『いぶし鳥 一香』 〜ひとつの香りに誘われた先で〜
私は週末を迎えた河原町通を避け、路地に入った理由を考える。
いくら考えても特に理由はなく、唯一思い浮かべるのは、私と同じ観光客と足並みを揃えたくなかったのだ。
寒々しく、冷たい。
旅行者にとってガイドに記された道筋以外の、訪れたことのない街並みは意外と白々しい。
だからと言って道標はなく、ただ夜の始まりに彷徨った。
ふと通りかかった場所に一軒の町に溶け込む店を見かける。
『いぶし鳥 一香』
看板は、現代の街並みからずっと近い時代の余韻を残している。
京都であるならば、やはりこうであるべきだ。
レトロとロマン、そして現代が交錯する町にあるべき佇まいをしている。
私が扉を叩くのは是非もなし。勇んで踏み出し開いた扉の向こうで息を呑む。
古くはないが懐かしさを感じる。知らない時代に迷い込んだ。
見た目から想像もできない広い店内はさながら異世界である。時代の節目に迷い込んだ気分になり心地が良い。
カウンターに座りメニューを眺める。伝統技法を用いた鳥料理。「いぶし」という技法。興味深く胸の奥で小さな私が小躍りをした。
程なくして料理が運ばれ麦酒と一緒に口にする。
香り高く、香りが味を纏っている。いつまでも下の上で転がしていたいと感じたけれど、それは許されない。
溶けるように喉へと吸い込まれていく。
香りの余韻だけを残して。
問題なのは、余韻があまりに強く・・・さぁ。次は?
と私を誘い続けることだ。
いつまでも忘れ得ぬ思い出のように私の後ろ髪を、次なる出会いと香り高い余韻へと引き続けるのだ。
いくら過ごしても、きっと『いぶし鳥 一香』の全容は見えないのだろう。一生知り得ないのかもしれない。
ゆえに通うのだろう。誰もが。残り続ける余韻を求めて。
カウンターの奥で腕前を奮い続ける店長を見て、随分といぶし銀だなと思い、言葉は胸裏にだけ残していく。
それなのに何処か人懐っこく惹かれてしまう。
店から出て、なんとなく『いぶし』という理由がわかった。そして『一香』という名の意味も。
私だけの意味だ。余韻が思い出になりうるのは、それぞれの意味で名を付けるからである。
また来よう。
そうして私は街に出る。暖かになった懐を抱き、何度も後ろ髪を引かれながら、次なる店へと続く目には見えない轍を踏み締め、歩くのだ。
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