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障害者としてのアイデンティティを問い続ける〜1月と6月の能登半島地震から〜

今年はすごいはじまりだったな

令和6年1月1日、午後4時10分ごろ。

まわりのスマホが一斉に鳴り出した。
“ピー!ピー!”
“地震です 地震です”

え? なんの騒ぎ? と思っているところへ、
まずは横揺れ。電車の車両の、あの感じ。
そしたら今度は縦揺れ。バスが急ブレーキかけた、あの感じ。

私、たななこんぶ/発達障害ASDは、家族そろって初詣に、大きな神社に着いたところだった。

みんな戸惑っていたけど、場所が神社、正月モードだからか、どこか厳かモードをかろうじて保ったまま、長い揺れがおさまるのを待った。

兄貴がスマホでポチポチ操作したら、私たちがいたところは震度4。

神社の警備員さんらしき人によるアナウンスも震度4。

恥ずかしながら、人生で一番すごい揺れの経験だった。
外にいて、大地ごと、ぐーらぐーら、揺れる?

東日本大震災は、さすがに生まれていたけど、
授業中、それも体育館、バスケのドタバタで体感が消され、マスコミの報道でびっくりする程度だった。
そんなことより、自分のヘタクソなバスケで突き指した靭帯ゆるゆるの痛みの方が関心事だった。

でも。
今回は違う。
っていうか、ようやく自分事になった。

バスケで突き指した大地震のときは、まだ優等生ヅラが通っていて、勉強もできていた。

地下鉄とバスの揺れみたいな大地震の今は、障害者手帳を持っているし、なんなら精神科病院に6回入院してきた。

被災地の障害のある方、大丈夫だろうか、いや、大丈夫なはずがない。

特にASD(自閉症スペクトラム)は、突然の変化が苦手だ。
それに、避難所の騒音やゴタついている感じからパニックになりやすい。
私ならパニックになっているだろう。
そして、白い目で見られるのだろう。
薬は届いているのだろうか?
クールダウンスペースはあるのだろうか?

初詣から家に帰ったら、普段使っていないX(旧Twitter)で、私なりに情報収集を開始した。

最初に目にしたのは、津波の映像だった。

#障害者を消さない

令和6年1月3日。

Xで動きがあった。
株式会社ヘラルボニー(以下、ヘラルボニーさん)が、「#障害者を消さない」を合言葉に、障害者およびその家族などのための災害情報を収集し、被災地へ届ける活動がスタートした。

#障害者を消さない

「能登半島地震」を受けて、本質的に何ができるだろうか、本当に困っている人に向けて何ができるのだろうか、当事者団体にも意見を仰ぎながら検討しました。

居ても立っても居られない衝動から来ていることを自覚しながら、現場の迷惑は避け、意味のあることを。

社内で障害のある人のための災害情報を届ける活動を始動したいと相談すると、ヘラルボニーメンバーは圧倒的スピードで、立ち上がりました。

「救いたい」「届けたい」という一心で、プロフェッショナリズムとチームワークを、一人の声を届けるために全身全霊で投資できる、このメンバーと一緒に過ごせていることに新年早々、感謝しかありませんでした。

「#障害者を消さない」を通じて、守ることのできる命もあるかもしれません。避難所で、大変な時を共に乗り越えられるかもしれません。

障害者が消えることのないように。

松田崇弥・文登さんX 1月3日22:50投稿   

すごくいいと思った。

慣れていないけど、見つけた投稿に「#障害者を消さない」と付けて拡散すると、いつも2ケタのエンゲージメントしかないのに、あっという間に3ケタになった。

これはすごい力がある。

例えば、次のように自ら発信してみた。

#障害者を消さない
ASD(自閉症)当事者目線から。
予定外のこと苦手→順序を紙で教えてほしい
音、人混み苦手→パーソナルスペース人より広め
混乱状態中は喋れない→筆談希望
【重要】「〜しよう」と肯定形で話して!→でないとパニック起こして混乱して叫んでしまう

避難所に届きますように。

X、令和6年1月3日23:01投稿

投稿時間が夜中近いのも、寝ることより心配が勝っていたからだ。
朝起きたら、この投稿、どんどんエンゲージメントは増え、なんなら初めていいねやリポストの経験をした。

令和6年6月18日現在、「12件のリポスト」「37件のいいね」「2件のブックマーク」と表示されている。

すごい。
無名の私でも、発信を広げようとしている顔も知らないそこのあなたが助けてくれている。

今はSNSの時代だ。

みんながなんとかしたい、そう思っている。

私も1人の発達障害者として。

#能登の障害者に届け

4日も5日も6日も、Xとひとり定期的ににらめっこしていた。
7日は、さすがに疲れた。思いを馳せすぎた。
被災者の方々、ごめん、私だけ休憩して。

令和6年1月8日。

石川県知事が1.5次避難所を開設した、という投稿を偶然見つけた。
再び気持ちが被災地の障害者に向くようになった。

1.5次避難所は、障害のある方、妊娠中の方、ご高齢の方を中心に、二次避難の前段階として用意された設備だ。

これで、とりあえず、可能性は広がった。
パニックになって白い目を向けられなくて済むかもしれない。

気持ちを取り直して、わかりやすく言葉を添えて私も発信した。

2日後。
令和6年1月10日。

新たな動きがあった。

一般社団法人障害攻略課(以下、障害攻略課さん)を中心に、【届け.jp】プロジェクトが始まった。

2024年元日に発生した能登半島地震により、 多くの障害者や高齢者も被災しました。 食料や水など、支援物資が続々と現地に届けられています。 でも、車いす/携帯筆談機/床ずれ防止シート/補聴器用電池など、 当事者の生活に欠かせない物資は、 まだまだ届けられていません。 一律の支援では救えない人たちがいます。支援がいつも後回しになる災害弱者のみなさまがいます。だから私たちは、「#能登の障害者に届け」を始めます。

【届け.jp】より引用

ヘラルボニーさんが無形の情報を共有・伝達する係とするならば、障害攻略課さんは有形の物資を適切なところに適量を届ける係。

これはすごいと思った。

私も「#能登の障害者に届け」を付けてリポストした。私にできる唯一の方法だ。

すると次第に断水の話も減ってきた。
水道の復旧の話に変わってきた。

元日からの情報収集を終わりにした。1人よりも2人、2人よりも3人、個人で活動するより団体で活動できる人の方が効率がいいと考えたからだ。

1月31日は異彩(いさい)の日

下手な発信はやめたけど、ヘラルボニーさんをフォローさせていただき、状況の流れは伺っていた。

ある日、つまり令和6年1月31日。
ヘラルボニーさん公式Xで見つけた。
題して「ヘラルボニー・アート・プライズ」。

【ヘラルボニー初の世界的アートコンペティション「#HeralbonyArtPrize」開催決定!! 】

本日は1月31日「#異彩の日」ヘラルボニーから重大ニュースのお知らせです。

障害とアートの新時代を開き、作家のキャリアを後押しする芸術賞「HERALBONY Art Prize」を創設します。

本日1月31日より、アワードへの公募を募集いたします。国籍や年齢はアンリミテッド。作家のキャリアを新たな高みへと押し上げ、従来の「障害とアート」のイメージを塗り替え世界に羽ばたいていく挑戦です。

世界中の異彩に出会えることを、心から楽しみにしています。

ヘラルボニー公式X1月31日14:06投稿

びびっときた。

たななこんぶ/発達障害ASD、なんとなーく発達障害ってわかっているつもりだったけど、2024年1月のたった1か月間でガラリと意識が変わった。

そう、私は、発達障害ASD。地震が起きてパニクっていたかもしれない。
発達障害ASD。避難所で迷惑がられているかもしれない。
発達障害ASD。「私は発達障害」という事実は返せない。

これをどう受け止めるか。

結果、異彩の日が、肯定的に後押ししてくれた。

災害が起きたら周りに迷惑かける身だと思う。
行動停止しているけどどうしたん?って思われていると思う。
結局どんなお手伝いがしてほしいのか言えないんでしょ?って入院していたら看護師さんに言われていると思う。

だけどこれらは影の側面だ。月でいう影。見えないだけであって存在している。

もちろん、光の側面もあるのに。太陽の力を借りて光って見えている月。

いや、光の側面があるから、

決めた。
このコンテストに応募しよう。

たななこんぶ、実は細かい手作業が好きで得意と言える自信がある。

細かい手作業に没頭できている時は楽しいし、ようやくそのことに気付けるようになってきた頃だった。

こんなに細かい手作業できるんだよ。

時間忘れるくらい集中できるんだよ。

少しくらい光が見えたっていいじゃない。

それが異彩の日の考え事。
発達障害者ASD、堂々としていた。

一般多色版画から回顧し、題材を決める

細かい手作業、強い集中力…。

あの頃はできていたなぁーっていつも思う。

中学の時が最強に発揮できていた。特にパブロ・ピカソの『泣く女』。

だから、この時無心で取り組んでいた、『泣く女』と同じ、「一般多色版画」で作品を作ることに決めた。

版画なので、彫る板が必要だ。
不慣れなAmazonで購入した。

構図の決定は、Amazonが届くより長く時間がかかった。

「一般多色版画」の強み、カラフルにできるところを活かしたい。
カラフルと言えば、大学で多様性、いっぱい勉強したなぁー。
多様性と障害、関係ありそう。

うーん、まとまらない。

大学で人文地理学を専攻していたものだから、スティグマとか、アフリカ大陸の国境線は人為的なものだとか、いーっぱい気になることがある。

ん? 何もアフリカ大陸まで行かなくても、日本だって、廃藩置県で境界線引き直したよね。

こうやってひとつの物事に深く考え込めるのも、私の発達障害ASDの特徴でもある。

こうして数日は自問自答して考え込んでいた。

地図の境界線は外せない。三県境(3つの県の境界線が交わるところ)を入れよう。これは水平の境界線。
垂直の境界線も入れよう。つまり、標高を表す等高線のことだ。

思い出の地がある。
JR飯田線の秘境駅、小和田駅。
まだ小学生で無邪気だった。障害があるなんて知らなかった。
「じゃーん! 見てー! 体が3県に入ってるよー?」
楽しかった。
本当に何もない場所。ただ三県境がある場所。
私の中の記憶ではそういうことになっている。

国土地理院より 三県境(長野・愛知・静岡)

ちなみになぜ訪れたかと言えば、家族が鉄道好きだからだった。
私はといえば、車両に興味はなく、色々な地名を読んだり風景を目で覚えたりすることが得意だった。
この頃から地理学には縁があったんだね、って思う。

三県境。
長野・愛知・静岡。
小学生の時には疑わなかった、県境が「なぜここにある」?
“別にいいじゃん、今、ここに、なくても。”
「10年後、存在の意味についてめちゃくちゃ考えて悩んでいるんだよ、きみ。」と声を掛けてやりたい。

長野県産業労働部 営業局 「しあわせ信州」より

そんな思いにもふけっていた。


3月中旬、応募に間に合わせる

ひと通り考え込んだら、この小和田駅周辺の地図を彫刻刀で掘り、自由な色で塗って版画にすることを、もう始めていた。

彫刻刀で指にタコできた。
絆創膏付けて再開した。
一心不乱に彫った。

少し寝かせて、次は絵の具。
色々な色を見てこころが踊る。
塗ってはバレン、塗ってはバレン、を繰り返す。

『三県境(長野・愛知・静岡)』

考え込むのは長かったけど、合わせて3日間の細かい手作業。

できた。

たななこんぶ/発達障害ASDとして、堂々とやり遂げた。


3月下旬から5月上旬までは入院中

一般多色版画をやっている時は、中学性の時のようにしっかり集中して、小学生の時のように楽しんでできた。

そのまま、応募フォームの入力も最後の一息と思って頑張った。

たぶん、燃え尽きた。

燃え切って、自分の中が静かになった。

世の中も可もなく不可もなく、静かに流れていた気がする。
地震の情報も言わなくなっていた。

いや、中学生、小学生の卒業式のニュースは見た覚えがある。
被災地に戻って開かれた、って。

記憶が定かではない。
3月上旬〜中旬の話だよね?

たななこんぶ/発達障害ASD、それどころではなくなっていた。

静かになったこころに、濁流が勢いよく来た。氾濫危険水位、超えた。

令和6年3月22日、夜。
通っている精神科病院に7度目の入院が決まった。

もう疲れた。
どうしたらいいのかわからなくなっていた。

定期的にやってくるのだ。どうしようもない波。

「なぜ、今、このタイミングで、主治医が異動なのか」

原因は色々な積み重ねだけれども、主訴はこれ。

考えたって仕方がない。
そんなの知っている。環境の変化についていけないだけ。
3月は大変だ。

閉鎖病棟に入り、世間のことはすっかり忘れて、どっぷり自分と半径3メートル以内の世界しか関わっていなかった。

精神科の入院ってそういうもんよ。世間とは距離を置く。

この入院中に、応募した『三県境(長野・愛知・静岡)』の当落通知メールが来た。

落ちました、だって。 ふうん。
感覚がマヒしているね。

私は、なぜ、ここに存在しているのか?
私は、これから、どうしろ、というのか?

そのような答えのない質問の方が溢れていたね。

今なら言える。高校の時日本史の先生が雑談で喋ってクラスで流行った言葉。
せーの。「アイデンティティがクライシス。」


世間の感覚を取り戻す期間

令和6年5月2日。
入院中だけど、noteを見よう見まねで開設した。
新しい主治医の先生とも関係性ができてきた。
noteも主治医の先生も、どんな感じかわかってきたから、1日1投稿、を続ける目標を先生と決めた。

そして退院した。

「アイデンティティがクライシス。」の声はとりあえずおさまった。

つまり、noteで、発達障害ASDを発信していく、そういう方向性が見えてきた。

それから、世間の感覚を取り戻さなきゃ。リハビリだ。

とりあえず、規則正しい生活を。

5月はそうして過ぎていった。

今年はすごいはじまりだったね

6月に入り、またエンジンが強制的にかかった。


令和6年6月3日、午前6時31分ごろ。

寝ていた。
突然、スマホが鳴りだした。

“地震です 地震です”

え? と思って、テレビを付けたら、「能登地方を震源とする最大震度5強の揺れを観測する地震がありました。」と。

え? 元日と一緒?

え? 元日から5か月経った?

1人で勝手に混乱していた。

元日の神社がきっかけだったよね?

地震が他人事ではなくなり、
災害時の障害者の方の気持ちに思いを馳せ、
障害者として生きていく光が、アートコンテストで見えてきた。


一方で、主治医の先生の異動を聞いた3月だったよね?

精神科7度目の入院をするくらい、全てに興味・関心をなくし、
世間の感覚を忘れてしまい、
私は、月のように障害者に影があることさえも否定した。


そう、たしかに、障害者に希望の光を見た1月〜3月だった。
でも、たしかに、まわりどころか自分までも見えなくなった3〜5月だった。

6月。

まるですごろくで「最初に戻る」マスに止まったかのようだった。

6月3日、「元日に戻りなさい」。えぇーっ。
「『今年はすごいはじまりたったな』を思い出しなさい」

これが混乱の正体か。
たななこんぶ/発達障害ASD、指令が出たら動けます。
「今年はすごいはじまりだったな」を思い出します。

“特にASD(自閉症スペクトラム)は、突然の変化が苦手だ。”

ん? 気づいたこと。
すごろくの「最初に戻る」マスでもいいけれど、ボードゲーム「モノポリー」でぐるっと一周してきた、の方が良くない?

「モノポリー」は人生ゲームのようなもので、ボード上をぐるぐる進むほど歳をとる感じ。

つまり、同じマスに止まって、前回止まった時と同じアクションをするが、一周している分何かしら成長している。

令和6年1月1日。“地震です 地震です”
令和6月6月3日。“地震です 地震です”

5か月の間で、私は「私」を見出したり、見失ったりした。
そして、noteを始めることで、再び「私」を見つけた。

私は、たななこんぶ/発達障害ASD。

プロフィール欄にも書いた。
“「精神科ってこんなところだよー」を知らない人にもわかりやすく発信したい。”

私は、これまでの紆余曲折の道を無駄にしない。
遠回りの人生だとしたら、「遠回りの人生です」と正直に伝えていく。
そう決めた。

たななこんぶ/発達障害ASDよ。
今年はすごいはじまりだったね。
でも、今年、なんなら来年も、まだまだ続くよ。
障害者を消さない。
私はこれからも発信していくよ。
私はここに、いま、います。とね。


#創作大賞2024 #エッセイ部門

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