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映画『落下の解剖学』感想 曖昧なものを曖昧なままにしておくのは難しい
映画『落下の解剖学』を見ました。友人が「あっちゃんが出てくるよ!」と勧めてくれたからです。上映回数が少なくなっていて(アカデミー賞発表前でした)、慌ててTOHOシネマズすすきのへ見に行きました。
「落下」から映画は始まります。上の階からボールが落ちてくる。はい、もう好きですね。タイトル勝ちしている作品が好きですし、タイトルを意識させ続ける作品も好きです。
開始早々、(あっちゃんだね???)となりました。最近、私が出てくる映画が多くありませんか。一体どうして。韓国映画『別れる決心』(2023)や先日Netflixで見た『マリッジ・ストーリー』(2019)*1 でもそう思いました。
本作の主人公サンドラのどこに己を感じたかというと、説明し続けるところ、タフなところ、ことばを大切にするところ、曖昧さが必要だと考えているところです。ほぼ全部じゃん。
というわけで、サンドラを励ますような気持ちで見ていたのですが、作中で「不誠実で不道徳」だの「事実かどうかはどうでもよくて、罪を犯していた方が面白い」だのずっとひどい言われようでした。ヒョエ〜!まじかよ!
驚いたことに、作中だけではなく、現実世界のレビューにおいてもサンドラは悪く言われています。サンドラを犯人だと断定する(!)レビューさえ存在しており、そのグロテスクさにのけぞりました。本当に同じ映画を見たのか不安になりますね。私の理解では、「一面を捉えても、全てを理解できるわけではない」「説明すれば説明するほど実態から遠ざかることもある」「それでも誠実に説明するしかない」ことを伝える映画だと思っています。
一部のレビュアーは、「サンドラは、家事、育児、夫に対するケアといった妻の役割を果たすべきである」という夫サミュエルの姿勢に共感しているようでした。サミュエルは確かに困難を抱えていましたが、同時期に妻サンドラと息子ダニエルも困難と向き合っていましたよね。何で夫だけが気の毒がられ、夫だけが支持されるのでしょう?*2
伝統的な男らしさがそこなわれるとこうなるよ、という映画としても見ることができると思います。サミュエルは、父権的な男性性から脱しようとする。脱しようとしたけれど、何もかもうまくいかない。何もかもうまくいかないと、邪悪に取り憑かれることもある。ただ、彼が父権的な男性性から脱するために工夫しようとする人だったから、ふたりは夫婦だったんですよね。苦しい話です。
弊業界のみなさんは、創作のくだりで(グエーッわかるッ)となると思います。「書くために膨大な時間を必要とする」「書けない現実にまた苦しめられる」はモロにくらいます…。総じて苦しい映画でしたね。でもいい映画で、好きな映画でした。
*1 と思っていたところ、監督インタビューに「夫婦げんかのシーンは、『マリッジ・ストーリー』と対比的に作った」とありました。そうだったんだ。しかし、『マリッジ・ストーリー』の夫は、泣き崩れるところに憎らしさとともにかわいげもあるわけですが、サミュエルは…。
*2 ジュスティーヌ・トリエ監督もこう言うております。
脚本は「落下の解剖学」。監督の旦那と共作。彼も映画監督。監督は女性が男性より成功してて家族を顧みず、浮気してても、=つまり男性だったらよくある、社会は彼女を公平な目で見れるのか?描きたかったと言ってたのが超印象的だった。 #OSCAR pic.twitter.com/PTenBDvFzU
— akemi nakamura ☮️ (@aaakkmm) March 11, 2024