暗闇に紛れ込んで走る感覚と、光に晒されて走る感覚の違い。オレの中の妖怪
いつもは好きで夜明け前の4時10分くらい、足元もほとんど見えない中を走っているが、今日は試しに5時10分くらい、日の出は5時7分だから日の出とともに走ってみた。
寝たのは諸事情でいつもより遅くなり、睡眠時間もいつもより短く5時間くらい。起きる時間は、いつもは4時起きなんだけど、実験的に5時に起きてみた。目覚ましに起こされると、もう外は明るくて爽快な気分。「あれ?こんなに外が明るいだけで気分が違うの?」と思うくらい違う。
そして早速いつものように走りはじめた。
「なんか感覚が違うぞ⁉︎」世界に晒されている感じがした。太陽は東の山に隠れてまだ姿を現してはいないけど、その光は十二分に世界を照らし、オレを地表の小さな突起物のひとつとして輪郭をくっきりと浮き彫りにさせていた。
なんだか居心地が悪い。誰もいないのに人の目が気になる。体調も気分はいいんだけどな、、、自分の感覚がおもしろい。
いつもは闇に紛れ込んでいる。溶け込んでいるわけではない。隠れている感じだ。だから自由な、気楽な感じだ。しかし今日は光に晒されている。誰かに見られているかもしれないという感覚をわずかに感じた。
なんてことだ!オレに何十年間も染みついて離れないでいる「ひと目が気になる」という呪いは、こんなにも根深いものなんだと気づかされる。
ところで通常、妖怪は人には見えない。気配や物音で気づかれるときもあるかもしれないが、その姿を見られることは滅多にない。もしくは何かの物に化けて本当な姿を晒すことはない。だから妖怪なのだ。
そう、今日の気分はまさに姿を晒された妖怪の気分だったのかもしれない。陰に隠れてこそこそと愉しんでいた暗闇の中のジョギング妖怪であるオレが、走っている姿を見られるかもしれない光のもとで走ったのだ。
人間の部分のオレは気持ちがいいが、妖怪の部分のオレは居心地が悪かったのだろう。
オレの中の人間も妖怪も同時に大切にできる方法を模索していきたいと思った。
しかし、5時起きは4時おきよりもオレの肉体やオレの人間の部分には合っている気がしたから、しばらくつづけて様子を見てみようと思う。
妖怪にはしばらくは気の毒から、なにかいい方法を見つけてやる必要があるかもしれない。