ワクワクリベンジ読書のすすめ~『天平の甍』井上靖著~
日本史に必ず出てくる遣唐使。彼らの生きざまや中国の高僧・鑑真を日本に招くまでの苦難を描いた作品。
歴史小説は、史実とどこまで合致しているかは不明だが、往々にして記載が深く細かい。
この作品も、結果として遣唐使についての見方を大きく改めることとなる。
今から1200年以上も昔のことである。中国という広大な国土の中で、通信手段もない。連絡はどうとっていたのか。さらに造船技術のみならず海路すらおぼつかない。実際に座礁あり転覆ありで、遣唐使はまさに「命がけ」の取り組みだったようだ。
それでも僧たちは中国に渡って仏教を学ぼうとする。文化も言葉も違う。現地での生活は? 誰がコーディネートしてくれるのか? 経済的な支援は?
そもそも、なぜそこまでしなければならないのか。
当時の日本は、ようやく「国家」という概念ができ始めた状況。中国との交流を通じて文化や政治体制をはじめ、国家としてのあり方を学んでいた。
遣唐使は、いわば国を代表するスーパーエリート留学生として重大な責務を負っていたといえる。
ただ一見花形のように見えるが、彼らの苦労は筆舌に尽くしがたいものがあった。
特に僧侶として中国へ渡った留学生。彼らはそれぞれの寺で経典を学び日本へ持ち帰ろうとする。しかし今日のようにスマホで写メできるわけでもないし、コピー機があるわけでもない。筆写しか方法はない。さらに学ぶべき経典は山ほどある。こうした難儀な作業が何年も何十年も続く。
困難はそれだけではない。日本への帰路、波浪激しく船が大きく揺れたり転覆したりで、書き溜めた経巻がことごとく海の藻屑となる。何百という単位で一巻一巻が海に消えていく。
そんなことがたびたび。それを目の当たりにした留学僧の喪失感を考えると、気の毒で仕方ない。
そして何よりも生きて帰れる保証もない。
「何百、何千人の人間が海の底に沈んでいったのだ。無事に生きて国の土を踏んだ者の方が少ないかも知れぬ」。留学生の僧・栄叡もコメントしていた。さらに「一国の宗教でも学問でも、何時の時代でもこうして育って来たのだ。たくさんの犠牲に依って育まれて来たのだ」と続けている。
日本文化は、先人の苦難と犠牲のもとに確立されたということか。
歴史の重みを感じるとともに、その深さと広がりに驚嘆するばかりである。
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