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瞑想と中庸と自己開花


こんにちは。 五十嵐 純子です。

このお話はスタエフでおしゃべりした内容の文字起こしです。
耳で聞きたい方はそちらをどうぞ。



瞑想はこのラジオ最初の自己紹介で チラッと出しているのですが、
私は はじめはお寺で座禅を組むところから始め、今まで 15年ほど続けています。

その瞑想によって得たものの 大きな1つが 中庸・つまりニュートラルな在り方です。

このニュートラルな状態を身につけたことによる特に大きな良かったことは
私にとっては ダンスの上達だったということ、

そして、それが自己開花につながったということ、

こんなお話をしてゆきたいと思います。





瞑想にもね、いろんな種類があるんですね。

ざっくり言うと 宗派のようなもんというか、やり方なんかが色々あるんですけどそんな種類に関しては また今度 別トピックでそれだけを拾い上げますね。

私が している瞑想は インドの古くからの教えに基づいて、
アメリカ人でタイ在住の先生が広めている種類の瞑想です。

私自身が習っている先生は日本人の方なんですけど、

先生がよくおっしゃるのは、すべての物事は 中庸だ ということなんですね。

そこにネガティブな意味を持たせるか
ポジティブな意味を持たせるかは 自分次第
ということなんですよね。

どちらが良いとも どちらが悪いとも言えず

すべての出来事、物事には 良い面と悪い面が存在しており
それを一方しか見ない とか
一方しか認めない ということでなく
どちらも 在る 存在するということを受け入れるんですね。

そう 受け入れる というのが中庸だともいえます。


善悪
陰陽
光と闇
男性と女性

この世の法則として すべて プラスとマイナスのバランスで成り立っていることを俯瞰的な視点で見ている状態

それがニュートラルな心持ちです。


ただ、中庸の位置にじっと 留まっているということも
この社会の中で生きている限り ほぼ無理なんですよね。

中庸の在り方 ということ
バランスの存在を知っていて
認めていて

そして 時に 瞑想などによって 中庸にとどまる経験も知るようになると


嬉しいことがあったり
悲しいことがあったり

振り子がいったりきたりすることを 受け入れて

振り子の 振り幅を 穏やかにし続けることが 出来るようになってくる

私は そんなふうに「中庸」というものを捉えています。


私の中庸体験 エピソード

そんな中で その中庸のあり方を知ったお陰で
私が体験した 特に良かったこと というのが
私の場合は ダンスの上達です。

以前、私のブログにも書いた内容で これは 特に私自身がお気に入りの話なんですけど


私の友人には なぜか サーフィンをやる人が多いんですね。

なぜか って言うのは 私はまったく海へ行かないからなんですけどね(笑)
水着って かれこれ20年は着てませんからね(笑)
ま  そんなことはどうでもいいのですけど


それで そのサーファーさんが
  大きな大会で何度も入賞とかされたような方なんですけど

サーフィンって 波の中で くねくねしたり、
波の上で スピンするようにまわったり
パフォーマンスを色々するんですよね

それをですね
波に乗ってる時、次に来る波を一瞬で(もう 本当に一瞬ですよ、一瞬!)
感じとって その波の中で こーやって こー回って こー という
イメージがバババーっと頭の中にビジョンが沸くんだそうです。

波の中で 回ったり足あげたり そーいうパフォーマンスをする って
ことね。

それを 一瞬の中で 波の大きさとか角度とか強弱とかを「感じる」ことで
イメージを同時に出してゆく。。。

ああー 口にすると難しいなー 
説明は無理ですよー と言ってましたが


私は理解できました。
一瞬というか、その前からの時間の流れの中から
そのイメージが映像となって頭の中に流れてきてて
ほぼ同時進行で体がそのように反応し、動いてゆく、という感覚。

これは アルゼンチンタンゴのフォロアーと一緒です。
男性がリードといって女性に合図を出して
それを女性が受け取って 形にしてゆく というものではあるんですが


相手は自分ではないので、
相手の考えてることや、動きを予測することはできません。
他人なのです。

自然の波を相手にしてるのと同じことです。


女性が いわゆる本当に真面目に 「受け取ってから返す」という
レスポンスの仕方しかしない踊り方だと、
その時差が どんくさくなってしまうんですよね。

あくまでも「感じる」ということと、その中で同時処理され、
なおかつ イメージを先行して自分自身が自分の意思で
パフォーマンスをしなければ かっこいい踊りにはなりません。

で、それには 踊っている間
完全に 中庸 ニュートラル でいることで その
「感じるオンリー ジャッジなし」という状態が
研ぎ澄まされてゆくようになるんですよね。


私にとって これが 瞑想をして得た もっとも良い体験でした。
まさに 望んでいたダンスをつくることができるようになったので
つまり自己開花になったわけですね。


どんなものごとに対しても、 悪く言う人 悪くとらえる人もいれば 
良く言う人 良くとらえる人もいること

それ自体はあたりまえであり、どちらも ひとまず受け入れる
そして 自分は どうありたいか

そんなふうに 対処できるようになると
自己受容 自分を受け入れる こともできてきて

自分軸が安定してゆくのではないかな と思っています。


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