかし累計探索量を増やすという意味において生命原則に沿っているものと勝手に考えています・・・あくまでこれは僕の「主観」です(笑)
おわりに
この記事だけではこの本の良さが伝わりきれないとは思いますが、興味を持たれた方にはぜひお読みいただきたいと思っています。
最後までご覧いただきありがとうございました。