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被災地からのエールを胸に全中選抜へ【穴水中学校女子卓球部】石川から出場

強風が吹くと夏も冬も群青の水面に白波が立つ日本海に囲まれた能登半島。
その半島の中ほどに、内浦と言われる穏やかな海に面した穴水町という町がある。

県庁所在地である金沢市から100キロ近く離れたこの町には、映画館もカラオケもボウリング場もない。
「星空の町」の名を持つこの町の小高い丘の上から見る夜空には、晴れてさえいれば七夕でなくとも天の川が広がるほど澄んだ空気の土地だ。

穏やかな穴水湾に建つ「ボラ待ちやぐら」は古くからこの町のシンボルとして親しまれている

今年1月1日に人口8000人足らずの、この小さく穏やかな町を大きな地震が襲った。

今もふだん通りの生活を送れないという町民も多い中、日本全国からの支援と、住民同士での助け合いを頼りにした生活が続いている。

この町の中心地にある穴水町立穴水中学校。全校生徒が110人ほどのこの中学校は17年前に町にあった別の中学が廃校となって以来、町唯一の中学校となった。30分弱の時間をかけて通学する生徒もいるという。

地震が発生したその日から中学校はすぐに避難所となり、体育館や教室などに多くの住民が集まった。3学期の始業もままならず、学校が再開したのは1月の末。
広域避難をしている生徒もいて、全員同じ教室にそろっての授業は今も再開できていない。

震災当日の1月1日も初詣客でにぎわっていたであろう町の中心地にある穴水大宮神社。鳥居も玉垣も跡かたなく崩れ去ってしまった。信号も電気不通状態のこの写真は1月5日に撮影されたもの

地域の多くの中学校が部活動を休止している中、昨年末の石川県中学校選抜卓球大会で優勝し、群馬県高崎市で開催される全国中学校選抜卓球大会への切符をつかんだ穴水女子卓球部のメンバーは、震災の後、少しずつ練習を始めた。

しかし、町に残るのは6名の部員。他の3名は町を離れての生活で、チーム全員そろっての練習は本番の大会までにわずか2回。
部活動の制限がかかっている中、レギュラーに限って練習が許され、2〜3人での練習が続いたという。

生活がまだまだ不安定な中でメンバーの一人ひとりが、いろいろな思いを抱えながら全国大会の日を迎えた。

実は穴水中学校卓球部は過去何度も県大会で優勝を収め、北信越大会や全国大会に出場し活躍をしてきたような学校だ。
都市部とは違って、強いクラブチームがあるわけではない。プロコーチに指導を仰げるわけでもない。

公立の学校ながら、こうして活躍しているのには秘密がある。

監督、保護者の頑張りは言うまでもないが、町内外に住む部活動OBやOGがコーチとして休日の練習や大会での指導、遠征の引率をもう何年も何十年も継続してきた。穴水町の卓球協会全体で、中学生の活動を応援しよう、卓球を盛り上げようという動きが伝統的に続いている。

自らの時間を費やして部活動を何人もの大人たちが無償で継続的にサポートしている部活動というのは、全国的に見てもめずらしいのではないだろうか。

今回も小学生時代からそうして地域の大人にも支えられて卓球を続けてきたOBが、コーチとして帯同した。彼もまた長らく町内のスポーツ少年団や穴水中学校の部活動での指導を続けている。
町に残る大人たちもチームと連絡を取り合いながら、戦況をうかがっては会場の高崎アリーナへとエールを送った。

期待を背負った選手たちは、予選リーグでの戦績は1勝1敗で2位トーナメントに進んだが、接戦の末、初戦敗退。
望んだ結果は得られなかったかもしれないが、彼女たちにとっては大きな財産となる経験だったのではないだろうか。

大会初日、他の試合が全て終わったフロアには5番手の1年生竹端選手の試合が残された。2年生レギュラーに混じって3戦を戦い、最終試合でフルゲームに敗れた彼女は何を感じただろうか

全国大会での1試合1試合に、今日という日に、そして今日を迎えるまでに、彼女たちがどんな感情を抱きながら過ごしたかと思いを巡らせた。

全国大会への切符を掴んだ喜び
生まれ育った町が壊れた悲しさ
水道も電気も止まったままの暮らしが続く不安
チームメイトと県外へと遠征するワクワク
全国大会の舞台に立つ緊張感
全力を尽くしても勝てない悔しさ

震災がもたらした、想像だにしないつらい思いもなにかの行動や結果につながるのだとすればその感情自体は決してネガティブなことではないかもしれない。

いろいろな経験をした彼女たちがこれから選手としてどう成長するのか、そしてどんな大人になるのか。
ふるさとに対し、どんな気持ちを抱き、どう過ごしていくのか。

彼女たちが、そしてすべての選手が、卓球を通じていろいろな感情を味わい成長していくのだとすれば、わたしたちには一体なにができるだろうか。
バタフライの存在意義について改めて考えさせられた。

ダブルスを組みもうすぐ2年の田中選手(写真奥左)と中瀬選手。震災以降は広域避難のため2人でのダブルス練習はわずか2回。フルセットの接戦をものにしてこの日最後の試合を笑顔で締めくく
った


◇◇◇

震災のニュースを受けてわたしたちバタフライも、能登の地に心を寄せました。
困難な中で卓球を続ける彼女たちの存在を知り、何かできることはないかと考えると同時に、
彼女たちだけではなく、男子卓球部の生徒たち、他校の生徒たち、卓球をする人たち、そして能登で暮らす人々・・・たくさんの方々に思いを巡らせました。

まだまだわたしたちに何ができるのか模索中ではありますが、
試合の後にバタフライから穴水中学校女子卓球部の皆さんへ、大会出場の思い出になるように、といくつかの贈り物をすることに決めました。

大会記念Tシャツと写真や校名を印字したサステナビリティグッズ、そしてバタフライ缶バッジ。
すべての試合を終えた後、お時間をいただき一人ひとりに手渡しをさせていただきました。

ペンケースとマグネットに印字される「穴水中学校」の文字と自分たちの顔写真に笑みがこぼれる

記念品を手にした選手たちが
「すごーい!」
「かわいいー!」
「一緒の缶バッジやー!」
「うれしい!」
とそれぞれ無邪気に喜ぶ姿に
「中学生らしくてかわいらしいな」と微笑ましく思いながら、

改めて彼女たちが、一日でも早くふつうの生活とふつうの練習環境を取り戻すこと、そしてまた全国の舞台で活躍する日を願うばかりでした。

「おそろいのバッジやねー!」とおたがいのバッジを見比べる選手たち

この日すべての試合を観戦させていただきましたが、
今はまだ中学生の彼女たちも、これから長い時間をかけて復興する中で、きっとたくさんの経験や感情を胸に、能登の力になって行くに違いない、そんな気持ちにさせてくれた1日でした。

報道に囲まれながら戦い抜いた全国大会。疲れている中でも笑顔を見せてくれた
チームに贈ったサステナビリティグッズ。大会の思い出を胸にさらにステップアップしていってくれることを願っている