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ショートショート集 / 井上イロ木

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井上イロ木が書いた、ショートショートをまとめました。
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記事一覧

へばりつく【ショートショート#74】

へばりつく【ショートショート#74】

 ビルの壁にへばりついて三ヶ月が経った。ここは東京のとある高層ビルの三五階くらいだ。私は大の字になってビルに抱きつくような格好でベッタリとくっついている。雨の日も風の強い日も、照りつける太陽にも微動だにしなかった。
 ビルの中の人たちは私と目が合うと、少し戸惑いながらも軽く会釈した。確かにビルの壁に人がへばりついていたら、挨拶するべきなのか、するとしたらどう挨拶をしたらいいのか私も戸惑うだろう。現

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睡眠【ショートショート#73】

睡眠【ショートショート#73】

 久しぶりの残業で帰りは夜だった。お腹が減っていたので自然と車のスピードは上がっていた。低い位置にオレンジ色の月が雲を額縁にして掲げられていた。額があるとそれはより一層存在感を増していた。人が道路の真ん中に倒れていた。ブレーキを踏んだが止まれないと判断し、ハッmドルを右に切った。頭や身体は轢かなかったが、片手を轢いた。ごとんと左前タイヤが腕の上に来たとき、ずるりと左前タイヤが滑った。その感触はハン

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毎日投稿【ショートショート#72】

毎日投稿【ショートショート#72】

 もうnoteの毎日投稿をやめようと思う。いつも眠たくなって、ああ、書かなければ、と思ってYouTubeを見るのをやめて、noteを開く。目は三分の二の大きさだ。もともと大きくもない目がいよいよ細くなる。瞼が重たい。

 私は毎日投稿になにを期待しているのだろうか。こんな適当な文章を垂れ流し、推敲もせず、書く技術が向上するとは思えない。何かの奇跡で私の投稿がバズるとも思えない。そもそもそんな文章が

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存在しうる意思【ショートショート#71】

存在しうる意思【ショートショート#71】

 「おはよう!」
 「おはよーう」
 挨拶してきた貞子に私の口が応えた。僕は「よーう」と伸ばしたくなかったが、口はそうは言わなかった。いつも僕の身体は僕の意思とは関係なく反応した。僕はこの身体にいるのにいないようなものだった。僕とは違う意思があって、身体は毎回そいつの考えや感情を採用していた。僕とは違う意思を感じたことはなく、会話もしたことがなかった。だからこの身体に僕以外の意思があるのかは、本当

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挨拶のタイミング【ショートショート#70】

挨拶のタイミング【ショートショート#70】

 スマホで天気予報を確認するたびに、明日の天気が変わっている。毎朝日課にしている散歩の時間の間だけでも晴れていてほしい。欲を言えば水たまりができない程度の雨であってほしい。風は西風が望ましい。向かい風にならないからだ。雲はいわし雲が好きだ。散歩中は誰とも会いたくない。すれ違いたくもない。ひとりで静かに過ごしたい。すれ違いざまの挨拶のタイミングをいつも悩む。この無駄な思考にどうしても侵されてしまうの

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自分の子【ショートショート#69】

自分の子【ショートショート#69】

 知らない女の子が、
「パパ、なにしているの?」
 と手を握ってきた。
「パパ?」
 私は女の子をまじまじと見下ろした。私はこの子が誰だか思い出せなかった。しかし女の子はにこにこと私の顔を見上げたまま手を離さなかった。結婚もしていない私だったが、直感的に自分の子だと思った。私は握られた手を強く握り返した。
「友子なにしてるんだ! すみませんね、急にうちの子が」
「あ、おとうさん。このひと、手をにぎ

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父が呼んでいる【ショートショート#68】

父が呼んでいる【ショートショート#68】

 父が二階から呼んでいる。冷蔵庫のモーター音のような音だが、冷蔵庫は一階にあるから、この音は確かに父の声だ。
 私は階段を降り父の部屋の前で耳を澄ませた。ドアの向こうから父のモーター音のような声が私の名前を呼んでいた。ドアを開け、
「なん? どうした?」と声をかけた。父は座椅子に座ってテレビを見ながら「お茶」と言った。

 正確には「うーん」と聞こるが、それがなにを意味するのかを私は聞き取ることが

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瀬戸際だ【ショートショート#67】

瀬戸際だ【ショートショート#67】

 瀬戸際だ。今日もどうでもいいことの瀬戸際にいる。妻はお酒を飲んで寝ると鼻の通りが悪くなるのか、閉まりの悪い弁から空気がプシュプシュと漏れるような音を立てた。聞いているだけでこちらが苦しくなる。

 やめればいいのにやめてしまうと私には怠惰だけが残ってしまう。誇れるものが何もなくなってしまう。それを受け入れることができそうにない私は、やめずに今日もこうして書いている。

 今日は電動刈り払い機で伸

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頭が冬眠してしまった【ショートショート#66】

頭が冬眠してしまった【ショートショート#66】

 文章が書けなくなってしまった。いろんなアイデアが浮かんできてはショートショートを書いていたのに、いまはなにも浮かばない。物語を考えることも億劫になってしまった。私にとってはよくあることだ。一気に夢中になると、突然ストップしてしまう。それは数週間後だったり、数年後だったりする。

 筆が進まない。眠気だけがある。毎日更新をやめると、一瞬にして私は深海に沈んでしまうだろう。間違いない。それでもいいと

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存在しない者 其の2【ショートショート#65-2】

存在しない者 其の2【ショートショート#65-2】

 私は見たくもないテレビを見ていた。見させられていたといっていいと思う。テレビのバラエティ番組ほど時間を無駄にするものはない。私は目を開けたまま目を瞑り、聞こえてくる音を聞かなかった。長い年月をかけていつの間にか身につけた技術だ。私は私がテレビを見ている間、身体と精神の成長関係について考えていた。

 人間の精神の発達は身体に大きく左右されると私は考えている。私の身体は申し分なく健康体だ。身長は低

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存在しない者 其の1【ショートショート#65-1】

存在しない者 其の1【ショートショート#65-1】

 水をかけられて目が覚めた。そのとき私は学校のトイレの個室にいた。上から水が降ってくる。外からはいつものいじめっ子たちの笑い声と罵声が聞こえてきた。私は怒りで叫びたかったが声は出なかった。私の意志とは無関係に身体は両手で頭を抱えて縮こまっていた。口からは小さく「やめて、やめて」と私にしか聞こえないようなボリュームで繰り返していた。私は個室のドアを蹴破り奴らに殴りかかりたかったが、今までそんな行動の

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時計、時間【ショートショート#64】

時計、時間【ショートショート#64】

あれ? 気づいたら今日が終わろうとしている。
おかしいなあ。
昨日と今日との継ぎ目がわからない。
さっき、noteでつぶやいたくらいの気分でいたげど
違うみたい。
もう二四時間も経っている。
時計、時間はあるところでは正確なのかもしれないけれど
主観的世界では正確とはとてもいえない。
そして、世界は主観でしかない。
客観も主観を通過する。
だから時計、時間は当てにならない。
といっても、やっぱり時

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土の中【ショートショート#63】

土の中【ショートショート#63】

 歳を重ねればそれなりに身体の不調はあるものだ。私にもある。しかしそれはどんなに頑張っても、人には伝わらない。私の身体の感覚は私にしかわからないからだ。私のこの関節の違和感や日常的にある気怠さを人は軽く見るかもしれないが、私には耐え難い苦痛なのだ。

「そんなことで、そこまでやる?」
 と言われるかもしれないが、私はそうは思わない。それは致し方のないことだ。我慢が足りないとか、もっと他にやりようが

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日付が変わるぞ!【ショートショート#62】

日付が変わるぞ!【ショートショート#62】

 風邪を引いてしまった。はじめ鼻水がすとんすとんと落ちていたけど、今は両鼻ともつまって鼻で息がしずらかった。そして少しだけ頭が痛い。偏頭痛に近い。鼻はとくに右のつまりが激しくて、その影響か右の目の奥と右のこめかみが軋む。
 鼻がつまると口呼吸になってしまい、必然的に喉がやられてしまう。鼻がつまり喉がいがいがして咳がでえるのが今の僕の状態だ。

 気休めにのど飴を舐めてはみたけど、歳のせいなのか飲み

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