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タミイ・M
2020年7月23日 22:58
腫瘍専門医のドクターBの予約が入っていた。11時の予約で名前を呼ばれたのは1時間後の12時だった。ドクターBは高齢男性で表情も言い方もとにかく暗かった。放射線医と話してやっと楽になった気持ちが一気に沈む。「……え~リンパ腺には転移していると思うけれど……全部取ると腕が腫れる。ああ……一生注意しなければならない……」とボソボソと話す。話していると具合が悪くなりそうだった。質問も出てこない。
2020年7月23日 04:59
翌日の予約時に専属のナースに治療の質問をして、ついこれから5年間の生存確率のことを聞いてしまった。「一般的にだけど、もしもステージ3になっているなら、そしてリンパ腺に転移しているなら、5年間の生存率は60%位ね」と言われた。思っていたよりも低い数字が凄くショックで頭がぐらっとした。もっと高いと思っていたので60という数字がグルグル頭のなかで回った。5年後に100人のうち40人は亡く
2020年7月22日 07:25
翌朝 左胸は一面真っ青に内出血していた。まだズキズキと痛む。もしも悪性だったらこんな癌の真ん中に針を刺して広がったりしないんだろうか?と心配になる。 検査結果を聞く予約は午後だった。ホテルを出る時「きっと大丈夫。なんでもない、なんでもありませんように」と祈った。待合室で名前を呼ばれて、夫と息子も一緒に病室へ連れて行こうとした。するとナースはちょっと困った顔になり「……息子さんはここ
2020年7月19日 01:58
2003年3月 左胸の中に大きな塊があることに、ずっと気がついていた。 奥の方からズンズンと突き上げるような鈍痛もあった。当時癌は痛くないと一般に言われていたので、例えば乳腺症のようなものだと思っていた。乳腺炎にかかったことがあり、その時の感触と痛みにそっくりだった。 なので「またか」と軽く考えていた。* * * * * 当時、私とアメリカ人の夫と息子は関東にある米軍Y基地の中で
2020年7月19日 20:11
午前中にハワイホノルル空港(現ダニエル・K・イノウエ空港)に着き、その足で陸軍病院へ行く。家でも飛行機の中でも寝られなかった。日本時間ではもうすぐ3月4日の朝4時だったが、ハワイ時間ではまだ3月3日の朝9時だった。アラモレンタカーで車を借りてすぐに山の上にあるピンク色の大きな病院を目指す。簡単な検査をしてドクターと少し話をし、バイオプシー検査という長い針を刺す検査をすることになった。