short photo story -これから見る夢-
これは僕の夢の中の、幻影の話だ。
だけど、将来起こるかもしれない話。
ふと気がつくと、心地いい音の中にいた。あちらこちらから水の音が聞こえてくる。あたりが暗いからか目を覚ましているような、夢の中のようなふわふわした感覚がある。
一つの境界線を隔てた向こうでは、海の生物たちが何も考えていないかのように泳いでいる。その中でも一番に僕の目に飛び込んできたのは大きなサメ。大きな体に似合う大きな水槽の中でゆっくり泳いでいる。いつもなら恐怖を感じないはずなのに、少し後退りしてしまった。
その時。
知らない声で僕の名前を呼ぶ者がいた。少し低めでそれでいて心に余裕のある穏やかな女性の声。その声の方に目をやると、サメの水槽の前でこちらを見ている女性がいる。だけど、水槽の反射でなのか、夢だからなのか彼女の顔は確認できない。
「一人で寂しくないのかな」
彼女はサメを見ながらそう呟いた。その声を聞いてるのか聞いてないのか、サメはその威圧ある体を使ってただただ泳ぎ続けている。 一人は一人で気楽なのではないのだろうか。
「一人は寂しいよ、ね」
ね、と僕に返答を求める彼女。どうやら僕と見知らぬ関係ではないらしい。
「…まぁ、はい」
「今日はありがとね。連れ出してくれて」
彼女はそう言って、自分の好きな歩幅で水槽を見て回る。自分が連れ出した覚えは全くないし、誰なのかも分からないが穏やかな時間を壊さないように僕はその後ろをそっとついて行ってみる。というより、彼女に僕を引っ張るだけの何かがあったのだろう。彼女はとても居心地がよさそうに歩いていく。そして、やっと本当の意味で呼吸ができるようになったのか、たまに深く深く深呼吸をしていた。
くらげの水槽の前で彼女はしゃがみ込みこんだ。不思議な形をした水槽の中にはふてぶてとしたくらげが漂っている。もう少しふわっと漂っているイメージだったが、くらげもそれぞれというところだろう。
「くらげって永久に見てられるよね」
「そう?」
「何も考えずただぼーっとできる」
言っていることはわかる気がする。高校生の頃休憩時間に空をただ見上げてぼーっとしていたこともあった。その感覚に近いのかもしれない。何か漂うものには時間を止める能力でもあるのだろうか。
「くらげの水槽の前にベンチ置いてなくてよかったよ」
「くらげをただぼーっとみて、時間を無駄にするのもいいんじゃない」
相変わらず表情が見えないままではあるが、彼女が優しく微笑んだのがわかった。
分からないことが多い空間だけれど、この居心地のいい空間にどんどん馴染んでいっているのが自分でもわかった。彼女の時間と僕の時間に多少のずれはあるけれど、合わせることが苦じゃない。何か波長のようなものが同じなのかもしれない。
「そうやって何も聞かないところが好きなんだろうね」
大きな水槽のトンネルに足を踏み入れて、立ち止まった彼女はそう呟いた。
トンネルの水槽は自分が海底に足をつけて歩いているような気がする空間だ。ただ、今の僕は少しだけ海に浮かんでいる気がする。
「好き?」
「うん。好きだよ」
私のこと好き? そう聞かれることは日常茶飯事だ。けど、好きだと面と向かって言われるのはあまりない。好きと言う言葉が知らない言葉かのように頭の中で何度も繰り返される。
彼女はその言葉が、ありがとうとか、ごめんねとかと同じ類のものであるかのようになんでもない顔をしながらまた海の中に目をやる。
「そんな簡単に…」
「…そうだよね」
彼女は急に俯きがちになる。 反射で出た言葉だったけど、彼女の気に触ってしまったのかもしれない。でも次に出すべき言葉が見つからない。
こういうとこなのかもしれない。
「いつも我慢してるからかな。あなたの前ではポロって」
どこか疲れたように笑う彼女。ここが安心できる場所であるかのように見えた訳は、その我慢が原因なのだろうか。
「ごめん。びっくりして」
「そういうとこなんだよね」
今度は優しい笑みを浮かべて、彼女は僕より先に海のトンネルを抜ける。
どういうところが、どうなんだろうか。
彼女はイワシの水槽の前でしばらく足を止めた。
小さな魚の大群は前を泳ぐ魚に倣うように泳いでいる。小さな魚でもこうやってみると迫力があるんだなと感心していると彼女が口を開き始めた。
「イワシを見てるとなんだか通ずるものを感じるんだよね」
「イワシ?」
「そう。イワシ。みんなが揃って同じ方へ泳いでるでしょ。なんか人間の社会みたい」
「確かに」
「私も得意だよ。大勢の人が歩く方向へ同じように歩くの。だけど、疲れない訳じゃない。言いたいことたくさんあるの」
僕はどちらかというと、同じ方向に行くと思うなよと思ってはいるが結局流されるタイプの人間だから、彼女とはまた少し違う。彼女の方が幾分も真面目で立派だ。いや、社会が立派にさせているだけなのかもしれない。そりゃたくさんのもについていけなくなる。心が追いつかなくなる。
「たまに、ちょっと違うところに行こうとしてる子いるでしょ? いいなぁと思うの。私もそうやって、自分がいいなと思うところに、何かに外れたとしても、行ける人になれたらなって」
「難しいね」
「うん。難しい。たぶん一生できないと思う。でも、かろうじてあなたの前では思ったことを素直に話せるから、もう私はそれだけで十分だと思う」
どんな顔をすればいいかわからなくて、先に歩き出してしまった。彼女はまたじっくり海の中の魚を目で追いかけている。その後ろ姿を僕はなぜかじっと見つめていた。
日の光が眩しいなと思ったらもう結構太陽は真上まで登っていた。また講義をすっぽかしてしまったと思いながら重い体を起こす。
目覚めは悪くないが、現実が現実たる所以はここにありというような現実に思わずため息をついた。時計をみるためだけに開いたスマホをそっと閉じる。
夢だったとは最初からわかっていたけど、夢ではないような、いつか彼女に会える日が来るような。根拠はないけど、なぜかそう信じずにはいられなかった。
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