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#本当の自分

感情体の下層

自分を卑下する自分も、自信のない自分も、星に帰れないと嘆く自分も、どれも本当の自分ではなく、身に着けてしまった自分ではない何かです。なんとなく落ち込んだり、どんより暗くなるのも、本当の自分ではありませんが、置いてけぼりにもできないもので、その重さから、いつでも気楽に離れることができるようになっていくことが肝心です。

その人ならではの重くなる時のパターンがあり、その重さから離れようとするときのパタ

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父殺し母殺し

母殺し父殺しは、子である以上、例外なく誰にでも必要なことです。要するに普遍的なテーマです。どんな親であろうと、どんな子であろうと、立派に反抗期を迎え、象徴的に父と母を完全に殺さなければ、父母の外に出ることはありません。母からまだ生まれておらず、母の腹の中で生きている人は、案外たくさんいるものです。では実際に父母が死ねば外に出れるのかといえば、死んで心に巣くう遍在化した父母こそ、殺すことが難しいもの

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本質的自己を生きる

無意識領域から浮上したものは、いずれイメージ化され具体的な可能性へと変わります。「これが欲しい」とか「これがやりたい」と思う前に、無意識領域から浮上してくる過程があります。だからと言って、欲しいもの、やりたいことのすべてが本質に沿っているかと言えばそうではなく、はじめのうちは、対象化できていない癖こだわりが表面化しているもので、それをやり尽くすことで本質に沿ったものが浮上してくるようになります。つ

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取り外すことで回収する

立方体の頂点をすべて自分のものにするというのは、欠けているところを回収することではありますが、欠けていることで、大抵の場合、自分のものではないものがくっついています。なので回収することは、取り外していくことだとも言えるわけです。

肉体を持ったときに影が生じ、部分しか見えず、見えないものばかりになります。それが警戒心や自信のなさに繋がるわけですが、幼い頃には、父と母が欠けたところを守るように補いま

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未来の自分

5年後の自分、10年後の自分というのは、どこからやってくるわけでも、突然に偶然に発生するわけでもなく、自分の中にあるものです。5年後10年後の設定ができない、5年後10年後の自分が思い描けないというのは、今ここから続く自分を、時間の経過に任せているということで受動的です。 未来の自分を思い描くことは、能動的に生きるきっかけになりますが、ビジネスプランを立てようということでも、貯金額の目標を決めよう

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過去からの流れと未来からの流れがぶつかる今

今を否定する力が未来を思い描くわけでもなく、過去からの流れによって未来が決まるわけでもないところに、今を作り出しましょう。時間の流れに支配されていると、今ここにある問題は自分の力でどうにかするか、時間が解決してくれるのを待つしかありません。どんな前提もないところで自分がどう生きるか、それを思い描くこと、決めることができると、それによって今が作られていきます。昨日から続く今日、今日から続く明日ではな

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星に帰らない理由

恒星のお迎えが来ても、あんなに自由になりたくて星に帰りたかったはずなのに、いざとなると「まだちょっと」となることもあります。誰でもいつでも呼ばれているけれど、気がつかないとか手が届かないこともあります。家のチャイムが鳴っても気づかなかったり、いざ出発となっても、「ガス栓閉めたかな」とか「カーテン閉めた方がいいかな」とか「通帳と印鑑持って行かなきゃ」とか言い出して、いつまでたっても家から出られないわ

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陰陽化を解くことの衝撃

一方に張り付いていると、もう一方しか見ることができず、どこかに張り付いていると、そこからの景色しか見ることができません。何かに気がつき理解するとき、小さな統合が起こっています。張り付いていたものから自由になり、見えなかったものが見えます。

16塔で星に飛び出すとき、陰陽化を解いています。何かにどこかに張り付いていたのが剥がれ落ち、どこにも何にも触れることができず、主体が消えます。自分と言うのは、

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部分から全体へ

恒星から下りてきた存在が肉体に宿ることで、肉体に火がともり、肉体の持つ癖こだわりに息が吹き込まれます。時間の流れに乗る肉体には、過去から蓄積され、意味をなくし形骸化したものが眠っており、恒星に存在の根拠を置く本質的自己が下りて来ることで、眠っていたものは意味を持ち、つまり生命力が引き出されます。

本質的自己は、肉体の持つ癖こだわりを理解していき、資質を掘り起こし生かしながら目的を達成しようとしま

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本質的自己を取り戻すとは

体験の蓄積によって癖とこだわりが強化されるのではなく、体験が増えるにつれて癖とこだわりが弱体化していきます。自分を知ることは、自分を失うことではありません。

癖とこだわりから解放されていくたびに、「これは自分ではない、これも自分ではない」と「なくなる」ことを強く感じる人がいるけれど、それは癖とこだわりに愛着があり、癖とこだわりを自分だと強く信じているからです。幼少期に、たとえば「私はこの家の子

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